八日目(2014/10/04)府中~島田 前半


この日の行程


府中-4.1km→丸子-10.0km(14.1km)→岡部-8.7km(22.8km)→藤枝-7.9km(30.7km)→島田


出発地点がだんだん遠ざかり、出発地点まで戻るのに時間と費用がかさむようになってきました。そうなると一日で歩ける時間も短くなってきます。その両方を解決するためには深夜バスを活用するしかありません。


そこで東京駅発の深夜バスを使うことにしました。


平成26年10月4日土曜日午前4時20分静岡駅に到着、まだ暗いので駅構内で明るくなるのを待ってスタートしました。時計05:52:23


府中宿


前回の中断地点、江川地下道をくぐって向いに出て、先のスクランブル交差点、呉服橋信号を右折、呉服町通りを進みます。五十三次の各宿のレリーフが色をそえます。伊勢丹角を左折、七間町通りに入り、札之辻址碑を確認、七間町交差点を過ぎ、サッカーショップGOALを右折、七間町郵便局を過ぎ、安全タクシーが見えたら左折して新通に入ります。駿河伏見稲荷神社の四辻先を左折して、静岡県地震防災センター横の稲荷神社のあたりが二丁町遊郭跡です。弥次さん喜多さんも繰り出したそうですが、今はその面影は全くありません。
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新通りの一本道を進み、安部川手前の弥勒緑地公園の一角にある由比正雪公之墓址碑を確認しました。慶安四年(1651)、正雪は旅籠「梅屋」で捕吏に囲まれ自刃しました。正雪碑の先には明治天皇御小休所跡碑があります。緑地の先には創業文化元年(1804)安部川もちのせきべやがありますが、こんな時間時計06:57:10では、当然開店前でした。石部屋の隣には安部川義夫之碑があります。安部川橋を渡り、手越(村)に入って進むと左手に高林禅寺があります。元祖手越名灸所と刻まれた石柱が立っていました。
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丸子宿


手越原交差点で国道1号線に合流、佐渡交差点を左折、子授地蔵大菩薩の地蔵堂、名残りの松を確認し、丸子交番手前で右に曲がり丸子宿へ向かいます。やがて「ようこそ丸子路へ」の看板が見えてきます。時計07:55:26
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一本道の街道を進んですぐ、右手に丸子の一里塚碑を確認しました。日本橋から46里目です。時計07:59:26

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江戸方見附跡、脇本陣跡、明治天皇御休所跡碑、問屋場跡、本陣跡碑、創業慶長元年のとろろ汁の丁子屋などを見ながら進みます。宿の各家には屋号が掲げられているのですが、ここのはデカいですね。
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丁子屋の前で丸子橋を渡ります。この辺りが丸子宿の京口見付跡です。秀吉の小田原攻めの際、細川幽斎がここを通過したそうです。橋を渡ったところに丸子本宿高札緑地があり、復元の高札が並んでいます。
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道は丸子川に近づき、その先二軒家老人つどいの家の所で国道1号線に合流、横の観音堂を確認、1号線沿いの歩道を歩き、赤目ケ谷交差点先の歩道を進み、スロープを下り左の旧道に合流、日本紅茶発祥の地丸子紅茶の看板を確認、長源寺で1号線沿いの歩道に合流します。長源寺には多田元吉の墓があります。明治の初め旧幕臣であった多田元吉が中国や印度に渡り紅茶を研究し、茶の木を持ち帰りこの地に植栽したそうです。
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長源寺先、サンクスK前の名残りの松の左に入り、丸子赤目ケ谷歩道橋で赤目ケ谷中交差点(国道1号線)を横断、向かいの旧道に入ります。
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しばらく歩くと国道1号線に合流、1号線の歩道をひたすら進み、丸子赤目ケ谷西歩道橋を過ぎ、エネオスの右の旧道に入り、少し歩いて、また再び国道1号線の歩道に合流、逆川歩道橋の横を過ぎると正面に宇津ノ谷峠道の駅が見えてきます。
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宇津ノ谷歩道橋脇で右折し坂を上り、Y字路左の道を歩き、丸子川に架かる村中橋を渡り、宇津ノ谷集落に入ります。ここの街並みは本当に風情があります。本日の行程で一番と言ってもいいかもしれません。
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街道右手にあるお羽織屋(石川家)を確認しました。天正十八年小田原征伐に向う秀吉が羽織を与えたことが名の由来だそうです。お羽織屋さんの先から石段のある坂を上り、先のT字路を左折し逆S字状に進み、再びT字路に突き当たり、ここを右折し、少し進んだところに旧東海道登口があります。ここから土道になります。時計09:54:10
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この峠道もなかなかいい感じです。自然歩道を上り、そして下ってくるといったん舗装路に出ます。いかにも旧道と間違えそうな排気口への管理道が分岐しています。さらに下って、中部地方では珍しいという髭題目碑を確認しました。道々のポイントには解説の碑が建てられていてとても親切です。
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峠を下りきり、舗装路に出ます。右に行くとつたの細道で峠道開削前の東海道ですが、今日はそのまま進みます。少し進むと、坂下地蔵堂、別名鼻取地蔵があります。動かなくなった牛を子供に化身した地蔵が牛の鼻を引いて動かしたというお話があります。時計10:30:27
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国道1号線の歩道を進み、先の廻沢口歩道橋を渡り、向いの旧道に入り、横添地区の旧道を進むと、やがて県道208号線に合流します。少し進むと段丘の上に十石坂観音堂があります。


岡部宿


注連縄が架かる小祠を過ぎ、岡部の旧道に入ります。この手前に岡部宿東木戸跡があったはずですが、ちょうど水道工事か何かをやっていてよく確認できませんでした。とりあえず岡部宿到着です。時計11:06:42
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旧道右手の遊歩道を上って行き、二代目笠懸松・西住法師墓を確認しました。
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遊歩道から戻り、突当りを左折、岡部川に架かる岡部橋を渡ります。もう一本向こうの新道からの橋も岡部橋なので間違えやすいです。旧道のほうは細い橋です。橋を渡り、 専称寺先で旧道は県道208号線に再び合流、すぐに岡部宿大旅籠柏屋歴史資料館があります。天保七年築です。その隣に本陣跡があります。

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初亀醸造の先で斜め左に入ってすぐ先に姿見の橋があります。小野小町が晩年の旅の途中わが身を映し老いの身を嘆き悲しんだという言い伝えがあります。続いて、高札場跡、光泰寺などがあります。
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日蓮宗の正應院の先で少しだけ208号線に接触し、再び旧道に入り、長嶋酒店の山燈籠所でT字路に突き当たり、枡形状に進むと、すぐの先五智如来公園の奥に五智如来像があります。松並木の街道をさらに進むと「これより東海道岡部宿」と刻まれた碑と常夜燈があります。ここが岡部宿の西口だと思われます。時計12:22:03
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内谷新田交差点を過ぎ、横内高架橋をくぐり、その先、うなぎや看板の右の旧道を歩くと、街道沿いに慈眼寺があります。慶長四年(1599)。境内には庚申塔などがあります。この辺りは油街途(あぶらがいと)と云い、道筋の家屋には旧屋号が掲げられています。
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朝比奈川に架かる横内橋を渡り、先の仮屋東名入口交差点のふれあい横断歩道橋を渡り、松の残る旧道に入ります。少し進むと従是西田中領と刻まれた傍示標石があります。岩村領との境です。
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その先、少しだけ国道1号線に接触し、広幡交番から再び旧道に入ります。松並木が続き、葉梨川に架かる八幡橋を渡ります。正面の道筋は田中城に向かう御成道で、元和二年(1616)一月、家康が鷹狩の際田中城に立ち寄り、鯛のテンプラを食して体調を崩し、駿府城で亡くなりました。
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この時点で午前12時55分、予定よりも大幅に遅いペースです。ペースをあげて藤枝宿に向かいますが、ここまでをこの日の行程の前半とし、続きは後半で。


- 後半に続く -