二日目 (2014/07/06)神奈川~茅ヶ崎


この日の行程


神奈川-5.1km→保土ヶ谷-9.2km(14.3km)→戸塚-8.0km(22.3km)→藤沢-8.3km(30.6km)→茅ヶ崎


このところ週末は雨続きでしたが、この日(平成26年7月6日)はやっと晴れました。久しぶりの街道歩きになりました。
この日も朝4時起きして、三鷹発4時52分の電車にのり、前回の終着点に向かいました。


神奈川宿


時計06:13:10前回の終着点神奈川二丁目交差点からスタートして、まず熊野神社に向かいました。神奈川郷の総鎮守です。鶴見村の石工飯島吉六作の大きな一対の狛犬が印象的でした。続いて、家康から十石の朱印地を許されたという金蔵院、滝の川公園先の神奈川地区センターにある高札場、ヘボン式ローマ字で知られるヘボン博士の宿舎となった成仏寺、成仏寺向かいの滝の川公園にある明治天皇行在所之蹟碑、開港当初のフランス領事館であった慶運寺などを確認しました。慶運寺は別名浦島寺とも言われ浦島太郎が竜宮城より持ち帰った観音像などがあるそうです。


滝の川沿いに国道まで戻り、神奈川町本陣跡を確認、滝の橋を渡り右折して突当りを左に進みイギリス領事館であった日蓮宗浄瀧寺を確認、元に戻り国道手前を右に入って、ヘボン博士の施療所跡であある曹洞宗宗興寺とその脇にある大井戸を確認しました。この井戸の水量の増減により翌日の天気が分かるのでお天気井戸と呼ばれたそうです。


幸ケ谷歩道橋を渡り青木町本陣跡を確認、国道を江戸方面に戻り、滝の橋を渡り、一本目オノトー薬局を右折し、突当りを左折したところにある神奈川台場跡を確認しました。安政六年、勝海舟が設計し、伊豫松山藩が構築した海防砲台の跡で、今は石垣が残るのみです。


再び幸ケ谷歩道橋を渡り、国道の右側に戻って宮前商店街に入った右手にある洲崎大神にお参りしました。建久二年源頼朝が安房国一宮の安房神社を勧請したものだそうで、鳥居前が神奈川湊だったそうです。


さらに、洲崎大神の別当寺で開港当時イギリス士官の宿舎となった真言宗智山派普門寺、開港時フランス公使館だった浄土真宗高田派甚行寺を確認しました。関東大震災で倒壊したそうです。


宮前商店街先で鉄道の敷設のため旧道は消失、青木橋交差点から迂回し、青木橋を渡り、やまざき歯科から台町に入って旧道に復帰、大綱金刀比羅神社の鳥居前にある神奈川の一里塚跡を確認しました。日本橋から七里目です時計。07:41:42


その先にある田中屋は、文久三年(1863)創業で、旅籠さくらやの後身です。坂本龍馬の妻おりょうさんが勝海舟の紹介でここで働いていたそうです。


台の坂を上って右手にある神奈川台関門跡碑を確認、台を下り、上台橋を渡ったところが神奈川宿の西端です。


環状1号線を道なりに進んで、首都高速高架の手前右手にある法華宗学陽山勧行寺を確認、浅間下交差点を横断、旧道を進み、右手にある浅間神社に参拝しました。承歴四年。旧芝生村の鎮守で、富士の人穴が有ると云われ、横穴式古墳が富士山麓まで続いていると信じられていたそうです。


旧道を進み、正面商店街のアーチの手前で八王子街道と東海道との芝生追分を確認しました。八王子街道は、安政六年横浜開港以降は八王子方面から横浜への絹が運ばれるようになり、絹の道と呼ばれました。


保土ヶ谷宿


松原商店街を抜け松原商店街入口交差点を横断、左手ほうさい殿駐車場が江戸方見附跡で、ここに土塁(土居)が築かれていました。保土ケ谷宿に到着です。時計08:38:30


先の右手にある橘樹神社に参拝しました。寛文九年の青面金剛、大山道道標を移設した神田不動、嘉永五年の狛犬、延宝六年の石盥盤、力石、明治天皇東幸遺跡碑などを拝観しました。


帷子橋を渡り、正面の相鉄線天王町駅のガード下をくぐり、天王町駅前公園内にある復元の旧帷子橋を確認しました。本来の帷子川の流れはここにあり、河川改修で流路が変更されたそうです。


侍ポールが並ぶ環状1号線を進み、右手にある高野山真言宗普賢山香象院、その隣の浄土宗見光寺を見学しました。境内に保土ケ谷出身のコラムニスト青木雨彦の句碑「塗箸の 剥げて小芋の 煮ころがし」がありました。


歩行者信号交差点を右に入って境内で餅を喰うと祟りがあると言われる餅きらい地蔵の曹洞宗神戸山天徳院、その左隣の日蓮宗妙栄山大蓮寺にちょっとだけお参りしました。日蓮が泊まった家屋を法華堂に改宗したのが寺の始まりだそうです。本堂前に徳川家康公の側室おまんの方手植えの柘榴(二代目)がありました。


反則センター交差点で旧中橋跡解説を確認、昔は今井川が宿場を横切り、中橋があったそうです。
反則センターを右に入り、高野山真言宗医王山遍照院を確認、道なりに進み、セイジョー薬局前Y字路で右の西口商店街に入り、右手コインパーキングで助郷会所跡解説を確認、先の左手マンション前で問屋場跡解説を確認、帷子郵便局入口で高札場跡を確認しました。


保土ケ谷税務署先の十字路は、金沢浦賀往還への追分です。ここで金沢横町道標四基を確認、東海道踏切を渡り、突当りにあるのが苅部本陣跡の本陣門を確認、右折した右手コスモ横浜マンション前の脇本陣大金子屋跡標柱を確認、次いで左手オーベル保土ケ谷マンション前にある脇本陣藤屋跡標柱を確認、左手保土ケ谷消防署にある脇本陣水屋跡標柱を確認、その先左手にある旅籠本金子屋跡を確認しました。現在の建物は明治ニ年の建築だそうです。


その先左手モーターバイクのDUCATIと道を隔てて向い右手にある茶屋本陣跡標柱を確認、茶屋町橋を渡り、瀬戸ケ谷中橋を過ぎたところにある保土ヶ谷の一里塚跡を確認しました。日本橋から八里目です。隣りに上方見附跡がありました。ここが保土ケ谷宿の京口(西口)です。


ここまでおそろしいほどの超スローペースで、七里目の一里塚から2時間以上を要しています。時計10:06:16


仙人橋を渡ったところにある外川神社は、羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請したものだそうです。先に進み、保土ケ谷2丁目交差点から右の旧道に分岐、右手にある樹源寺は、元は真言宗の医王寺で、寛永年間に日蓮宗総本山身延山久遠寺の末寺として開山したそうです。


左手元町橋バス停のところにある稲荷神社鳥居下の青面金剛を確認、旧道を進み、元町ガード交差点に突き当たって左折、元町橋を渡りました。この辺りに保土ケ谷宿設立前の宿場があったそうです。


少し歩くと歴史の道標識があり、そこを右折し、東海道の最初の難所、権太坂を上り始めると、まもなく左に小さな稲荷神社があり、そこに旧東海道権太坂道路改修碑がありました。


保土ヶ谷バイパスを権太坂陸橋で渡り、光陵高校の所に比較的新しい権太坂碑がありました。この辺りまでが一番坂で、ここから境木までが二番坂です。その二番坂を上り、境木中学校前のT字路突当りで右折、右手に若林家があります。武蔵国と相模国の国境。その隣、境木延命地蔵尊は、鎌倉腰越の海辺に漂着した地蔵を夢のお告げで江戸へ運ぼうとしたところ、ここで動かなくなったのでお堂を建てて安置したという逸話があります。同じような逸話を、あちこちのお地蔵さんで聞きますね。


地蔵尊前の五差路斜め左の焼餅坂を下ります。昔、坂に焼餅を商う茶屋があったそうです。焼餅坂を下って品平橋を渡り坂を上り、中腹にある品濃の一里塚を確認しました。日本橋から九里目です。時計11:34:24


旧東海道(品濃坂)案内の前を右折、信濃坂を下り、正面の車止めのある階段に入り、品濃坂歩道橋で環状2号線を渡り、歩道橋を左に下り、右の下り坂を下り、県道218号線高架をくぐり、川上川沿いの狭い歩道を歩き品濃口バス停を過ぎ、東戸塚入口交差点で国道1号線を横断し、平戸永谷川沿いに進み、一旦国道1号線に出て、赤関橋を渡り、左の旧道に入りました。


立体高架先でまた国道1号線に合流、柏尾小学校入口交差点を横断し、手打そば処やぶ忠手前を左に入ったところにある王子神社にお参りしました。護良親王の首が本殿の位置に埋葬されているそうです。


街道に戻って進み、左手の擁壁上にある益田家のモチノキを確認しました。かながわの名木100選の一つです。


モチノキの先の不動坂交差点三叉路左側の坂を歩き、突当りの元舞橋手前の十字路を右折し、舞岡川に沿って進み、突当りの舞岡入口交差点を左折し国道1号線に合流、五太夫橋を渡って吉田町に入り、左手にある真言宗の宝蔵院を確認しました。本尊は寛永九年の不動尊です。境内に地蔵堂、日本舞踊芸道精進の扇塚などがあります。


戸塚宿


先に進んで、レストランフォルクスの前にある江戸方見附跡碑を確認しました。戸塚宿到着です。時計13:03:25

続いて、元町交差点の次の小路を左に入ったところにある日蓮宗妙秀寺にお参りしました。境内には、広重にの絵にも描かれている延宝二年建立の「左かまくら道道標」が移設保管されています。


その先で、吉田一里塚跡標柱を確認しました。日本橋から十里目です。時計13:20:30


吉田大橋の手前右手にある木之間稲荷を確認、続いて真宗本願寺派大島山善了寺を確認、右に大きく曲がり、戸塚駅東口入口交差点を越し、東海道踏切NO30を渡りました。開かずの踏切で有名だそうですが、すんなり渡れました。


バスセンター前交差点を越え吉田町から戸塚町に入り、脇本陣跡碑を確認、さらに戸塚消防署の隣にある澤邊本陣跡碑と明治天皇戸塚行在所趾碑を確認、その先にある八坂神社にお参り、境内にある明治天皇東幸史蹟碑を確認しました。毎年七月十四日の夏祭りはお札まきと呼ばれ、横浜市指定無形民俗文化財だそうです。


その先、右に曲がったところに冨塚八幡宮にもお参りしました。戸塚の総鎮守です。山頂の古墳が冨塚で、戸塚の地名の由来だそうです。境内にある嘉永二年建立の芭蕉句碑「生きて出でけむ鎌倉を初松魚」を確認しました。


その先サイゼリアの前にある上方見附跡を確認、第六天宮を過ぎ、大坂を上りました。「大阪」という坂は、いろんなところにありますね。


白土坂を登り詰め、あじさい公園で少し休憩しました。あじさいは全く咲いていませんでした。公園先で旧道は国道1号線と合流、尾根道になり、吹上交差点を過ぎ、段上にある原宿の一里塚跡解説を確認しました。日本橋から十一里目です。時計14:42:57


一里塚の向にある浅間神社にお参りして、浅間神社前交差点を過ぎ、歩道橋左の袂にある青面金剛像と馬頭観音群を確認、影取町第二歩道橋を過ぎ、お食事まるぶんから国道1号線の左側道に入ったところにある諏訪神社にお参りしました。裏の池に大蛇が棲み、池に映る旅人の影を取って喰ったという影取伝説があり、影取町の地名の由来になっています。境内のクスノキは横浜市名木古木指定。


諏訪神社の先に茅葺門の旧家を確認、信号藤沢バイパス出口、東俣野町歩道橋から斜め左の県道30号戸塚茅ヶ崎線に分岐し、鉄砲宿に入って進むと両側が石垣になり遊行寺坂、別名道場坂を下り、遊行坂の一里塚跡を確認しました。日本橋から十二里目です時計。16:06:49


その先の左にある諏訪神社にお参りしました。建武ニ年、遊行四代呑海上人が遊行寺の守護神として勧請したそうです。諏訪神社の先を右に入り、時宗の総本山遊行寺にお参りしました。正中二年呑海上人の創建で、清浄光寺が公式の寺名だそうです。境内の大イチョウはなかなか見事でした。ほかに藤沢敵御方供養塔、小栗判官と照手姫の墓、国定忠治の子分板割浅太郎の墓などがあります。


遊行寺交差点先、イイジマ薬局の角を右折、いとう歯科前のT字路に突き当たって右折し、日本三黒門の一つと言われる遊行寺の総門を確認しました。このあたりは、日本三大広小路(上野広小路、名古屋広小路)の一つ、火除地の藤沢広小路があったそうです。ここのT字路を左折して進みます。


藤沢宿


朱塗りの遊行寺橋を渡って藤沢宿に入りました。藤沢宿は遊行寺の門前町として発展、江の島、鎌倉、大山などへの参詣や行楽客で賑わったそうです。時計16:27:17


突当りを右折して国道467号線を進み、重厚な蔵造りの旧商家(紙問屋さん)を確認、ねじの大関の向かいにある蒔田本陣跡の標柱を確認、「大久保町と坂戸町の境付近に蒔田源右衛門が勤める本陣がありました」とありました。左の藤沢市消防署本町出張所の前に藤沢宿板戸町問屋場跡の標柱には「幕末、西隣の杉山弥兵衛が勤めた」とありました。


その先の右手にある日蓮宗の妙善寺を確認、左手、JAさがみ藤沢支店角の路地を入ったところにある永勝寺を確認しました。旅籠小松屋が抱えた飯盛女の墓が三十九基あるそうです。


その先、白旗交差点を右折したところにある白旗神社を確認しました。奥州平泉で自害した義経公の首級が境川を遡りこの地にたどり着いたという伝説があり、義経公を祀っています。


白旗交差点から県道43号藤沢厚木線に変わり、小田急江ノ島線を伊勢山橋で跨いだ先に上方見附跡を確認しました。解説に「土居を築き榎が植えてあった」とありました。


藤沢宿を出て旧鵠沼村に入り、引地橋を渡った先に曹洞宗引地山養命寺に寄ってみました。本尊の木造薬師如来坐像は国指定重要文化財で御開帳は十二年に一度の寅年だそうです。説明パネルに写真がありました。衣文の綺麗な優しいお顔のお薬師さまで、機会があれば拝観したいものです。


先に進んで羽鳥交差点から県道44号伊勢原藤沢線に変わり、上り坂になり、小さなお社の先四ツ谷交差点で国道1号線と合流、四ツ谷交差点のスグ先右の細道口の小堂の中にある道標「是より右大山みち」を確認しました。道標の上に不動明王を乗っています。延宝四年。


大山みちの細道に入ったところにある復元の天保11年の石鳥居を確認、元に戻って進み、羽鳥交番前交差点を越えたところで、四ツ谷の一里塚跡を確認しました。日本橋から十三里目です時計。17:59:56


その先右手にある二ツ家稲荷神社にお参りしました。このあたりは立場で二軒の茶屋があったそうです。境内にある寛文十年の庚申供養塔は藤沢市指定重要文化財です。


先に進み、大山街道入口交差点を越え、茅ヶ崎市に入り、東小和田交差点を越して本宿町に入ったところにある浄土真宗本願寺派上正寺を確認しました。既に門は閉まっていました。


代官町に入り、高野山真言宗廣徳寺を確認、小桜町から松林に入り、松並木を歩き、菱沼歩道橋を越し、本村に入り、市立病院入口交差点を越え、曹洞宗海前寺を確認、元町に入り、一里塚交差点にある茅ヶ崎の一里塚を確認しました。日本橋から十四里目です。時計19:15:29


この日はここまでとし、茅ヶ崎駅からJRで帰路につきました。


本日の一里塚ごとの到着時刻は、七里塚到着時計07:41:42、八里塚到着時計10:06:16、九里塚到着時計11:34:24、十里目到着時計13:20:30、十一里塚到着時計14:42:57、十二里塚到着時計16:06:49、十三里塚到着時計17:59:56、十四里塚到着時計19:15:29でした。相当ムラがありますね。


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