未亡人の一年


作 ジョン・アーヴィング   訳 都甲 幸治  中川 千帆

新潮社 2000年6月



1958年、ロングアイランド。4歳の少女ルースは、母がアルバイトの少年エディとベッドにいるところを目撃する。死んだ兄たちの写真におおわれた家。絵本作家で女ったらしの父。悲しみに凍りついたままの母は、息子たちの写真だけもって姿を消う。母を失ったルースと、恋を失ったエディがのこされた。夏が終わろうとしていた―。



          

映画「ドア・イン・ザ・フロア」は、この小説のほんの序章にすぎなかった。この小説を読んで、映画では味わえなかったいろんな感情を感じられたように思う。上巻は、映画の場面を思いだしながら、考えて読んだのでスローペースになった。下巻は、話が、どのように進んでいくのか知りたくて、自然と読むスピードが増した。


マリアンはトマスとティモシーの息子たちを失ったためにルースを愛せなくなった。マリアンにとって、ルースが、息子たちの身代わりにならなかったのだと思っていたが、そうではなかった。マリアンの考えはこうなのだ。「もし、ルースを愛してしまった後で、ルースを失うことになったなら、耐えられない。」息子たちのように、自分から、愛するものを取り上げられることが、怖いのだ。いくら、つらい過去があったにせよ、自分の子どもを愛せないことに、母親失格と思っていたが、彼女の悲しみは、私の思っていたよりも深かったようだ。


誰もが小説家になっていたことにちょっと驚き。事実ではないにしろ、小説を書くことで、自分の考えを整理できるのかもしれない。

ルースは、小説の内容で、経験もないのにと批判を受ける。しかし、後になって、実体験した時に、その小説に書いたことが事実だと実感する。小説は、経験したことしか書けないのだとしたら、若い人には、貧弱なものしか書けないではないか。ものを書くには、経験の上に、想像力が必要。その点、ルースは、いい作家といえる。


ルースの父テッドや、ルースの友達のハナは、恋愛の相手を変えていく。それに比べて、エディは、たとえ関係を持ったとしても、一人の女性を思い続けているのだ。

エディが、女性を見るとき、「その女性のすべてを見ようとする。身振りとか表情のなかに、深く染みこんだ、年齢を超えたものがあるんだ。」そういう人の内面まで見ようとする。そんなエディは素敵だと思うし、そういうふうに見られるのに値するようなそんな深みのある女性になりたいと思う。


ルースはどうだろう。ルースやテッドのように、誰とでも、気軽に接するのではなく、恋愛について、慎重なタイプ。でも、エディのように、まだ、心から愛する人に出会ってない。ルースは、自分の愛を捜し求めていく真っ只中にいるのだ。


息子たちを失ったマリアン、母を失ったルース、恋を失ったエディ・・・・・・愛を失ったものは、どのようにして再生していくのか。そして、愛をどのように育んでいくのか。この小説は、深い内容だと思う。


「誰かが音を立てないようにしているような音」という表現が気に入った。

「泣かないでルース。ただのエディとママじゃない」この会話文のもっていき方、うまい。

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