それは、昨年2013.11.28(木)の午後だった。

新しく通うようになったディサービスのヘルパーさんから、
朝、迎えに行ったらいつもは空いている入り口の鍵が閉まって
入れなかったので、鍵を預けてあった理髪店に行って
鍵を受け取り部屋に入った所、父が倒れていたとのこと。

緊急連絡ボタンのところまで動けず、SOS発信できなかったのだ。
ボタンは部屋の壁際にかけてあった(山口大学で研究している
プライバシーを守りながら監視できるシステムだったら異常を
発見できたかも知れなかい)。

熱があり、おなかが膨らんでいたので病院に連れて行った所、
膀胱に尿が溜まって排出できない状態になっていたという
電話だった。

原因は加齢による前立腺肥大。男性は年取ると80%は発症
するらしいが、前立腺肥大し、尿道を圧迫するので自力では
まったく尿がだせなくなっていた。

泌尿器科でバルーンと呼ばれる袋を膀胱内でふくらませて
そこから尿道を通じて透明なチューブで尿を外に出し、
透明な袋パックに貯める処置を施したとのこと。

緊急措置なので、すぐ来るよう指示されたが、
先生はどうやら私が近くにいると思っていたらしく
「今、川崎なんです。」と説明すると理解してくれたようで、
明日、施設の方へ行くように言われた。

ちょうどその日は夕方からは、ヨッピーと宇野さんの
歴史的初遭遇トークイベントが有楽町ニッポン放送
イマジンスタジオで行われる日であった。
既にチケットは入手してあった。
ここからすぐ帰るべきか迷ったが、
なんの準備もしていないし、今から帰っても、終わってから
帰っても、着くのが夜中なので、ないもできないことには変
わりない。焦ってもしょうがないので、ちゃんと準備を整えて
から翌朝、高速バスで帰ることした。

朝、電車で移動。
電車からバス停まで歩いて35分で高速バス停に到着。
偶然、同じ方向に帰る父と同じ年くらいの人がいて、
父の前立腺肥大の事を話すと、
「わしも昔、同じ目にあって手術したが、簡単に手術できて、
2日で退院して今ピンピンしている。」
と教えてくれた。尿道からカテーテルを入れて肥大した部位
を削るので開腹せず、ストレスもない手術らしい。
そんなに心配するほどではないんだと思うと少し気が楽になった。

バスは2時間半ほどで到着したが、バス停から家までさらに
40分歩く。

13時すぎに家に着き、転勤前から父に預けてあった自分の
車で施設に向かうと、ケアマネージャー(以下、ケアマネ)さん
と施設の担当の方、そして父が待っていた。

父は椅子に座っていたが、肩を貸せば歩ける状態だった。
そして、指示された泌尿器科の病院に車で連れてゆき、
2時間近くまたされてようやく診察が始まった。
前日は緊急措置だったので、レントゲンを取ったりじっくり
診察を受けた。医者から尿道を広げる薬を1週間出すので、
来週もう一度きてくださいと言われた。土曜日休診なので、
残り少ない有休を使わなければらならい。

その後、尿パックをきちんと取り付けて、管の引き回しに
ついて教わった。注意事項として言われたのは、
本人は何故尿パックが自分の体に取り付けてあるのか、
理解できていないので、自分で外してしまう場合がある
とのことだった。相当な痛みを伴うはずだが、どうやら
それをやってしまうらしい。万一、そうなると尿管が傷つき
出血し、感染症になる心配があるので、尿が溜まってきて
気にしだしたら注意して欲しいとのことだった。
感染症で腎臓をやられると相当まずいことになると脅かされた。

従って日に3度くらいは誰かがパックをカラにする必要がある。
今、デイサービスに通っている施設はリハビルのための施設
なので医療行為ができないため、なにかあった時、家族が
近くにいて、病院に連れて行って欲しいと言われた。
せめて2時間以内には来れる距離にいて欲しいとのことだった。
責任が施設に降りかかるのを恐れているらしい。
それは理解できるが現状では無理だ。
その話が出たとき、なぜか母が骨折したのはこの施設に
通いだしてからだったのを思い出した。

とりあえず年内はここのディサービスを使うしかないので、
週末帰ってきて面倒をみるという事でなんとか継続をお願い
しなければならなかった。

ともかく人知れず膀胱破破裂で、、、、という最悪の事態は
免れることができた。

秋に妹が進めてくれたデイサービス、ショートステイの利用を
始めていなければ発見者がなくいて危ない状況だった。
事前の準備が未然に危機を防いだ。
気がついたとき出来ることは先伸ばしせず、
すぐやることがいかに重要か身にしみた。

とりあえず土日の世話は帰宅して私が見ることにした。
いずれにせよ翌週はもう一度診察に行かなければならない。

何年ぶりだろうか。
この週末は久しぶりに父と同じ部屋で過ごすことになった。

私はタバコをまったく受け付けないのでこちらに住んでいるときでも、
同じ部屋で過ごすことはなかったのだが、
父が介護補助施設(禁煙)に通うようになって
タバコを我慢ぜざるを得ない状況におかれ、しかも今は自力で
長い距離を移動できないのでタバコが購入できない状態なのと、
かかりつけの医師から老人の一人暮らしで怖いのは火を扱いだから、
禁煙はすべきだとのご指導も受け、長年の課題でだった全面禁煙を
成し遂げることができた。

排尿できないのと歩行が少し不自由な事以外は元気で食欲も旺盛
だった。私と同じ量の食事をゆっくりとではあるがしっかり平らげていた。
夕食を済ませ日曜の最終一つ前のバスで神奈川に戻った。
年内の平日は施設に空きがあればショートステイ、なければディサー
ビスをお願いし、一日3回訪問してもらうことになった。

ともかく、最初の危機はなんとか回避することができた。

しかし、これはホンの序章にしか過ぎなかった。