なぜか、早朝から、とてつもなく気が急いていた。
仕事先に送る書類や、当時学んでいた大学に提出する
郵便物は、午後に投函しても充分に間に合う。
それなのに、なぜか焦る。
とにかく、午前中に全ての用意をすませたい。
すまさなければと感じて、走る。
走るけれど、普段ほとんど走っていないので、足がもつれる。
キリキリと舞う。
でもって、失敗する。
書類に必要な証明写真をボックスで撮ったら、驚いたことに
盛大なピンボケ。
証明写真なのに、顔が判別できない。
首を前に突き出していたわけじゃないのに、なんなのさ！
お金、返してよ！
ボックスの管理会社に電話してもらちが明かないので、
駅前の写真館に飛び込んで、人力で撮影。
仕上がりまでの待ち時間に、地域の図書館に駆け込む。
息が切れる。
そして、建物のあまりの古さに驚愕する。
「かび臭いの。
ここで地震が起こったら、酷いことになると思うよ」
と、たまたま家にいた夫にメールで告げ口し、出来上がった
写真を受け取り、切り貼りし、郵便局まで自転車を飛ばし、
投函できたのが、14時。
夫とふたりで遅めの昼食をとりながら、
「何も、そんなに焦ることなかったよね～」
「明日でも間に合うのにね～」
などと、とぼけた会話をしていたら、上野界隈に遊びに行った
はずの父がふらりと戻って来た。
「なんか、つまらん」 という理由で。
「え～！もう帰って来たの？」
「だって、つまらんもん、アメ横、店ばっかりで」
「え～！アメ横、商店街だからね、店しかないから！」
とぼけた会話が、続く。
リビングの横の部屋では、夜勤明けの弟がいびきをかいて
寝ている。
なんだか、変な日だなぁ。
それぞれがため息をついたその時、
地面が激しく揺れ始めた。
あの日の記憶は、他のどの記憶よりも色濃く鮮明に、
心の中に焼き付いたままだ。
棚からボロボロと落ちてくる物をみながら、この家、潰れるかも、
死ぬかもと、身動きできなかったこと。
棚が崩れ落ち、部屋から脱出不可能になった弟を、夫と父が
救出に行ったこと。
小学生の娘を、夫が迎えに行った後、ふたりの顔を見るまで
不安でたまらなかったこと。
東北が…
原発が…
友人が、子どもと一緒に九州に帰った。
家から出るなとメールが飛び交う。
駅の灯りが消えて、スーパーの棚が空っぽになった。
絶対的に安全が保証された場所なんて、どこにもないと気づいた。
確約された明日なんて、ないことも知った。
とにかく、今、自分の出来ることをしていこう。
危機に直面したら、動いて他者に向かって声を出し続けようと、
ブログに綴った。
あれから、6年。
私は、まだあの日と同じ場所で暮らしている。
小学生だった娘は、高校生になった。
夫は自室で、サンダーバード2号を組み立てている。
弟は夜勤明けに、ゴウゴウといびきをかいて寝る。
父は、胃癌で胃を半分切除して、寝たり起きたりしている。
にもかかわらず、
「なんか、食欲ない。胃まで小さくなったみたい」と嘆く。
「え～！胃、半分になったからね、手術したから！」
と、私は突っ込む。
大きく変わったこと
変わらなかったこと
変えなければならなかったのに
変えることができなかったこと
たくさんありすぎて、ひとつひとつ取り出してみても、
私には、意味づけも整理もできない。
だけど、日々の営みは続く。
悲しみも、怒りも、後悔も、不安も、相変わらず
心の中には、ゴロゴロと転がったままだ。
けれど、照らす光の角度をほんの少し変えると、
心の景色の色合いが変わることに気づいた。
それは、案外、悪くない景色だと思う。
誰かの心も同じ。
照らす光の角度が変わると、景色が一変する。
悪くない。
私は、誰かを救えない。
世界を変えることなどできない。
でも、キリキリ舞ったり、上がったり下がったりしながら、
なんとかご飯を確保して、食べて、動いて、寝て、起きて、
誰かの声をうっとりと聴き、一緒に泣いたり、笑ったり、
怒ったりする。
愛のままにわがままに、日々の暮らしをつむいで行きたい。
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