ミュージックライフ1971年10月号・箱根アフロディーテの写真&東京の夜のフロイド | プログレッシブBBSの思い出_ピンク・フロイドmemorandum

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〈ザ随筆〉での執筆記事も再録準備中.







 この記事は、11月20日(01:39:38)にアップロードされた後、
 タイトルで&以降を追加、本文で読み物紹介以降を加筆しています。






この号には、1971年8月6日 - 7日に箱根芦の畔・成蹊学園乗風台で行われたミュージック・フェスティバル、箱根アフロディーテのために初来日したピンク・フロイドが、カラーグラビアで紹介されています。

表紙/レッド・ツェッペリン


巻頭のグラビアは、来日間近のツェッペリン、東パキスタン救済コンサート(バングラディシュのコンサート)のジョージ・ハリソンなどが続いてゆきます。

箱根アフロディーテのピンク・フロイドは、計5ページのカラーグラビア。
P31、扉ページの写真は、後年にもさまざまなメディアで使われているものです。『ピンク・フロイド・ファイル』(2005 シンコーミュージック刊) の表紙にも使われました。

ページ数の下に記してあるのは、それぞれの写真のキャプションです。

P30 - 31
本誌特写〈ピンク・フロイド・イン・ジャパン〉
PINK FLOYD IN JAPAN

P32 - 33
幻想的なピンク・フロイドの世界にじかにひたって、多くの若者が感涙にむせんだ。写真左よりロジャー・ウォータース(ベース)、リック・ライト(キーボード)、下段左よりニック・メイソン(ドラムス)、デイヴ・ギルモア(ギター)。
PINK FLOYD:ON STAGE


P34 - 35
ステージの合間に見せたピンク・フロイドの素顔である。美人の奥さんを同伴したロジャー、写真をとりまくるリック、ニヒルなニック、気分屋のデイヴ、素顔の4人は大人しい青年達だった。
PHOTO:K. HASEBE, T. MATSUMOTO PINK FLOYD:ON STAGE




この号では、最新ヒット2曲の歌詞とギターコードを掲載する連載コーナー〈LET'S SING〉に、「夢に消えるジュリア」も登場。
歌詞のバックにはうすくピンク・フロイドのメンバーの4人の写真が使われています。

P136 - 137



ピンク・フロイドの来日のときの様子は、連載読み物
にも登場しています。
ロック界のシークレット・ゾーン その5 万華鏡のようなトーキョーの夜 ー和製グルーピーの実態ー(結城ちよ)〉

P104 - 105

P106 - 107

全体の構成(小見出しのタイトル)

 ・夜に咲いたあでやかな花の数々
 ・ヨーコ・オノに憧れるデイヴ・ギルモア

文中に登場する主なミュージシャン

 BS&T、フリー、シカゴ、GFR、マッシュマッカーン
 フルーツガムカンパニー、ピンク・フロイド他

来日時のコメントが登場する主なミュージシャン

 デイヴ・ギルモア、リック・ライト、ポール・ロジャース



ロック界のシークレット・ゾーン〉。
この連載は、ミュージシャンの私生活にスポットを当てているようです。
ひとつ前の9月号〈その4 末はエロ事師か病院送り? ー華やかなブリティッシュ・ロック・シーンの裏側は…ー〉では、ポップ・スターの人気が衰えた場合には色々と精神的に追いつめられてしまうのではないかというのがテーマでした。

連載担当の結城ちよ氏は、ミュージックライフ編集部の記者か専属契約ライターなのでしょう。9月号ではロンドンでの体験談(ブラック・サバスにインタビューする前の段階で苦労したことなど)を語っていましたが、この10月号〈万華鏡のようなトーキョーの夜 ー和製グルーピーの実態ー〉では、東京での体験談が中心になっています。
記事の内容からは、8月の初めに初来日したピンク・フロイドのメンバーたちが(ほかの来日ミュージシャンと同様に)オフタイムには東京の夜も楽しんだこと、ミュージックライフなどのマスコミ関係者の方々と同席して飲んだ夜もあったことがわかります。
硬派のデイヴ、軟派のリックという、意外な一面も描かれているので、ちょっとドキドキする読み物でした。
最初の章「夜に咲いたあでやかな花の数々」冒頭から引用します。


 「ロンドンの夜の生活は,クリスタルなカライド・スコープだけど,トーキョーはプラスティックのカライド・スコープ」。キビしいことをのたまうのは,ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモア。同じようなことを,フリーのアンディ・フレーザーも言ってましたっけ。
  (中略)
 今年の春から秋にかけて,東京の夜は外来のポップ・グループに彩られているようです。BS&Tに始まり,フリー,シカゴ,GFR,マッシュマッカーン,フルーツガム・カンパニー,ピンク・フロイド,そして9月にはツェッペリン,UFO……
  (中略)
  モテたのにグルーピーを拒み続けたのはピンク・フロイド……リック・ライトを除く3人でしょう。「ロンドンにはグルーピーの定義ってのがあって,ロックに陶酔するがゆえにロック・ミュージシャンと一心同体になることを望むこと……」と,リック・ライトはしゃべり続けました。片わらには,「ロックもオトコも大好きヨ」とのたまわる,この道に入って4ヶ月,フリー,シカゴ,GFR,マッシュマッカーン等と“せつな的恋愛”をエンジョイした,自称“メイド・イ ン・ジャパン・グルーピー”がはべっておりました。



リック、この時点では奥さん(ジュリエット)がロンドンにいるんですよね……まぁいいか。ちなみにジュリエットは、フロイドがアブダブスとかの別のバンド名だった頃にはリードヴォーカルをやっていたこともある女性です。メンバーの中ではいちばん結婚が早かったのですよ。
で、リック・ライトを除く3人。
まず、ロジャーは奥さん(ジュード)同伴ですからグルーピーには用はないでしょう。ニックの奥さん(リンディ)は、ジュリエットと同じくロンドンでお留守番ですが、デイヴはこの当時はまだ独身(75年にジンジャーと結婚するまでは)。
そのデイヴがなんで遊ばなかったのかというのも不思議ですけど、どうやらこの時期の彼は、ストイックでインテリジェントな、そしてシニカルな見方をいとわない青年だったようです。
では、記事の本文からの引用を再び……。


 このリック・ライト以外のピンク・フロイドの連中は,東京の夜にはかなり厳しいことを言ってましたけど,中でもデイヴ・ギルモアは「生まれた時から紅いバラも黒くみえる皮肉屋」で,ひねくれ者だそうで,一緒に酒宴をもった数時間の間中,彼はこんなことばかりしゃべっていたんですヨ。「ヨーコ・オノのナショナリスティックな日本はどこにあるんだい?ここにあるのは,ヒステリックなトーキョーだけ」,「コペンハーゲンで先月おかしな女に会ったんだ。ピンク・フロイトって言ったんだ,オレ達のこと。音楽がフロイト的だって……。結局,彼女は精神病院の看護婦だったんだ」,「トーキョーはプラスチックだけど,女の子は少しもエロチックじゃない。ブロンドに赤毛に長いつけまつ毛は,ロンドンで見捲きたのに……ここも同じ。ところで,君のつけまつ毛はバーゲン・セールで買ったの?」,「グルーピーか……パンパンだョ。グルーピーとミュージシャンは,平行線をたどる娼婦と客の関係さ。金銭的利害関係がないってだけで……」。少々,くたびれた私は言ったのです。「あなたってインテリぶったエセ・インテリじゃないの?建築学の博士号をもっているんなら,もっと物事を直線的にみてもいいじゃないの」「そう,エセ・インテリさ。で,君はエセ・ジャパーニズ」。見事にやられちまったわけです。


万華鏡のようなトーキョーの夜〉というタイトルも、冒頭のデイヴの発言からつけられているのですが、「トーキョーはプラスティックのカライド・スコープ」、これって、所詮本物じゃないよ、って意味なんでしょうか?
それにしても、デイヴが建築学の博士号を持つひとだったとは、知りませんでした。ロジャー、ニック、リックが建築工芸学校に在籍していたことは有名ですけど、いつのまに勉強してたんですか、デイヴ?(でも、なんかうれしい……)。 
彼の発言はまだまだ続きます。
次の章「ヨーコ・オノに憧れるデイヴ・ギルモア」では、文末に至るまでの部分から引用します。

 
 デイヴの言う「ヨーコ・オノのナショナリズム」 には少々驚いたわけですけど,他のメンバー達もヨーコ・オノは「非常にジャパニーズな国粋主義者」と言ってました。ジョン・レノンをしてジョン・オノ・レ ノンに変えたヨーコの,古風な,そして内に秘められたウーマン・リブの力は,表面的ナヨナヨ型イギリス男のハートをがっちりつかんでるようです。
  (中略)
  再びデイヴ・ギルモアは言いました「ロンドンに帰ったらヨーコに言おうと思う。彼女は最初で最後のジャパニ-ズ・ウーマンだってネ。プラスチック・ウーマンとイミテーション人間しかトーキョーにはいなかったってネ」。「和製コンテンポラリー・グルーピーと音楽関係の仕事をしている女性しか知らなくて,なぜ そんなことを言うの」と,私は反抗したのですけど,おのれを充分に知っているというギルモアどのは一歩も譲らず,最後に言ったのです。「自分は大学院に行かないで博士号をとった。正確な目をもっていたからサ。そして,この目に写ったトーキョーは,セルロイドとプラスチックのフレームに飾られた万華鏡なん だ。そして出会った人間もみなプラスチック……」。
 そうかもしれませんね。来日ポップ・アーティストをとりまくトーキョーの夜は,セルロイドの ように燃えやすく,そしてすぐに燃えつきてしまうフレームに飾られた万華鏡の世界ー フジヤマ,ゲイシャ,スキヤキ,そして,オノ・ヨーコの日本は,東京にはあるわけがございませんもの。



デイヴはヨーコさんに心酔していたんですね……。
そういえば、フロイドのUFOクラブでの演奏シーンがあるドキュメンタリー『ピンク・フロイド ロンドン 1966-1967』にもジョン&ヨーコの姿が……あ、それはデイヴ加入前でしたね。
でも、当時のフロイドファンがミュージックライフのこの号を読んでからヨーコ・オノのアルバムを買いに行ったことは想像に難くないという感じです。わたしの旧友のフロイドファンにも、『Yoko Ono/Plastic Ono Band』や『Fly』を絶賛しているひとがいました。
ヨーコさんの音楽ではわたしもそのあたりのアルバムが好きです。

万華鏡のようなトーキョーの夜〉のなかで来日ミュージシャンがよく行くお店として書かれていた、ビブロスも、MUGENも、すでにありません。ふたつともクローズは87年2月です。
デイヴ、ニック、リックの新生フロイドでアルバム『鬱』が発売される7ヶ月前のことでした。






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