ミュージックライフ1971年9月号・箱根アフロディーテのルポ(素顔のメンバー編) | プログレッシブBBSの思い出_ピンク・フロイドmemorandum

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〈ザ随筆〉での執筆記事も再録準備中.








 この記事は、11月19日(05:55:40)にアップロードされた後、
 二回の加筆をしています(11月28日、12月8日)。
 加筆部分はいずれも、前回の文章の後に続けています。





この号には、1971年8月6日 - 7日に箱根芦の畔・成蹊学園乗風台で行われたミュージック・フェスティバル、箱根アフロディーテの様子が、5ページにわたる読み物で紹介されています。

表紙/ジョー・コッカー


巻頭からのグラビアはGFR。7月17日の後楽園のステージを中心に、オフステージのメンバーも紹介。
箱根アフロディーテについては、次の10月号の
カラーページに写真特集が組まれています。

この9月号でのピンク・フロイドは、近影として見開き2ページのカラーグラビアに登場。

上の方にある白抜き文字のキャプションは〈Pink Floyd 
明るい太陽の強い陽射しの中に出すと、パッととび散ってしまいそうなオト。彼らにはうんと深いエメラルド・グリーンがよく似合う。
です。
  

P30 - 31

箱根アフロディーテの記事は、ピンク・フロイドを中心とする読み物です。
タイトルは〈来日特報 箱根アフロディーテのピンク・フロイド PINK FLOYD〉。なお、この号の巻頭にある目次では〈
速報!目のあたりを見たピンク・フロイド、幻想の世界〉となっています。

P78 - 79

P80 - 81

P82- 83


全体の構成(小見出しとコラムのタイトル)

 ・アッと驚く記者会見
 ・大自然の効果、目をつぶり聴き入る観衆
 ・8月6日の演奏曲目
 ・箱根アフロディーテの成功
 ・特写写真秘話(?)
 ・シラけたフォークと受けたロック
 ・フロイドも一目おくバフィ・セントメリー



(11月19日執筆





来日特報 箱根アフロディーテのピンク・フロイド


この読み物は、全体がミュージックライフの編集記者のリポートになっています。
囲み枠のコラム〈
箱根アフロディーテの成功〉には、イベントの概要、総設備費用、主催スタッフ側の人数、会場でのゴミ袋の配布数などのデータがまとまっていますが、それによると、8月6日と7日の二日間で4万人を動員したということです。


【1】アッと驚く記者会見(P79)

ここでは記者会見のコメントを紹介しています。
この章題は、アフロディーテのヘッドライナーをつとめる大物の初来日で気負っていたプレス側に対して
、フロイド側が意表をつく素っ気ないアンサーだったということでつけられたようです……。
冒頭部分から少々引用します。


8月1日、12時15分に到着したピンク・フロイドは、翌日2日、ホテル・ニュー・オータニ3階、たちばなの間で記者会見にのぞんだ。
Q:どうしてピンク・フロイドというグループ名にしたんですか?
A:なんとなァーく、そうなった。

Q:貴方達のサウンドは、大変に複雑ですが、そのようなサウンドにする理由は?
A:別に、ただやってたらこうなっただけだョ。
    (中略)
Q:日本のファンに4人からメッセージを……。
A:日本にしゃべりに来たんじゃない。プレイしに来たんだから、カンベンしてョ。
Q:貴方達の音楽とドラッグは密接な結び付きがあるということですが、その事に対しては?
A:日本じゃ、そのことについて余りしゃべるなって云われてるんですね。

    (以下略)


このあとのQ&Aは、ソフト・マシーンやムーディー・ブルースに関すること、オーケストラとの共演に関すること、日本公演の後のスケジュール関連です。
日本にしゃべりに来たんじゃない。
……たしかにそうですね。
ピンク・フロイドというバンド名の由来は、ファンの方ならご存知のように、シド・バレットの飼い猫〈ピンク〉と〈フロイド〉。シドの敬愛するブルース・ミュージシャンのピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルからです。もしかしたら、シドのことをつっこまれたくないというのもあって、はぐらかしたのでしょうか。
ドラッグに関する話題は、このレポートの最終章
「フロイドも一目おくバフィ・セントメリー」の末尾にも登場していました。


(11月28日執筆






来日特報 箱根アフロディーテのピンク・フロイド


【2】大自然の効果、目をつぶり聴き入る観衆(P79 - 82)


ミュージックライフのこの取材は、箱根アフロディーテ(正式にはOpen Air Festival)の初日、8月6日のレポートになっています。
この章は、前半が素顔のメンバーたち(ステージ前の自由時間のレポート)
、後半がステージに立つメンバーたち(ライブレポート)になっています。どちらも編集記者の目線で書かれていますが、はじめて出会うフロイドということもあってか、しばしばファンの目線にもなっているので、なかなか興味深いものがありました。

後半についてはいずれ別の記事で紹介することにして、ここでは前半を紹介します。
フロイドは出番が最後なので、それまでのあいだは、会場の一角にある出演者専用スペースでくつろいでいたようです。
どのあたりでしょうか。

Photo: blogs.yahoo.co.jp/chiechann4421/8560107.html

まずは、冒頭からの引用を少々……。



 朝8:30に有楽町のニッポン放送前に集合という信じられないハードスケジュール。取材用のバスで、一躍“アフロディーテ”会場の箱根まで‥‥。
   (中略)
 さて会場につくと、MLピンク・フロイド取材班はバツグンの機動力(?)を発揮して星加編集長の総指揮のもと、長谷部・東郷班、松本・木原班とパッと2手に別れて、いざ出陣!
   (中略)
 ムムムッ! 最初に目についたのはニック・メイソン。記者会見の時と同じ服を着ている。ピンク・フロイドの面々は全員余りおしゃれじゃない。いつも似たりよったりの服装である。出演者のテントにドッカリと腰をかけ、丁度そこに置き忘れてあったML8月号をパラパラと見入っている。2人はすかさずニッコリと“あのォ、その本を持っている所を1枚取りたいんですけどネェ……。” 2人とも、うるわしき女の子のはしくれ、いかに気難しいミュージシャンでも大抵は、こう云えば、その通りにしてくれる。ところがキミ達、ニック・メイソンは例外だったのだヨ。いわく “本の宣伝はしないョ。” ポイとMLを机の上になげて、プイと席を立ってしまう。おのれェ‥‥こやつ一体どうしてくれようと歯ぎしりしたものの案外それがイヤ味でなく、カッコいいのだ。
 マスコミにこびを売ったり、良く書いてもらおうとやたら愛想を振りまいたりしない所が、反対に気に入ってしまった。(負け惜しみではアリマセン!)

(P79 - 80より)


ニックの無愛想なところは、かえってお気に入りポイントになってしまったようですね。
では、ほかの4人はどうだったのでしょうか。

ロジャー、リック、デイヴの順に登場しますので、それぞれの記載部分から引用します。


 ロジャー・ウォータースは奥サンらしき可愛らしい女性を同伴。フルーツガム・カンパニーの、ステージにわく拍手を聴きつけ、“誰だい?” “フルーツガム・カンパニーだ” と答えると、“アッ、そう。” あとは取りつくシマナシ。この人はニック・メイスンと違って、顔は終始ニコニコと円満である。
 (P80より)
 

ロジャーが同伴したのは、奥さんのジュード。
『ウマグマ』のジャケット内側にもロジャーといっしょの写真が載っていました。
この初来日の2年前、69年に結婚した、故郷ケンブリッジの幼なじみなのです。彼女については「ニック・メイスン著『Inside Out』_6_ロジャーとニックの家族のこと」に少しくわしく出てきますので、興味のある方はどうぞ。
ちなみに、この初来日の71年の時点では、ニックとリックも既婚です。

さて
、ニック同様単身来日のデイブとリックですが、このふたりについて書かれた部分からも引用しましょう。
 

 リック・ライトがいるのを見つけた両記者は、今度は彼にアタック。MLを持ってくれというと、この人は快く承知してくれた。ヒゲをつけた物静かな風貌とは、チョッとチグハグな印象でチョコチョコと良く歩き廻る。
 さて‥‥デイヴ・ギルモアは? ステージの上らしい。松本カメラマンとステージに上がった木原記者、又もやゲンナリした顔で帰って来て云った。“すごく不機嫌そうョ。ギターの弦を取りかえてたわ、ものすごく真剣な顔で‥‥” これ以上いてもしょうがないということになり、再びステージ下のカメラマン席へ‥‥。
(P80より)
 

このあたりの4人の写真は、ミュージックライフの次の号(71年10月号)に載りました。

MUSIC LIFE 1971年10月号  P34 - 35


この日のリックの名カメラマンぶりは、なかなかのものだったようですね。
オフステージの4人を紹介するこのレポートの中にも具体的に出てくるので、その部分からの引用をします。


 ステージではバフィー・セントメリーの熱演が始まっている。
   (中略)
 その時、“サークル・ゲーム” を歌い始めた彼女のステージの脇に突然デイヴ・ギルモアが現われ、熱心に聴き入っている様子。我がMLカメラマンはすかさずそれもパチリ。所が当のデイヴ君もカメラを手に、さかんに客席やら、バフィーを取りまくっている。
  もっと驚いたことにカメラマンや記者で一杯になっている報道陣席に、突如リック・ライトがズカズカとキャノン・8ミリカメラを手に入って来たのである。そして、やおらバフィーやお客をジージー取り始めた。しかも廻りの日本人記者は誰もそれに気づかず知らん顔。
(P80より)


リックもすごいですけどデイヴもですか……。
最終章「
フロイドも一目おくバフィ・セントメリー」
(P83)には、〈“サークル・ゲーム”で始まり“ソルジャー・ブルー”を含めて約40分〉と出てきます。その次がフロイドの出番。おそらく、リックもデイヴも、途中からは自分たちの機材の最終確認などでバックステージに向かったのではないかと思うんですけどね……。

バックステージでのフロイドの様子も記事になっていましたので、その部分から引用します。


 バフィーのステージが終わり、両記者は再びガニ股風にステージ裏へ。そこには、すでに次のピンク・フロイドのエンジニア、バンド・ボーイ、マネージャー等が、忙しそうに走り廻り、メンバーは、これまた真剣な顔で、ギターのチューニングをしたり、ムッツリとイスに腰かけたりピリピリしている。ステージの階段を下りて来たニック・メイソンにカメラを向けると、ジローリとすごい勢いでにらまれた。すれちがいざまにウイスキーの臭いがツーンと鼻につく。ムムッ! おぬしかなり飲んでおるな。

(P80より)


ニックに関しては、いいんですよニックですから(笑)……という感じの空気がありそうな気がしないでもないですね。
最初のほうに、愛想をふりまかないところがかえって気に入ったみたいなことを書いていましたからね。

それはさておいて、オフステージのメンバー4人のゴーイング・マイ・ウェイっぽさ。
これについては、編集記者の方々が、ステージの様子を書いている文章の途中に、興味深い考察があります。
そこからの引用で、この「箱根アフロディーテのルポ・素顔のメンバー編」をしめくくることにします。


“アトム・ハート・マザー”が終っても、観客はしばらく我を忘れたかのようにジッと動かない。数秒後、ハッと気がついて盛大な拍手。
 両記者も職務を忘れしばし茫然。これではいけないと気を持ちなおし、ハッと気がついた。そうだ!あのビニールハウスの中の機械を写そう‥‥。早速、松本・木原班がアタック。ところがまたしてもダメ。ニクタラしいエンジニア氏がガンとして撮影をOKしない。ピンク・フロイド・サウンドの秘密を解き明かそうと思ったこちらの思惑を見事見抜かれたらしく、彼等は頑強に撮影を断り続けた。憎たらしかったけれど、自分達のサウンドに誇りと自信を持っているピンク・フロイドの頑固振りには、私達も感心してしまった次第。どんなに不愛想にされても余り腹が立たなかったのは、多分彼等の音楽に対する恐ろしいまでの厳しさと、愛情が私達にも伝わったからに違いない。そういう意味から云えば、彼等は自分自身に対して素直で、誠実な若者だったと云えるだろう。

(P81より)


(12月8日執筆



 
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Pink Floyd-Atom Heart Mother Live At Hakone Aphrodite, Japan 1971 (15:00)



付記

「アッと驚く記者会見」「大自然の効果、目をつぶり聴き入る観衆」「箱根アフロディーテの成功」については、SINKO MUSIC MOOK『DISCOVERY』(B5判148P 2011.10,18発行 The DIG編集部) P6 - 17に、ほぼ
全文が再録されています。MLを持つリックの姿など、初来日直後の号には載らなかったカラー写真も数点収録。
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