バンコク6 | 吉澤はじめ MY INNER ILLUSIONS

バンコク6

少年が寝むりこんだら、外に脱出しよう。
いろいろ、世話になっておいて本当に申し訳ないけど......
朝方、かすかに寝息が聞こえてきた。
抜き足差し足で、そーっと、部屋を出た。
ホテルの出口で黒いかたまりが動いた。
ビクッとした。
黒いかたまりの中から、ギラリとした二つの目が僕を鋭くにらんでいた。
僕は声にならない悲鳴をあげながら、大通りへ走り去っていった。

大使館に行くと、係官の第一声に驚く。
「どうかしましたか?」
「どうかしたはないでしょう!僕がどうやってここに死なないで毎日やって来れるのか想像できないんですか?」
「ああ、そうでした。書類がカクニンできましたよ。仮パスポートを作ることができますがどうしましょうか?」
「もちろん作ってください。」
「お金はありますか?」
「.....」
最初から話さないといけないのだろうか?
「今の僕の全財産はこれだけしかありません。」
そういいながらポケットからバーツ紙幣を出す。
「ああ、いいですよ。まだ、航空券を再発行する手続きもあるんで...」
どうして、こんなにノンキなんだろう。
「すいません。ぼくは、本当に帰れるんでしょうか?」
「うーん。お金もないんですよねー。」
もう、爆発寸前だった。
自分が座っているこのアルミの椅子をこの防弾ガラスみたいなついたて目がけて投げつけてやろうか?
そうすれば、きっと警察が飛んで来て、とりあえず牢屋に入れてくれるに違いない。
そうすれば、何とか死なない程度の食べ物にありつきながら、数日過ごすこともできるだろう。

僕の妄想画像の中で、目の前の係官のメガネが砕けて、額から血が流れ出るのが見えた。

外に出ると、相変わらず少年が待っていた。
---どこまで、ついてくるんだ?---
----まさか、日本までついてこようとしてるんじゃないのか?----
(帰ることができたとしてね...)
自嘲気味に、一人笑いする。
---だいたいおまえ昨日から家に帰っていないだろう。---
----大丈夫なのか?----
そう訊く気力もなくなっていた。

道ばたに壊れたラジオが落ちていた。買った乾電池を入れて、2~3時間かけてなおした。
耳慣れない言語が早口で流れている。しばらくして、タイのポップスだろうか?音楽が流れてきた。
少年が横で口ずさんでいる。
昨日とはまた違う道を、とぼとぼと歩く。
小さなコンクリート敷の公園で、子供たちが裸足でサッカーをやっている。
少年と一緒に混ぜてもらう。
着ている服が相当汚れてきた。
川沿いの露店で一着100円程度でシャツを売っていた。
半額にまけてもらって、少年にも買ってあげた。

午後、スコールがきた。
スコールの間、建物の軒で雨宿りしていると、その建物の中でテレビの収録が行なわれていた。
少年について建物の中に入っていく。
マイクを持った蝶ネクタイの男が舞台の上でけたたましい勢いでしゃべっていて、時折集まった人々がドッと笑っている。
そのうち、派手なスーツを着た男が奇声を上げて舞台に駆け込んで来て、蝶ネクタイと絡みはじめた。
漫才だろうか?
街角テレビ的な陽気で猥雑な空気が充満している。

やがて、CMに入った模様で、ステージからお客さんに何やら話しかけたりしている。
すると、突然少年が手を上げて、舞台の上の二人に大声でなにか言いはじめた。
僕を指差して、何か説明している。
舞台上の二人だけでなく、その場所にいた4~50人の野次馬たちの視線が、一様に僕に注がれている。
一連のやり取りがあって、テレビ局のスタッフと思われるインカムをつけた男が僕ら二人のところにやってきた。
少年がさらに二言三言スタッフにしゃべり、スタッフはそれに大きくうなずいている。
僕は、一体何がどうなっているのかわからないまま、スタッフに促されるままステージ袖に待機させられることになった。

ADの合図があって、ガヤガヤしていた会場が一斉に静まる。
緊張した空気が少し流れ、再びADのキュー。拍手と歓声があがり、先ほどの蝶ネクタイが舞台に上がっていった。
僕は、きっと自分が舞台に呼ばれるんじゃないのだろうか?と思いはじめていた。
そうじゃなかったら、こんな場所にわざわざ連れて来られるはずがない。
「ジャカジャーン!」
それらしい音が鳴ると、舞台の男が僕を呼んでいるのが見えた。
(おぃーーー!タイの言葉、全くわからないんですけどーー!)
少年の方に振り返ると、あいつ笑ってやがる。
いたずらをした子供のように、少し意地悪そうに口角が上がってる。
スタッフの人が、少しあわて気味に僕の肩を後ろから押す。

(エーイ、もう仕方ない。どうなっても知らんぞー。)

僕は、さっきの係官の血だらけの顔を思い浮かべて、生まれてから一番深い深呼吸をした。
そして、ありったけの大声を張り上げながら、舞台中央へと突進していった。

がんばれ!俺!