今日は、宮司を兼務する金沢市久安1丁目鎮座の延喜式内社・御馬神社の春季大祭です。1日中神社に詰めております。それで、朝7時に祭員のFさんと巫女助勤のマリ(娘の幼なじみ)とで出発するので、ブログを書く余裕がないので、昨年5月に調査を含めて非常に気合を入れて書いたブログをリニューアルして再びお届けしますね。


この金沢に伝わる「狼を退治した狛犬」は、TBSの「マンガ日本昔ばなし」でも放映された有名なお話です。


それで、本文を書く前に、昨年5月の中頃に、舞台となった金沢市の夕日寺(ゆうひでら)地区を取材して参りました。


金沢市郊外の夕日寺地区は、金腐川(かなくさりがわ)の上流域に沿って点在し、アスレチックスの松井秀樹選手や、昨年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会で日本のエースとして活躍した本田圭佑選手の母校でもある星稜高校より、少し奥まった長江谷(ながえだに)にあります。


はじかみ神主のぶろぐ


JRバスの夕日寺停留所前に、夕日寺町へと至る坂道があり、この村の入り口に観音堂の標柱と由来碑が建てられていました。


はじかみ神主のぶろぐ


夕日寺町は高台にある村落で、村の一番高いところに観音堂があります。


この話の主人公である狛犬は、白山を開いた僧・泰澄(たいちょう)が造ったことになっています。


『河北郡誌』によれば、養老年間、泰澄大師(たいちょうだいし)が医王山(いおうぜん)を下り、当地方を巡錫(じゅんしゃく)中一夜を洞窟で過ごした時、越中・上日寺(じょうにちじ)の観音を詣でる夢を見、自ら千手観音を造り、堂宇(どうう)を建立したと言われています。


またその際、観音の余材で一対の高麗犬を造り、共に寺内に安置し、養老山(ようろうさん)下日寺(しもにちじ)と名付けたとあります。


しかし、藩政期に領内の加越能(かえつのう)三国の不思議な話をまとめた、堀麦水(ほりばくすい)が著した『三州奇談』(さんしゅうきだん)には別のことが書かれています。


つまり、奈良時代に行基(ぎょうき)がこの地へ来た時に、二体の観音様を造り、その残った木でこの狛犬を造ったということなのです。


はじかみ神主のぶろぐ


一体の観音様はこの夕日寺の観音堂へ、もう一体は越中(えっちゅう=今の富山県)の朝日(氷見市朝日本町)の上日寺(じょうにちじ)へ、そして狛犬は、伝燈寺(でんとうじ)の守り神として建てられた白山宮に安置されたということです。


どちらの説が正しいのか…。┐( ̄ヘ ̄)┌


はじかみ神主のぶろぐ

この観音堂には、金沢市指定文化財として有名な、矢田四如軒(やだしじょけん)作の「板地彩色絵馬額面(いたじさいしきえまがくめん)」一対があります。


はじかみ神主のぶろぐ


これがその絵馬です。観音堂には日頃鍵がかかっていて撮影できないので、金沢市文化財紀要より抜粋しました。


昭和52年に指定を受けたこの絵馬は、板地額面に着色で神馬(しんめ)を描いたもので、一面は白毛、もう一面は黒毛の繫ぎ絵の図となっており、狩野画風の練達したのびやかな筆法で描き上げられています。


著者の矢田四如軒は、加賀八家(はっか)の老臣・前田土佐守家(とさのかみけ)の家老職を勤めた陪臣(ばいしん)で、狩野派を学び、中国や日本の古画を模写して画技を高め、早くから画名が広がりました。


武士でありながら画才に長け、数多くの作品を遺しています。とりわけ禅画や人物画の分野を能くし、代表作にはこの絵馬と、仕えた土佐守家の5代・前田直躬(まえだなおみ)画像があります。


はじかみ神主のぶろぐ


観音堂を側面から撮りました。当初四角いお堂であったものを、後に全面をギヤ出しし、増築したことがわかります。


はじかみ神主のぶろぐ


観音堂の左隣りには、氏神の菅原神社が鎮座しております。


はじかみ神主のぶろぐ


続いては、夕日寺町より1キロほど奥まった伝燈寺町の伝燈寺(でんとうじ)へとやって来ました。伝燈寺町は伝燈寺イモという希少品種の里芋の産地でもあります。


主人公の狛犬は、初めこの寺の鎮守・白山宮に安置されていたからです。


はじかみ神主のぶろぐ


小集落の伝燈寺町の道路より約20メートルほど入った丘陵上に寺はあります。


はじかみ神主のぶろぐ


開山は南北朝時代の臨済宗の僧・恭翁運良(きょうおううんりょう)で、延慶元年(1308)に創建したと伝えられています。


延宝2年(1674)・貞事2年(1685)の由来書上げによると、近世初期法灯派の法流が断絶して無住となったので、加賀藩3代藩主・前田利常(まえだとしつね)が承応3年(1654)寺領百石を与え、妙心寺派の千岳宗例(せんがくしゅうれい)が復興させました。


はじかみ神主のぶろぐ


加賀藩臨済宗妙心寺派(みょうしんじは)の触頭(ふれがしら)にもなっており、往時は多くの寺を支配下に置きました。


しかし今は、草生した広い境内に小さな寺庵が一つあるだけで、訪れる人も少なく、わずかに散らばっている石塔が当時を偲ばせます。


はじかみ神主のぶろぐ


今度は、伝燈寺町のすぐ隣りの集落である、牧町にやって来ました。


「牧」と付く地名は、大抵が社寺領を維持するための牛や馬を飼育していた地区のことで、おそらく伝燈寺の寺領維持のための「牧」であったと考えます。ちなみに『和名抄』(わみょうしょう)では「牧」を「まきむ」と読みます。


それでは、主人公の狛犬がいる、三河神社へ行ってみましょう。でも、石段が100段ほどあって、結構きつかった~!。


はじかみ神主のぶろぐ


三河神社です。


このお宮の中に狛犬があるのですが、鍵がかかっているので拝することは出来ませんでした。


狛犬は、前述したとおり、伝燈寺鎮守の白山宮にあったのですが、明治40年にこの三河神社に合祀(ごうし=合併)され、狛犬も同様に動座(どうざ)しました。


ですから、伝燈寺町の人は現在この三河神社の氏子となっているのです。


はじかみ神主のぶろぐ


境内には、狛犬の由来碑がありました。別の文献で調べてみると…。


木造、二躯(く)、阿形像(あぎょうぞう)高26,0cm、昨形像(さくがたぞう)高26,5cm、鎌倉~室町時代、金沢市牧町・三河神社蔵。


寄木造(よせぎづくり)・彫眼(ちょうがん・きょくがん)・漆箔(うるしはく・しっぱく)彩色(さいしき)。


総体に黒漆を塗り箔押(はくおし)とするが、一部に胡粉彩色(ごふんさいしき)の補彩(ほさい)がある。大きい頭部、豊かな肉付きの胸、太い前肢(ぜんし)を立て、後肢(こうし)は曲げて腰を落として坐る。


阿形は頭に一角があり流毛で、昨形の方は巻毛である。前後足先や尾などを欠失(けっしつ)し惜しまれる。もと博燈寺鎮守宮に安置されていたものであるが、明治初年の神仏分離の際、三河神社に移座(いざ)する。夕日寺観音堂千手観音(せんじゅかんのん)の残りの木で彫られたとの伝承がある。


とあります。


はじかみ神主のぶろぐ

じゃじゃ~ん!。これがその狛犬です。


意外と小さいでしょ。これがオオカミを退治した狛犬とは…。Σ(゚д゚;)


平成8年に、金沢市神道青年会という神職の青年部の、創立40周年記念誌として発刊した『神社ものがたり―金沢・河北 杜のささやき』に収録されたものより転写したもので、当時会長をつとめていた私が主体となって編集したものです。


はじかみ神主のぶろぐ


三河神社の階段をおりると、道をはさんだ民家の藤棚が見事に盛りを迎えておりました。


はじかみ神主のぶろぐ


それでは、「民話紙芝居・オオカミを退治した狛犬」をたっぷりとお楽しみください。


はじかみ神主のぶろぐ


金沢の金腐川(かなくさりがわ)の上流にある長江谷(ながえだに)の伝燈寺(でんとうじ)は、臨済宗(りんざいしゅう)の由緒ある寺です。


今から約300年前の元禄時代、この寺の和尚であった活堂(かつどう)はとても情け深い人で、村人に困ったことがあると、親身になって相談にのってあげました。


ある日のこと、小さな女の子を背負った村のじいさんが寺に駈け込んできました。女の子の手からは赤い血が流れています。


はじかみ神主のぶろぐ

「和尚さま、どうかこの孫のミヨの命を助けてくだされ」


「こりゃ、いったいどうしたというのじゃ」


「じつはオオカミにおそわれましたのじゃ。夕べワシもこのミヨの親も留守にしておりましたら、オオカミがやって来て……」


「それで、このワシにどうしてくれと言うのじゃな」


「はい、一度血のにおいをかいだオオカミは必ずまたやって来るといいます。今度はきっとたくさんの仲間をつれてやって来るはずです。どうか、しばらく孫をこの寺にかくまってもらえませんか」


「なるほど、この寺の中まではオオカミでもおそってくることはないじゃろう。ワシにまかせておきなさい」


それを聞いたおじいさんは、やっと安心して孫のミヨを和尚にあずけて家に帰って行きました。


その夜のことです。和尚はミヨといっしょに寺の奥にある白山の神さまをまつった鎮守堂(ちんじゅどう)に入り、ロウソクに火をつけ、お経をとなえ始めました。


はじかみ神主のぶろぐ

夜もふけた時です。ウォー、ウォーという気味悪い声が聞こえてきました。おじいさんの言ったように、たくさんのオオカミが入り込んで来たようです。


しばらくすると、女の子の血のにおいをかぎつけたのか、お寺の周りを這い回りだしました。


「怖がらなくてもいいのだぞ」


和尚はミヨを抱き寄せると、ふたたびお経をとなえ続けました。


はじかみ神主のぶろぐ

その時です。ウォー、ウォーというオオカミの声にまじって、ウォッ、ウォッという犬のような声も聞こえました。あれは何の声だろうと思っている間に、どちらの声もピタリとやんで、辺りがシーンと静かになりました。


村の人たちはおそろしさのあまり声も出ず、そのまま夜の明けるのを待ちました。そして朝がきました。


「和尚さまは大丈夫だったかな」


村の人たちは、おそるおそる寺にやって来ました。


「皆の衆、オオカミがたくさん死んどるぞ」


誰かがさけびました。見るとお寺のまわりに血まみれになったオオカミがたおれています。


はじかみ神主のぶろぐ

「夕べ、聞きなれない犬のような声がしたが……」


「ワシャ、孫のミヨが心配で、お寺の方に手を合わせて、ひたすら無事をお参りしとったんじゃ」


はじかみ神主のぶろぐ

「すると、雨戸のすき間からのぞいとったら、小柄な白い犬が二匹走っていったんじゃ」


はじかみ神主のぶろぐ

とミヨのおじいさんが言いました。


「そん小さい犬にオオカミが殺せるものか」


おじいさんや村の人たちがガヤガヤ話しているところへ、和尚がミヨを連れてやって来ました。


はじかみ神主のぶろぐ

「おお、二人とも無事でよかった」


「和尚さま、このたびは本当にありがとうございました」


「お礼はいから、皆の衆こちらへ来て、この狛犬を見なされ」


「ありゃ、この狛犬は、足がドロだらけじゃ」


「こっちの狛犬もドロだらけになっとる。おまけに口のまわりが血だらけじゃ」


はじかみ神主のぶろぐ

「これでわかった、二匹の白い犬というのは、この狛犬さまじゃ」


「この狛犬がオオカミを退治してくれたんじゃ」


村の人たちは、誰からともなくこの狛犬に手を合わせ、心から拝みました。


はじかみ神主のぶろぐ

めでたし、めでたし。


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