主計町・いち凛の美人女将~♪

昨夕は、女川である浅野川沿いの主計町(かずえまち)での呑み会でした。

金沢には「ひがし」「にし」とこの「主計町」の三つの茶屋街があって、料亭や芸妓の置屋が立ち並んでいるのでありますが、北陸新幹線の金沢開業を見越してお洒落な和風モダンの店が増えつつあります。

 

その中で主計町は、他の茶屋街から比べると一番こじんまりとしているのですが、平成20年に「ひがし茶屋街」とともに国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

主計町は、映画「舞妓Haaaan!!!」のロケ地ともなったところで、金沢らしい誠に風情のある街並みです。


 

主計町は、大阪夏の陣と冬の陣の両役に功のあった、加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来します。

主計町は、昭和45年に住居表示法の実施により尾張町2丁目の一部に町名変更され、主計町の地名が消滅してしまいましたが、平成11年10月1日に旧町復活の全国の第一号となりました。

 

 

この木造の建物は主計町事務所となっていますが、昔でいうところの検番(けんばん)です。花街の顔である検番は、芸妓の稽古場であります。

昭和26年に建てられたこの検番は、5年前に市の補助によって59年ぶりに大規模改修工事がおこなわれ、化粧直しされました。
 

 

浅野川左岸の目的の店に着くと、向かいには川床が設けられておりましたが、まるで京都・鴨川の納涼床や貴船の川床の小型版みたいです。

 

涼を誘う浅野川のせせらぎで、金沢の情緒を伝える主計町の川床にしつらえた桟敷席で伝統文化と加賀料理を愉しむ。京の川床とはまたひと味違った新しい夏の風物詩をぜひ、ご堪能ください。http://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/event/event.php?ed_no=3061

 

とのことだそうです。

 

 

予約していた、いち凛さんです。http://www.ichi-rin.com/

 

 

場所はなべ割烹「太郎」さんのすぐ右隣りです。

 

太郎は、鍋一筋60年の老舗ですが、金沢の食通には知らない人がいないくらい超有名店です。
 

 

話を元に戻しますが、いち凛の建物は、画家クリフトン・カーフさんが生前住まわれていた町家を改修したものなのだそうです。http://cw-karhu.jp/index.html

 

なので、カーフさんの作品も部屋ごとに飾られていて、階段にも絵が施されていました。

 

 

和服の似合う、いち凛の美人女将さんであります~♪。

 

まだ28歳なのだそうです。

 

 

二階のお座敷に通されたのですが、窓からは川床での芸妓さんの踊りが丸見えで超ラッキーでした~!。

 

まさに特等席ですよね。

 

 

酒を呑むのに夢中で料理は撮りませんでしたが、最初は京都の川床に倣って鱧(はも)が出され、加賀野菜の太胡瓜や真菰、それに魚介類など地元の食材にこだわった料理は美味しく、どの器も凝ったものでした。

 

デザートに出された、冷菓のブランマンジェにブルーチーズが仕込まれていて、これが一番おいしかったのですが、この店の名物なのだそうです!。

 

 

つ・づ・く…

 

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裏の線路で人身事故?

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私の家のすぐ裏に、IRいしかわ鉄道の線路(旧北陸本線)が南北に走っているのですが、昨年3月14日の北陸新幹線の延伸開業に伴い、JR西日本から並行在来線として経営分離され、第三セクターのIRいしかわ鉄道に生まれ変わりました。

 

で、町内には当社の御本社へと続く“八幡踏切”と、山里の榎尾町へ至る“榎尾踏切”の2箇所があり、通常は踏切に列車が接近していることを報知する警報機が鳴り、続いて遮断機が降りるのですが…。

 

10分過ぎても警報機がけたたましく鳴り響くので、気になって踏切の方へ徒歩で見に行って来ました。

 

 

そうすると、金沢駅発18:34和倉温泉駅行の特急・能登かがり火7号が、八幡踏切手前で停止していて、しばらくして徐行運転をはじめました。

 

なお、この時、デジカメもスマホも持たずにあわてて家を飛び出したから、停車中の能登かがり火号を撮れなかったので、ある鉄道マニアの方のHPより勝手に、森本駅を通過する画像を拝借した次第です。m(_ _ )m

 

 

これまで、JR七尾線を利用する能登方面(和倉温泉)への特急は、大阪発のサンダーバードや名古屋発のしらさきが乗り入れていましたが、昨春の新幹線金沢開業によるダイヤ改正により、大阪―和倉温泉間のサンダーバードは1往復のみになりましたが、代わって金沢発着の特急・能登かがり火が5往復増発されたのです。

 

 

一度家に戻って、デジカメを手にしてふたたび榎尾踏切へ引き返しました。

 

すると、上り(金沢方面行)の貨物車が踏切手前で停止していました。

 

第3セクターとなって以降も、北陸本線時代から引き続き、日本貨物鉄道(JR貨物)による日本海縦貫線の貨物列車が鉄路を利用しているからです。

 

それで、もう30分以上開かずの踏切状態で、しかも貨物列車がずっと停車したままの状態というと、考えられることは人身事故です!。

 

 

反対の下り(富山方面行)の列車も、ずっと止まったままです。

 

 

そうするとJRの保線区の方達が車でやって参りました。

 

北陸新幹線開業後2年間、運行管理と指令業務はJR西日本金沢支社の金沢総合指令所において、あいの風とやま鉄道の自社路線とあわせ、IRいしかわ鉄道とえちごトキめき鉄道から業務を受託し、金沢駅― 直江津駅間にわたってIRいしかわ鉄道線・あいの風とやま鉄道線・えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの計3路線の指令業務をおこなっているからです。

 

しかし、2年目以降は3社がそれぞれ指令システムを整備し、自社で業務を行うことになっています。

 

 

しばらくして、やっと貨物列車が動き出しました。

 

私は、保線区の人に向かって「人身事故でもあったのですか?」と問うと、かえってきた答えは「踏切不備」というものでした。

 

踏切不備とはどういうことなのかよく理解できませんでしたが、人身事故でなくてよかったです!。

 

 

その後、保線区の人達によって踏切にロープが回らされ、1時間ほど経ってやっと警報音も、遮断機も、踏切通過も解除となりました。

 

 

しかしながら、ここで「上り」「下り」についての疑問がわきました。

 

北陸線では、直江津(新潟県)→米原(滋賀県)が上り、米原→直江津が下りとなっており、基準となる東海道線から別れる路線は、東海道線から離れる方が下り、東海道線に向かう方が上りなのです。(※北陸本線区間は米原が起点なので、東に向かう列車が下りになります)

 

ですから、北陸新幹線が延伸されていない金沢駅以南の北陸本線はもちろんのこと、経営分離された金沢―直江津間のIRいしかわ鉄道線・あいの風とやま鉄道線・えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの3区間も、これに倣っております。

 

ですが、北陸新幹線は金沢→東京が「上り」で、東京→金沢が「下り」となってしまいました。宮城のおわします首都・東京方面が上りとなるのは仕方のないことですが…。

 

まあ、平成22年3月13日のダイヤ改正で運行終了した寝台特急・北陸(金沢―上野)も、上野方面(東京)が上りでしたからね!。


はじかみ神主のぶろぐ

 

以下の画像は、6年前に金沢駅構内において、その年3月のダイヤ改正をもって運転を終了する、寝台特急・北陸と夜行急行・能登のパネル展がおこなわれていた時のものですが、すべてクリックすると拡大します!。

はじかみ神主のぶろぐ

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美人局(つつもたせ)

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知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂(まさご)と五右衛門(ごえもん)が歌に残せし盗人(ぬすっと)の、種は尽きねえ七里ヶ浜(しちりがはま)、その白浪の夜働き、以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児が淵(ちごがふち)、百味講(ひゃくみこう)で散らす蒔銭(まきせん)を、あてに小皿の一文字、百が二百と賽銭(さいせん)の、くすね銭せえ段々に、悪事はのぼる上の宮(かみのみや)、岩本院で講中(こうじゅう)の、枕捜(まくらさが)しも度重なり、お手長講(おてながこう)と札付(ふだつ)きに、とうとう島を追い出され、それから若衆(わかしゅ)の美人局(つつもたせ)、ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた父っつぁんの、似ぬ声色(こわいろ)でこゆすりたかり、名せえゆかりの弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ!。

ご存じ、白波五人男(しらなみごにんおとこ)の一人・弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)が、歌舞伎の『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ) 』の「浜松屋の場」で諸肌脱いで言う口上(台詞)です 。尾上菊五郎の名跡ですが、カッコいいですよね!。

 

なお、美人局(つつもたせ)とは、夫(や情夫)としめし合わせた女が、他の男と通ずるかに振る舞い、それを言い掛かりとして夫(や情夫)がその男をおどし、金銭などを巻き上げる、ゆすりのことです。

 

 

石川五右衛門(いしかわごえもん)、鼠小僧(ねずみこぞう)と並ぶ日本屈指の盗賊・白浪五人男の因果を描く『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』は通称「白波五人男」で、全三幕九場となっております。

 

弁天小僧が武家娘に変装して強請(ゆすり)をする「浜松屋見世先の場(はままつやみせさきのば)」、五人が勢揃いする「稲瀬川勢揃いの場(いなせがわせいぞろいのば)」の2つの場面を中心に上演されます。


 

以下に、有名な「稲瀬川勢揃いの場」の口上をのせますが、首領の日本駄右衛門(にっぽんだえもん)は実在の盗賊・日本左衛門(にっぽんざえもん)がモデルとなっています。日本左衛門は江戸中期の浪人の異名で、本名は濱島庄兵衛(はましましょうべえ)といい、諸国を荒らした盗賊(強盗)の一味で、のちに自首して獄門(斬首刑の後さらし首)となりました。


日本駄右衛門
問はれて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在
十四の年から親に離れ、身の生業(なりえ~)も白波の、沖を越えたる夜働き
盗みはすれど非道はせず、人に情を掛川から、金谷をかけて宿々(しゅくじゅく)に
義賊と噂高札(たかふだ)に、廻る配付(へいふ)の盥越(たらいご)し、危ねえその身の境界(きょうげぇ)も最早(もはや)四十に人間の、定めは僅か五十年
六十余州に隠れのねえ、賊徒の首領、日本駄右衛門(にっぽん だえもん)


弁天小僧菊之助
扨(さ)てその次ぎゃ江ノ島の、岩本院の稚児上がり、ふだん着慣れし振り袖から、髷(まげ)も島田に由比ヶ浜
打ち込む波にしっぽりと、女に化けて美人局(つつもたせ)、油断のならぬ小娘も、小袋坂(こぶくろざか)に身の破れ
悪い浮き名も竜(たつ)の口、土の牢へも二度三度
だんだん越ゆる鳥居数、八幡様の氏子にて
鎌倉無宿と肩書も、島に育ってその名せえ、弁天小僧菊之助(べんてんこぞう きくのすけ)


忠信利平
続いて後に控(ひけ)えしは、月の武蔵の江戸育ち、餓鬼の時から手癖が悪く
抜け参(めえ)りからぐれ出して、旅を稼ぎに西国を、廻って首尾も吉野山
まぶな仕事も大峰に、足を留めたる奈良の京
碁打ちと言って寺々や、豪家(ごうか)へ入り込み盗んだる、金が御嶽(みたけ)の罪科(つみとが)は
蹴(け)抜けの党の二重三重、重なる悪事に高飛びなし
後を隠せし判官(ほうがん)の、御名前(おなめえ)かたりの忠信利平(ただのぶ りへい)


赤星十三郎
又その次に列なるは、以前は武家の中小姓(ちゅうごしょう)
故主(こしゅう)のために切りどりも、鈍(にぶ)き刃(やいば)の腰越えや
砥上(とがみ)ヶ原に身の錆を、研ぎ直しても抜け兼ねる、盗み心の深翠(ふかみどり)
柳の都(みやこ)谷七郷(やつひちごう)、花水橋の切り取りから
今牛若と名も高く、忍ぶ姿も人の目に、月影ケ谷(つきかげがやつ)御輿ヶ嶽(みこしがだけ)、今日ぞ
命の明け方に、消ゆる間近き星月夜、その名も赤星十三郎(あかぼし じゅうざぶろう)


南郷力丸
扨てどん尻に控えしは、潮風荒き小ゆるぎの、磯(そ)馴れの松の曲がりなり
人となったる浜育ち、仁義の道も白川の、夜舟へ乗り込む船盗人(ふなぬすっと)
波にきらめく稲妻の、白刃(しらは)で脅す人殺し、背負(しょ)って立たれぬ罪科(つみとが)は
その身に重き虎ヶ石、悪事千里というからは、どうで終(しめえ)は木の空と、覚悟はかねて鴫立沢(しぎたつさわ)
しかし哀りゃは身に知らぬ、念仏嫌えな南郷力丸(なんごう りきまる)


 

で、私は若い頃、口能登の羽咋市(はくいし)柴垣町にある国立能登青年の家でおこなわれた、スポーツ少年団のリーダー研修会に参加した夜、体育館でキャンドルサービスがあり、各班に分かれて催しを演じることになり、私は脚本を書いて、「白波五人男 能登柴垣揃いの場」という寸劇を上演しました。

誠にくだらない寸劇でしたが、傘5本用意すれば良いわけで、あとは口上をうまく言うだけですが、もちろん私が弁天小僧を演じました。

 

ちなみに、この国立能登青年の家は、行財政改革のあおりで、「独立行政法人 国立青少年教育振興機構 国立能登青少年交流の家」という、誠に長ったらしい名称の施設となってしまいました~。

 

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