下鴨神社(賀茂御祖神社=かものみおやじんじゃ)前から、京都駅発の市バス・4番系統に乗って、終点の上賀茂神社に着きました。


上賀茂神社は、正式には賀茂別雷(かもわけいかずち)神社 と申し、下鴨神社同様に山城国一宮にして二十二社 の一社で、勅祭社(ちょくさいしゃ)の筆頭であり、旧社格は官幣大社です。


京都市内の北部上賀茂の地にあり、神代の時代から信仰を集めています。上賀茂神社は下鴨神社と共に、賀茂氏の氏神を祀る神社で、葵祭(賀茂祭)などは賀茂神社両社共同で実施されます。

上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神(かもわけいかずちのおおかみ)」は、母である玉依日売(たまよりひめ)が境内を流れる御手洗川に流れてきた白羽の矢を床に置いたところ懐妊したとされます。


玉依日売とその父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は下鴨神社に祀られています。御祭神である「賀茂別雷大神」の「別雷」とは若い雷(神鳴り)という意味もあり、雷を神様と考えていた古来日本人の信仰を伝えています。


はじかみ神主のぶろぐ


参道の右手に、せせらぎが流れていて、お母さんに見守られて、子供が水遊びをしていました。


本殿の西側を流れる「御手洗(みたらい)川」と、東側を流れる「御物忌(みものいみ)川」が「舞殿」の傍で合流し「奈良の小川」となり、境内を北から南に流れているのです。


はじかみ神主のぶろぐ


『小倉百人一首』にある藤原家隆の歌、「風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける』は、祈願者の一切の罪が祓い清められるという上賀茂神社の祭祀(さいし)、夏越の祓(なごしのはらい)の情景を詠んだものとされています。

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その奈良の小川の傍らに「校倉(あぜくら)」という神庫があります。正倉院のような校倉造りですが、一体何が納められているのでしょうか?。


はじかみ神主のぶろぐ


朱色の第二鳥居前には、下鴨神社同様、21年毎におこなわれる、第42回式年遷宮の看板が掲げられておりました。


この鳥居の左前には、「神馬舎(しんめしゃ)」があったのですが、神馬がちょうど居なかったので、撮影しなかったのです。


はじかみ神主のぶろぐ


来る平成27年に斎行される、式年遷宮奉賛のお願いの大看板です。


はじかみ神主のぶろぐ


第二鳥居をくぐると、向かって右手には、重文の「楽舎」や「土舎」の修復工事がおこなわれていました。


上賀茂神社は、下鴨神社同様、国宝の「本殿」と「権殿(ごんでん)」の他、重要文化財に指定されている建造物が沢山あるのですが、全てを紹介すると膨大な画像数となりますので、ここでも割愛させていただきます。


はじかみ神主のぶろぐ


二の鳥居を入ると一番最初に目に入るのが、円錐形に整えられた「立砂(たてずな)」です。立砂は「細殿」前に作られ、神様が最初に降臨された上賀茂神社の北2kmにある神山を模して作られたと言います。一方、「本殿」前の立砂は、少し小ぶりのものでした。

はじかみ神主のぶろぐ


現在でも鬼門や裏鬼門に砂をまき清めるのは、この「立砂」が起源とされています。毎年9月9日におこなわれる「烏相撲(からすずもう)は、立砂の前に土俵を造り児童などが相撲を奉納します。

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「細殿」は、皇族方が行幸(ぎょうこう)される際や、斎王(さいおう)が到着されたときに使われた殿舎です。寛永5年(1628)に造り替えられ、重要文化財に指定されています。


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「舞殿」は橋殿とも言われ、境内を流れる御手洗川(みたらいがわ)をまたぐように建てられています。夏越大祓(なごしのおおはらえ)では、この橋殿から御手洗川に人形が流されます。当然重要文化財です。


はじかみ神主のぶろぐ


「舞殿」の説明板です。


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「楼門」の右に、「片山御子神社」(片岡社)があって、上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」の母君である「玉依比売命」を祀ったお社で、縁結びの神としての信仰があるのですが、残念ながら、修復工事のため覆い屋があって撮影できませんでした。


その「片岡社」の右手前の小高丘に、「岩上(がんじょう)」と呼ばれる荒々しい岩肌の岩盤があります。自然形成された一枚岩であり、5月15日の「葵祭」の時、この「岩上」なしでは祭りが進まないというとても重要な場所であります。


葵祭の日、宮司がこの岩の上に座するのだそうです。すると宮司に賀茂の神が宿り、宮司の体を通して神の意思である「返し祝詞(かえしのりと)」を告げるのだそうです。この意思を聞き、祭祀が執り行われるという運びです。


はじかみ神主のぶろぐ


「岩上」の説明板です。クリックの上、拡大してお読みください。


はじかみ神主のぶろぐ


重文の「楼門」です。この先に「高倉殿」があり、一般の参拝者が「本殿」や「権殿」を拝める場所ですが、ここから先は写真撮影は禁止となっております。


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上賀茂神社の一の鳥居から100メートルほど東へ行くと、明神川の清流に沿って、「社家町」の町並みが広がっています。


はじかみ神主のぶろぐ


室町時代から、上賀茂神社の神官が代々住んでいた住居「社家」がよく保存されています。上賀茂神社から流れ出た奈良の小川が明神川と名前を変えて、各社家の前を流れているのです。


この地域は伝統的建造物群として、保存地区に指定されています。

はじかみ神主のぶろぐ


境外末社の「藤木社」は、上賀茂神社の神官が住んでいたという社家が立ち並ぶ、明神川の側に鎮座しています。藤木社は明神川の守り神として信仰されているのです。


藤木社の後方には樹齢500年といわれる楠(クスノキ)の大木があり、遠くからでもよく見通せ、この地を示すシンボルとして崇められいます。平成18年には京都市指定の保存樹に指定されています。


はじかみ神主のぶろぐ

「藤木社」の説明板です。


はじかみ神主のぶろぐ


社家では明神川の水を廷内に引き入れ、生活用水としたほか、水垢離(みずごり)にも用い、体を清める水としても大切に使われていました。

はじかみ神主のぶろぐ


第一鳥居前からタクシーに乗り、鴨川土手のケヤキ並木を横手に見ながら、ホテルのある祇園へと向かいました。


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八坂神社門前の、四条通りにある祇園ホテルが見えてきました。


はじかみ神主のぶろぐ


明日は、いよいよ祇園の夜をお伝えしますね。

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