今日は新盆ですね。金沢では新盆と旧盆があり、いわゆる旧市内と呼ばれる街中が7月の新盆で、私のような新市内(郊外)の田舎者は8月の旧盆に実施します。


金沢のお盆は、下の画像にあるように、燈籠型の「キリコ」というものを墓前に供え、中にロウソクを灯して墓参するのです。


はじかみ神主のぶろぐ


当家は神道ですから、「箱キリコ」の「南無阿弥陀仏」の六字名号の紙を張り替えて、表に「奉燈(灯)」あるいは「献燈」と墨書し…。


はじかみ神主のぶろぐ


裏には、右上に「進上」、左下に「名前」を書きます。


今回は紙を張替えましたが、8月の旧盆の際は、出入りの業者が「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」等印刷されていない、真っ白な「箱キリコ」を届けてくれます。


はじかみ神主のぶろぐ


このように墓前にお供えし、ご先祖やゆかりの人達の御霊を慰めるのです。


しかしながら、7年前にいくつかの寺院が、お盆後のキリコの焼却や後始末に困り果て、キリコ禁止令を出したところ、「名刺がわりのキリコがないと誰が来たかわからん」という不満の声が出たので、市内の業者が「板キリコ」なるものを考案しました。


はじかみ神主のぶろぐ


これが「板キリコ」です。今では、「箱キリキ」と「板キリコ」の比率は4対6なのだそうです。


市は、キリコや花も、盆が過ぎればゴミとなり、撤去に3日も要し、加えて、箱キリコだと釘を分別しなければならないが、板キリコだとそのまま焼却できるメリットがあるといいます。


それはもっともだと思いますが、まず「名刺代わり」という言い方が気に食わないのです。そんな気持ちで墓参するのなら来ていらないと、故人は言うでしょうね。


また、「キリコ」のそもそもの由来は、精霊の迎え火なのですから、「板キリコ」じゃ灯明を灯せませんからね!。


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それで、昨日は、早朝5時過ぎに家を出て、野田山へ親戚の墓参りに女房と行って来ました。


野田山墓地は、天正15年(1587)、藩祖・前田利家が、兄利久を葬ったのが始まりで、以後前田家累代の墓所となり、前田家墓所は昨年2月に国の指定史跡となりました。


その後、家臣団、百姓、町人が宗派、身分に関係なく麓にいたるまで墓をかまえ、明治以降は市営墓地も造成されて金沢における一大霊地となっているのです。


朝5時半頃にもかかわらず、たくさんの人達が墓参に訪れております。この丘陵の最上部に前田家墓所があります。


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利家公(高徳院)の墓です。昨年記録した画像ですが、前田家墓所については私の12月3日のブログ 押をご参照ください。


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なぜ、そんな朝早くからお墓参りに来たかといいますと、15日まで午前9時~午後5時の間交通規制がかかり、一方通行となります。


金沢市民のほとんどが、野田山へ墓参に行くんですから、近辺はすごい交通渋滞になるんですよ~!。


なお、画像はクリックすると拡大します。


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大乗寺口から車で進入しました、ここを右折すると曹洞宗の専門僧堂の大乗寺 となります。


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大乗寺は、あのアカデミー賞外国語映画賞受賞作品「おくりびと」に主演した、本木雅弘の主演作の「ファンシイダンス」の舞台となったお寺です。


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朝5時半だというのに、墓守(はかもり)の家では早くも店が開けられておりました。


金沢では、野田山の近郊に住む人びとに、墓地の管理を依頼するということが行われてきました。そういった家は代々墓守として墓地の清掃や管理を行い、墓地の管理費を生計の一助としてきました。この墓守制度は野田山墓地の特徴として約400年の歴史があるといわれているのです。

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ここのテントにも…。


キリコやお花、ロウソク、線香などが売られております。


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最初のお参りは、親戚の石浦神社と猿丸神社の神道墓所です。坂をあがる手前の左側に木製の鳥居があり、ここをくぐると奥都城(おくつき)となります。


墳墓の写真を撮るのは遠慮しましたが、早くも親戚の方達が「キリコ」を献灯されておられました。お花を供え、拍手を打ってお参りしました。


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石浦神社の累代の墓所から少し登ったところに、大きなお墓があります。これは、金沢に本部(本庁)を持つ、ある教派神道の初代管長(教祖)のお墓です。


このお墓は、墓相学に添って建てられており、回りを境界を示す樹木に見立てたコンクリートの瑞垣(みずがき)で囲み、土に帰るという意味で玉砂利が敷かれております。


本来、神社の神域を囲む「玉垣(たまがき)」「瑞垣(みずがき)」「斎垣(いみがき)」などは、大嘗宮(だいじょうきゅう) に見られる「柴垣」がルーツとなっています。


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なお、大嘗祭(だいじょうさい・おおにえのまつり)とは、天皇様が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭(にいなめさい)で、一代一度限りの大祭であり、実質的に践祚(せんそ)の儀式となります。践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)ともいいます。その大嘗祭を斎行するために新設される古様の宮殿を大嘗宮といい、柴垣で囲み、、悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)・廻立殿(かいりゅうでん)などを臨時で建てるのです。


この当たりは神道墓地が多いですね。お墓に榊を供えられております。


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車で野田山の上部へとやって来ました。


金沢市の市民課が分譲する市営墓地が広がっています。


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このように金沢の市街地が見渡せる格好の地です。


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お尻星人、の女房の後姿です。


義父(女房の父)の墓は、市営墓地上の野田山広斉寺(ごうさいじ)霊園にあります。


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この大きな墓は、N精密機械工業の創業者の墓です。


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女房がどんどん奥へ行ってしまいました。


おいおい、そんな奥じゃなくって手前だぞ!。しかも道が1本違うって。自分の父親の墓も忘れたんか!。


無理もありません、20数年前、女房の祖父が亡くなった際、義父がこの墓地を購入した時はこんなにもお墓が建ってなかったんですから…。


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キリコと手向けの花を供えて、女房の父と祖父・祖母に手を合わせた次第です。


帰路、交通規制を知らせる看板が、あちこちにありました。


はじかみ神主のぶろぐ


早起きは三文の徳といいますが、渋滞に遭わずに清々しい気持ちで墓参することができました。


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