昨日は、シルバーウィークの最初の日曜とあって、兼務神社5社の秋祭りをご奉仕いたしました。
本来は、9月15日の敬老の日が大祭日だったのですが、平成13年に、あの悪法「ハッピーマンデー」によって敬老の日が9月第3月曜となってしまい、獅子舞やお神輿を繰出す町会は、しかたなく、第3日曜に祭礼日への変更を余儀なくされたのです。
今回も、各町内ごとの神社や祭礼をアップしますが、残念ながら、午前11時より執行した、金沢市忠縄(ただなわ)町の忠縄神社の祭礼の様子と獅子舞の画像が、手違いで消えてしまったのが残念です。
能登の祭りの華は「キリコ」ですが、加賀の祭りといえば「加賀獅子舞」です。
「獅子頭」は、所有する町内会のシンボルであり、宝であり、団結の源です。
それでは、ます、午前7時半からの金沢市堅田町の譽田別神社(ほんだわけ神社)での、獅子舞のお祓いから紹介します。
登り口近くに咲いていた彼岸花です
赤い花なら~曼珠沙華(まんじゅしゃげ)~♪
彼岸花の別名・曼珠沙華は仏典でいう天上の花の意
幕末に建てられた、切り妻造りの
「アヅマダチ家屋」です
譽田別命(ほんだわけのみこと)は応神天皇の
諱(いみな)で、八幡さまをお祀りしています
町内会館に集まって来ました
堅田町は90軒程の戸数で、他に堅田団地の
約100軒があります
明治時代に町内に大火が続いたため
内灘町の大根布地区が保有する五獅子の内
一頭を、お百度を踏んで、このみどり獅子を
譲り受けました、以来町内には火災がありません
初代のみどり獅子は、加賀の名工・大野弁吉の作で
この二代目は、人間国宝・三階千嶺(さんがいせんれい)
の手によるのもです
人員が必要です
棒振りのかぶっているのは赤熊冠(しゃんがん)
という馬の毛でつくったもので、加賀の殺し獅子
というくらい、獅子と対峙し、最後に仕留めます
胴体は蚊帳(かや)と呼ばれ、7人で胴竹と尻棒
を持ちます
獅子頭を操るのは、頭持ち(かしらもち)で、
この写真の頭持ちの、畳屋さんのS君の
上・中・下段の構えや足運びが素晴らしい!
私も花(はな=寄付)を打ったため、「右ごひいき
とあって宮司さんより堅田町獅子舞若連中にくだ
さ~る」と、声高に呼ばれました
今年は錦帯(きんたい)というラシャ製の前掛けを
新調したので、みな張り切ってます!
裁付袴(たっつけばかま)の出で立ちです
太鼓に尺六(しゃくろく=尺八より短いもの)
と三味線によりお囃子を行ないますが、
普通は笛を使うところを、堅田町は伝統的
にこの尺六を使います
かわいいですね…
子供の棒振り衣装には、大名の火事装束を
模して、胸当てに金糸刺繍(きんししゅう)で
その家の家紋が縫い付けられています
少し前までは、金沢の茶屋街の芸者さんを
雇ってましたが、時給8千円ほどなので、
ほとんどが止めてしまいました
なお、金沢には、東、西、主計町(かずえまち)
の3つの茶屋街があり、競い合っています
このあと、一日かけて町内を練り歩きます
での秋祭りです
当初白山神社といいましたが、大正期にこの
奥の四坊町の春日神社を合祀(ごうし)して
花園神社と改称したのです
鎮守も杜(もり)は、市保存樹林に指定されて
います
月影町は、25軒ほどの小集落ですが、藩政
時代から続く花卉栽培(かきさいばい)が盛ん
です
午後より、お隣・今町の獅子舞が到着します
昭和58年の改築の際、当社・波自加彌神社
の旧拝殿のものを再利用しました
なお、このあと、午前11時に、忠縄神社の
獅子舞のお祓いへと行くのですが、画像が
消えてしまって…
忠縄町のみなさん、ゴメンナサイ
の秋祭りに参りました
戸数9軒の山間の集落です
急な階段でしょ!
村の人たちが今や遅しと待っておられます
この村の出身で、一代でコンベアー大手の
会社を築き上げた、元金沢商工会議所福会頭
の故・K氏が、会社設立30周年を記念して、
昭和60年にご寄進いただいた本殿です
注連縄(しめなわ)の紙垂(しで)が片方しか
ないため、すぐに付け替えました
戻って参りました
堅田団地町会の手づくり神輿(みこし)です
朝8時に、先に団地の町会会館でお祓いを
済ませてあります
団地町会の副町会長なので張り切ってます!
団結心があります
神輿は、同町内のS氏の手づくりになるもので、
毎年繰出しておられます
フリー化したため
みな、酔っ払いながらも気合が入ってました
小野白山神社での秋祭りです
小野町は、わずか10軒の山里の村ですが、
3年前の伊勢の神宮の遷宮の最初の行事
である、「お木曳き」に、たくさんのご参加を
いただきました
楠公)と息子・正行(まさつら=小楠公)の
「桜井の訣別」像です
青葉茂れる桜井の~♪(古い?)
最後の祭礼なので、直会(なおらい)でしこたま飲んで、へべれけになって家路へとついた私でした。