hainanshifandaxuenakaのブログ

もと中国在住の日本語講師、現在は無職あるいは某進学塾非常勤講師、非常識じゃなく非常勤


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 なおも川崎の事件について。

 自分の時間を犠牲にし、尼崎の夜の街を駆け回り、登校常ならずの生徒との対話を一心に行っていた秋月教諭を尊敬しながら、日記の後半では「学校に来ない生徒を連れてきて席に着かせるのは『制度』の役割であって教諭の仕事じゃない」などと書くあたり、相当に論旨の混乱があるなと、自分で思いました。

 そして、「全ての親が自分の子どもに対して危機感を持つべきだ」と言ったところで、ある種の「親」にはそんなこと期待できない状況がある、そのことも実はわかっています。子どもにテレクラ(古い言葉だね)で金を稼ぐよう強要し、「やめてください」と要請すると、恐ろしい顔で「でも先生、体を売るわけじゃないんですよ」と抗弁した親を実際に知っているし、そりゃ1人じゃなくそういう「層」があることもちゃんと認識しています。

 それでも、教師はちゃんとしろ、学校はちゃんとしろ、社会システムを機能させろ、と声高に言い立てることで無力(あるいは子どもに直接害をなすよう)な親を結果的に免罪している、そのことについての苛立ちは消えません。とりわけ、尾木や水谷が親よりも「先に」学校を初めとする社会システムの機能不全を指摘するのは、そっちのほうが「楽」だからです。教師の数が今の十倍いて、教諭の行動を一から十まで知っておかないといけないと焦るわけのわからない校長や教育委員会もなくて、つまり自由な発想と行動が約束されているなら、尾木や水谷の言うことの間違いと罪も軽減される。しかし現実にはそうじゃない。

 「学校関係者の努力で防げた事件だ」と言い続けることはとても簡単だ。そして、神戸の事件も綾瀬の事件も黒磯の事件も佐世保の複数の出来事もおおいに「学校」を反省させるものであったのに、何かが進歩した、変わったというわけじゃない。尾木も水谷も古い発想と文脈で……特に実際の業績が本人達にはあるから……教師が変われ、と言い続けることをやめないだろう。親の問題を初めとする新しい切り口から日本の年少者の以上事件を解決しようとすると努力が必要だ。そしてその新しいことはもしかしたら古い「教育評論家」の(特に水谷の)過去の「実績」をいったんチャラにするかも知れない。この人々が新しいことを言い始める日はだから永遠に来ないだろう。

 子どもは、何か外部の「悪い」働きかけがあって凶暴になったのではない。

 もともと、大なり小なり子どもは「壊れている」のだ。それを「行動面で」修正し、異常な想像が行動に移されないよう、まずは親が機能する必要があった。そのために、「うちの子は果たして大丈夫なのだろうか」とまずは危機感を持つことが必須だった。我が子を「疑う」わけだがそれは当然だと思っている。生まれながらに人間は凶暴である。それが「想像」の段階で留まっている状態で青年後期を迎える。それが親の勝利である。

 「何がこの子を凶暴にした」という。何かが「あった」からじゃない。凶暴性が実行に移されないための何かが不幸にして「なかった」からだ。

 子どもが2ヶ月半になったら分かっても分からなくても耳元で昔話を囁いてやりたい。絵本を読んでやりたい。そうやって子どもの凶暴性(子どもは全員が持っている。本当だ)は想像の世界に固定され現実のものとなることがない。

 「そんな簡単なことを」と私は思うがそれが簡単じゃないから事件は連鎖する。しかしいいかげんに「教育評論家」を黙らせ、私たちが個々の家庭で何が有効なのかを考えるべき時期だ。

 

 明日も日記にこの事を書きます。



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