以下、シューマッハ、アロンソ、ハミルトン、クビサ、ロズベルグ、マッサ、ウェーバー、ペレスが自らのクラッシュについて振り返る。
そして、彼ら8人と違って、事故の後遺症でF1を去らざるを得なかったベンドリンガーの記事。今は元気な彼の笑みを見ると正直ホッとする。あのモナコでのクラッシュは本当にショックだったもの。
F-1速報PLUS (プラス) vol.22 2012年 2/21号 [雑誌]/著者不明
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ただ、そういったポジティブな記事だけでなく、引退後の傷跡を抱える右京、虎之助、中野信治のインタヴューを読んでいると、いかに格段にレースの安全性が向上したとは言え、F1が、モータースポーツが、本当に危険と隣合わせで、それを覚悟して走っていることを改めて感じる。
右京選手のように、傷が癒えてテストでコクピットに座った瞬間、治っているはずの痛みがフラッシュバックしたとか、多くの仲間を送ってきた中で、「自分が生きていることが許せないというのがある」と語り、極限の世界を生きる人生というのは、僕から見れば、“狂気”に映る。
そうした多くの犠牲を糧にして、F1は、たゆまぬ安全性の向上に努めてきた。
クラッシュテスト、シートベルト、ヘルメット、HANS,バイザー強化パネル、そしてサーキットの改修。こうして並べられると、イモラだけでなく、多くのクラッシュから、F1が多くを学んできたことが分かる。“最高峰”の称号は伊達じゃない。
そして、最後を飾るのは、大事故からの復活を果たそうとするクビサと、復活を果たしたザナルディに関する記事。
特にザナルディの事故からの復活へ至る過程は、改めて読み直すともう、壮絶の一言。いや、辛くて、一回読むのを止めたくらいだ。とりわけ辛い治療を終えたある午後、ロビーで車椅子の男性に呼びとめられて、サインを求められて、こう言われたという。
「あなたは足の一部が残っているからまだ運がいい。今は無理でも、きっと歩けるようになりますよ。私はご覧のとおりの有様だから一生車椅子とは縁が切れそうにありません。どうか頑張ってください。応援しています・・・」
動揺を押し殺してサインしたザナルディは、車の中でステアリングを握りしめながら「お前は、なんと下らないことで文句を言っているのだ」と自分を叱ったのだった、という。
どんなに安全なマシンやサーキットが作られても、クラッシュはなくならない。それでも、その“宿命”に逆らってでも、安全性は守リ抜く。主催者だけでなく、ファンも、そうした施策を支援しなくては・・・読み終えて思ったのは、まずそれだ。