今回の大寒波はようやくピークを超えたのでしょうか。雪は昨日(16日)も少し降りましたが、もう
積もる程でもなかったかな。その前の雪も殆ど融けて道路の北側にシャーベット状に凍った状態で
少し残っているだけです。相変わらず寒いことは寒いのですが、日中の陽射しは・・・。
こんにちは、本日の季語は「日向ぼこ」(ひなたぼこ)・・・冬の季語です。要は「日向ぼっこ」の
ことですね。他に「日向ぼこり」また「日向ぼこう」ともいいます。陽の当たる時間の短い冬季は
暖かい日向が恋しくなりますよね。駅のホームなどで待つ人もみな日向に立っているものw
戸外でも風の無い晴れた日の陽だまりで浴びる暖かい陽射しは、じーんと来るほど暖かいものが
ありますし、家の中でもガラス戸の内側に射し込む陽射しは ほっかりと暖かいのです。
暖房の暖かさとはまるで違う気持ちの良さをあなたも御存知でしょ?まさに至福のひととき・・・
もちろん、家の中でひとりで暖まるだけではありません。
風の無いときの冬の戸外、空は綺麗に澄み切った青色をしています。
家の外に縁台を出し、そこに気心の知れた方々と一緒に暖まるのもまたよいものです。
まあ、今どき縁台なんか死語かもしれませんし、存在すら忘れられそうな御時世ですが、お茶を
飲んだり世間話に興じたりと、冬だけではなく夏の夕涼み時には大活躍したものでしたが・・・。
日頃、何気なく使っている言葉「日向ぼっこ」・・・。日向は分かるけれど、何で「ぼっこ」と付く
のだろう?と思ったりしてね。歳時記にもよりますが、通常は「日向ぼこり」が季語としてあり
「日向ぼっこ」はそのサブ的なものと捉えられています。でも、”ぼこり”って何さ?
語源は諸説あるのですが、最も古いものが『今昔物語』に使用されています。
「日うららかにて日向誇りもせん若菜も摘みてむ」というフレーズですが、若菜とあるので春先かな。
この「日向誇り」⇒「日向ぼこり」⇒「日向ぼっこ」と変化していった説があります。
要はこの「ぼこり」の意味をどう捉えるかなのでしょうね。
他にも江戸時代の書籍ではこの「ぼこり」を「火凝る」と書かれている場合もあります。
焼くことが「ほこらす」であり、そこから日を向いて暖かくなるから「ひなたほこり」となった・・・
などなど、諸説あるようですが正確なところは不明でありよく分かりません
よく質問を受けるのがいわゆる”日光浴”と”日向ぼっこ”はどう違うのか?ということ。
基本的に共通するのは、太陽光を身体に受けることですよね。
日光浴ならオールシーズンで、「日向ぼっこ」は陽だまりを楽しむ意味合いが付加されるので
冬ならではのもの、という感じでしょうか。私たちは無意識の内に使い分けていますが、真夏に
日向ぼっことは普通言わないよね。 なので日光浴は季語にはなりません。
また、水着や素肌を多く露出させて太陽を浴びるのが日光浴で、着衣のままで太陽光線を浴びる
のが「日向ぼっこ」とする場合もあるようですが、こちらも明確な定義分けといえるのかな?
この辺りはちょっとよく分かりませんね。
だけど、そんな理屈は後回しにしても、日向ぼっこっていい気分。暖かな太陽の光を浴びていると
思わずうとうととしてしまいそうです。半ば夢、半ば現実の世界であれこれ思うことなど・・・
いまここにいるのは等身大の自分。嘘も隠しもない自分自身。
見栄も虚栄も虚飾もない自分自身がそこにいる。
心が柔らかくほぐれていくような、幸せで満ち足りた気分です。
まどろみの中でぼんやりと自分が死ぬ日のことなど思うのもまた一興ですわよ。
出来ることなら、こんなに綺麗な青い冬の空の下で死にたいなあ、なあんてね。
【画像引用:諸星大二郎『バイオの黙示録』~案山子~ 】
あの世が漆黒の闇でこの世が明るい陽光の光ならば、その中間でうろうろしているゾーンは
何色だと思います? うん、きっとそれはね、淡い灰色ではないかと・・・。
そうか、だから私は灰色の猫なのかしら(爆
カメさんの日向ぼっこが出て来たので・・・。以前にも載せた大好きな画像をふたたび♪
カピバラさんの平和な日光浴というか日向ぼっこを ↓
いつも不思議思うけれども、なんでカピバラさんはこんなに他の動物に好かれるのでしょう?
カピパラさんがひとりでいると、いつの間にか他の動物たちがわらわらと寄って来るんだよね。
↓猫さんとはもう相思相愛の仲って感じ? 閉じた目が可愛いね☆
↓もちろん、わんこさんたちとも友好的。わんこたち、カピバラさんが気になって気になって・・・
↓大好きなカピバラさんをみんなで取り囲んじゃお☆とカメさんたちが全員一致しましたあ~!
うーむ・・・他の動物たちに愛されるフェロモンを発しているのでしょうか?
まるで、寒い日でも、日向ぼっこをさせてくれるお天道様のようなカピバラさんでしたー♪
それでは、今日はこの辺で・・・またね。