偉い先生~ウィりの森に住むミルタのように~ | michiruの書斎

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年を取って、初めて分かることは多い(68歳)
 表現は、1に、事実にもとづき、2に、論理性があり、3に、人を幸福にするものでありたい(69才)。私の人生にはに浮き沈み、紆余曲折があった。だからと言って、どれが幸福で、どれが不幸だと言えなかった(70歳)。

miruta カフェグローブ掲示板で偉い先生に出会った。
その態度は、こちらが既に知っている事でも、お前ら知らないだろうから教えてやると言う風に、ごちゃごちゃ掲示板に書き込む。そして、私のブログ「バレエ・ダンス鑑賞記」を読んで、「バレエ評論を期待して読みに行った人は1行読んで逃げ出すだろう」とのたもうた。
私はバレエを教わったことはないし身近にバレエをしている人もなく、バレエ評論などいささかも考えたこともないのに、勝手に私の記事をバレエ評論の範疇に入れて係る見地から、くさしてくる。
日記が評論でないのは当然なのに、この人はいったいなにやるのかと思った。それに「1行読んで逃げ出す」という表現が小憎らしいではないか。「殆ど読んでくれる人はない」の比喩として、偉い先生は、わざわざこんな斜に構えた言い方をする。
こうしたことに、異を唱えると「けなされるうちが花」と反論してきた。言い換えると「無視されるようになったら終わり」と言うことになるが、こちらは偉いから、「こんな偉い先生にけなされて光栄だと思いなさい」と言いたげである。何にしても、この人は他の人を捕まえては、お前ら学がないからだめだ、私が教えてあげる、どうだ、私に教えてもらえてありがたいだろうと、言いたいたげである。
私が、日記として見たまま感じたままを書いている「バレエ鑑賞記」は、それ自体として、独自の意味を持ち、連日高いアクセスを誇っている。この偉い先生がやったことは、その辺に転がっている鉄を拾ってきて、金でないから駄目だと言っているのと同じである。私の見たまま感じたままを書くのに何故目くじら立てなければならないのか、解せない。
そして、私の書いている上記日記や「自分史」を、特定の個人団体や実名を挙げすぎると言うが、マスコミに比べれば物の数ではない。しかし、これを徹底して行くと、結局記事がかけなくなる。しかし私は名誉毀損やプライヴァシー保護の限界は一応知っている。ある会社に「お前ら一体何する気だ」と怒鳴り込んだことがあるが、被害者だったからこのくらいの言葉は許されるとの計算づくである。
彼女は尤もらしい言い分を付けては他人の活動を妨害してくるからたまらない。そこで私は、掲示板から彼女を追い出そうとして、散々闘ったところ、今回は勝ったようで、彼女の方から「では、ごきげんよう」と言って出て行った。
しかし、これまでの彼女は、掲示板カフェグローブに鎮座し、そこに迷い込んだ男たちを散々躍らせた挙句、
谷底に突き落としていた。
それは、さしずめ、バレエのジゼル第2幕、ウィりの森に住むミルタであった。