若田光一宇宙飛行士「さいたま市帰還報告会」に行ってきた(4) | ホシボシヲミツメテル ~spoken words about a great number of tiny stars

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宇宙や天文、「星」に関するものごとやコトバを拾い集めています。

質問コーナーが終わり、少年時代の若田光一宇宙飛行士について語るコーナーが開始。

司会者「実は、ここでちょっと若田さんにサプライズがあります」
若田さん「サプライズですか? なんだろう・・・」

そして、関係者席一番前の一番端に座っていた老婦人が立ち上がり、登壇。なんと若田飛行士の小学校時代の担当教師だったんですね。それでスタッフから「できるだけ見つからないように」なんて指示を受けてたんだw

ちなみにこの先生と若田さんは、7年ほど前にヒューストンで会って以来久しぶりに対面するとのこと。ヒューストン訪問時、若田さんに地元のシーフードレストランでご馳走してもらったんだそうです。

子供時代のエピソードについて司会者と先生がいろいろと話しているのに挟まれて、ちょっぴり若田さんが困ったようなカオを浮かべていますw ちなみに先生が担任だった頃は若田さんが宇宙飛行士になるとは思わなかったそう。まぁそりゃそうだよな、生徒を見て「この子は将来宇宙に行く」とかわかるわけないだろうし。

また、テスト用紙のウラに月とロケットの絵を描いていたりなどしていたといったエピソードが暴露されたりもしていました。これについて若田さん、「小さい頃のヒーローは宇宙で仕事している人たちではあったので、その頃から宇宙への憧れはあったかもしれない」と宇宙飛行士らしいコメントをしますがさすがに苦笑い。司会者から学校はどうでしたかとの質問にも、「先生のおかげで学校に行くのが楽しみで、給食とかも楽しみでした、揚げパンとかすきでしたね」とほのぼのした答え。

さらに、若田さんが読書感想文で入選したときの話も披露。「おにたのぼうし」(だったかな)で、豆まきされていじめられている鬼の話で、その本についての若田さんの感想が「僕のうちに来たらおにたと一緒に遊びたい」だったそうで、今の若田飛行士の三つのモットーのうちの一つ「思いやり」に通じるものがありましたと、先生きれいにまとめていました。

先生が席に戻ると若田さん「先生が来るのは台本に入っていなかったですねえ(^^;」ところどころしどろもどろになっていたので、ほんとにサプライズだったんだなぁ。

その次はステージ上にテーブルが準備され、若田宇宙飛行士記念手形寄贈式に移ります。手形を取る石膏が準備され、若田さんが右手を押し付けようとするところがカメラで大画面モニタに映し出されます。

そこで若田さんの手を見ていた司会者が、「あ、若田さんの手は大きいと思っていたんですけど、思ったほど大きくないんですね」とコメント。若田さんも「そうですね、そんなに大きいほうじゃないですね」と答えながら、手形作成に入ろうとします。

そこで司会者から「ちょっと触っていいですか」とお願いが。「あ、はい、いいですよ」と若田さんが応じると、司会のお姉さんがつまむような感じでふにふにと若田さんの手を触りながら、「おー、あー、あ、ああー」と唸りますw ひとしきり触っての感想は「なるほど。暖かくてやさしい手でした」。

で、改めて手形作りを再開するのですが、家政婦は見た(違
モニタはずっと若田さんの手をクローズアップしていたのですが、触られた手を無意識にブルースーツ(青いつなぎね)の腰の辺りで拭う場面が映っていましたw いや別に無意識にやったことであって他意はないと思いますきっとw そんなこんなで無事(?)、手形作成と、さいたま市への贈呈が終わりました。

さいたま市教育委員会がお礼の言葉を述べ、最後に若田飛行士からのメッセージ。

本当に多くの来場者があったこと、今回のような報告会の機会を作ってもらえたことに謝意を述べ、恩師や小学校の同級生と久しぶりに会うこともできて感無量であり、故郷はやはりすばらしい街だなと感じたと、さいたまに対して感謝の気持ちを表していました。

宇宙飛行士という職業については、5歳の頃のアポロ月着陸を見ていたときには、今こういう仕事をしているとは思っていなかったとのこと。そして、目標をしっかり持って夢に向かってもらいたい、失敗してもくじけずに目標を前に掲げて進んでほしいと子供たちにエールを送っていました。

若田さんも、JAXAとして暮らしに役立つ研究開発を進めていくし、仲間の宇宙飛行士もどんどん宇宙でがんばっていくので、みなさんも応援していただけたら、また自分も今後も宇宙飛行士を続けていくつもりで、将来は種子島から宇宙船に乗って月や火星を目指せればいいなと思いますと、日本の宇宙開発の発展を願っていました。また、この会場の中からも未来の宇宙飛行士が生まれ、一緒に宇宙へ行きたいとも。

こうして、帰還報告会は終了しました。