東日本大震災から6年 | 土生みさおのブログ

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あれから6年。


6年前のあの時も確定申告に追われていました。
役所に用事をすませに行き、

帰ってきて遅い昼ごはんを食べている最中に、地震がきました。

当時、東京の杉並区の甲州街道から少し入ったところに住んでいました。

背中の真後ろに食器棚があって、

食器棚の扉を押さえ、
一枚お皿が食器棚の中で割れた程度で、
大惨事には至りませんでしたが。

二回目の地震のとき、
遂に関東大震災がきたかと思いました。

同時に、発生場所が東北地方だと、ご近所さんのどなたかが玄関から外に向かって叫んでいる声が聞こえ、

父の実家のある宮城も、おそらくとてつもない地震に襲われたであろうと思い、

即座に、

どうか皆が無事であるように、と

揺れがおさまるのを待ちながら、心の中で祈るばかりでした。

揺れがおさまってテレビをつけると、

どうやらとんでもないことが起きているようだとは思いましたが、

しばらく見ていると津波の映像が映し出され、リアルに起きていることとは信じがたい思いでした。
 
外が暗くなって、帰宅困難者が出ているとか、
コンビニの食べ物が空になっているとか、
 
ニュースで報じられているのを目にし、自分に何ができるだろうか、、、と思いあぐねました。
 
そうだ、白飯でもいいから、おにぎりを作ろうか、と思い、1升以上のごはんを炊こうと思いつきました。
 
蒸らしている間に、外の様子を少し見に行ったら、

甲州街道は渋滞していて少しも車が動かないし、

スーツを着たサラリーマンやらで道路にはみ出すほどの人がひたすら歩いていました。
 
流れに逆行するように駅の方へ少し行こうとしたけれど、
 
あまりの人の多さと渋滞の車の動かない”異常事態”を目にして、
 
この ご飯を蒸らしている間に、
 
いったいこの私に何ができるというのか、、、
 
自分のちっぽけさになんだかやるせない気持ちを抱きつつ家に戻ってみると。
 
久しぶりに鍋で炊いたご飯は、水の量が多すぎて

とてもおにぎりにできるようなご飯ではありませんでした。
 
大量にできたぐずぐずのご飯を冷凍して、おじやにしたりリゾットにしたりして、

少しずつ消化するたびに、自分の無力感を味わい、
 
こんなご飯でも、長いこと歩き続ける人々に差し出した方がよかったのかしら、とよぎってみたり、、、
 
でも、私の複雑な思いよりなにより被災地を思うと、どれほどの辛苦を味わっているのだろうか、、、
 
被災地・陸前高田に行かせていただきましたが、
 
小学生の子どもに、(炊き出しのご飯で)お腹いっぱいになった?
と尋ねたとき、
 
少し間があって、躊躇した顔で、
 
 うん。。。
 
と答えていました。
 
そうか、、自分がお腹がいっぱいになるほど食べたら、

誰かに行きわたらなくなってしまうことをいつも気にしてるのね、、
 
愚問だったな、と反省させられました。


まだ仮設住宅に暮らす方が、今現在4万人近くいるのですね。
 
支援が打ち切られ、話題に上らなくなっていくけれど、
被災地はまだまだこれから、、
 
 
 
話題にすること、
それが被災地への復興支援になります!
 
 
と、陸前高田の戸羽 太 市長がおっしゃっていました。

今日は、話題にしないわけにはいかないですね。