極めて簡単な理屈なんだが、本当にそう思っている人がどれだけいるだろうか。
当選できるだけの得票を自分自身で叩き出せるはずがないのだから、当選したのは自分の選挙事務所のスタッフや家族、さらには自分を応援してくれた支援者の皆さんのお蔭であって、候補者本人はどう頑張っても自分の一票しか投票できない。
当選できたのは、すべて皆さんのお蔭、と言うのは当たり前のことである。
しかし、人間はつい錯覚しやすいもので、当選できたのは自分にそれなりの能力なり魅力があるからだ、などと思いやすい。
まあ、それだけ皆さんから期待されている、という証拠だから、皆さんの期待に応えることが出来るような立派な仕事をすることである。
さて、奮闘虚しく敗れてしまった時はどうか。
落選の原因はすべて自分にあるのだから、絶対に誰を恨んでもいけない。
先の都議会議員選挙で落選した自民党の都議会議員の皆さんの動静がチラホラとマスコミを賑わしているようだが、泣き言も恨み言も一切禁物である。
すべてを引き受けることである。
すべてを受け容れることである。
すべてを受け容れれば、自分がこれから歩むべき道が自然に見えてくるはずだ。
選挙に落ちても、命を失うようなことはない。
選挙も戦争のようなものだが、しかし首を狩られるようなことはない。
まあ、「ただの人」になるだけである。
自分が歩んできた人生を悔いないことである。
出来れば、その落選の経験をこれからの人生に十分活かしていただきたい。
国政選挙落選経験4回の私からのメッセージである。
何はともあれ、エンジョーイ。
選挙は、楽しくやるに限る。