実は、鉛筆を転がして決めたのではないかしら、と思っていることがある。
一晩寝ながら考えていて、起きたらチーンと答えが出てきたんですよ、神のお告げがあったんです、などという答えが返ってきても、結局はそれはそれで納得せざるを得ないことがある。
私が司法試験の短答試験を受けた時に、どうしても答えが分からないところがあった。
五つか六つの選択肢の内、間違っているものを選べ、という設問だったように思う。
意地悪なことに、その選択肢のすべてが正しい時はゼロと回答せよ、という問題だったようだ。
もう50年も昔の話なので問題そのものは覚えていないが、まさに鉛筆を転がすような思いで適当に数字を書き込んだ記憶がある。
試験が終わって、受験生の間に正答集が出回ったのだが、自分がどういう回答をしたのかまったく覚えていなかった質問があったので、さて、自分が短答式試験に合格できるだけの点数を獲得したのか、発表までまったく分からなかった。
答えが分からないままに適当に数字を書き込んだ回答の一問か二問が正解だったら合格だ、というかなり際どいところにいたのだと思う。
何であなたは、その答えを選んだのか、と聞かれたら、鉛筆を転がして選びました、とか、何となくその数字が目に飛び込んできました、勘です、などと答えざるを得ないのだろうが、人間の頭脳は突き詰めると結構いい加減なものである。
小池さんの「築地は守る。豊洲は活かす」という政策決定は、どうも論理的には検証し難いもののようである。
鉛筆を転がしたんですね。
神のお告げでもあったんですか。
天の声でも聞こえたのかしら、と問い質すところである。
この種の決定については、そもそも文書の作成がないものだから、通常の情報公開請求では何も出てこない。
こういう時は、その決定の当否を都議会で徹底的に議論するのがいいだろうと思う。
都民ファーストの皆さんの腕の見せどころでもある。
鉛筆を転がせて決めたのとどこがどう違うか、を徹底的に議論されたら如何か。
ちなみに、私は西高時代に寝ながら数学の問題を解いたことがある。
翌日の試験にその問題が出た、という記憶がある。