絶対にない、と言い切れるか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

私は弁護士の仕事をするときは、絶対に大丈夫だ、とか、絶対に安心、などという言葉は使わない。
どうなるか分からないことが余りにも多いものだから、万一のことを考えて、多分、という言葉
を添える。

絶対に大丈夫と言ってくれ、自分の安心のために絶対に大丈夫と言ってくれ、と頼まれれば、任せてください、とは言うが、それでも結果についての保障をすることまではしない。
経験的には大丈夫です、私の知る限りでは大丈夫です、とは言うが、何の留保も条件もなしに絶対に大丈夫などとはとても言えない。
間違いがあるかもしれないが、他に適当な手段がどうしても見当たらないから、私の運と経験と腕を見込んで私に任せてください、としか言えない。

絶対にない、などという言葉も同じようなものだ。

100パーセントない、200パーセントない、2万パーセントない、などと言われても、それは多分殆どない、多分ない、ということを強調するためだけの物言いで、誰も絶対にない、などとは断言できないものだと思っている。

集団的自衛権行使容認法制の下で自衛隊の任務が拡大すれば、自衛隊員のリスクが相当程度増すだろうということは見易い理屈で、絶対にない、などということは絶対にない。

平和安全法制整備法等に基づいて自衛隊が日本政府の集団的自衛権行使の道具の役割を担うようになれば、他国の戦争に日本の自衛隊が巻き込まれる虞が絶対にないかと言えば、そんなことは絶対にない。

政府が提出した平和安全体制整備法案等の一連の安保関連法案が戦争法案だ、という批判は当たらないが、しかし、集団的自衛権の行使を対外的に宣言しても日本はアメリカ等の戦争に巻き込まれるようなことは絶対にないかと言えば、そんなことは絶対にない。
既に日本はIS(イスラム国)から敵対視されるようになっているのだから、積極的平和主義と集団的自衛権行使の名目の下に、日本がアメリカとその他の国との間の戦闘に加担するようになれば日本が敵国視され、攻撃の対象になることはある程度覚悟しておかなければならなくなる。

絶対にない、などということは、絶対にない。
これが、私が唯一自信を持って言える言葉である。

まあ、こういう言葉遊びは棚に上げて、どうやって具体的に自衛隊員のリスクを軽減するのか、どうやって日本が外国から敵国視されたり、攻撃の対象になることを防ぐのか、そのための有効な対策はあるのか、といったことなどをしっかり検討した方がいいだろう。

野党のみなさん、よろしく。