吉田調書は行政文書か単なるメモか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

昨日のブログで、「公開されないことを前提にしてなされた証言であっても、公開は免れない」という項目を立てて、吉田調書は特別の事情がない限り公開すべきであるという趣旨のことを述べておいた。
朝日や産経と結論において同趣旨の主張である。

吉田調書の公開を求める裁判が提起されているのでいずれは司法的解決がなされる問題だが、私のブログの読者であるハーディスさんから大事な問題点が具体的に指摘された。

「そもそも「証言」ではないでしょう。

次に、要は「ヒアリング」が国の費用においてなされたものだから公共の財産に当たり、隠匿することは許されない」という点。
そうすると例えば刑事の職務として行った「聞き込み」は全て公開しなければならないし、例えば「企業ヒアリング」で出張した場合、「ここだけの話ですが」と教えられたことまで隠匿することが許されなくなるのは暴論だと思います。
要はば担当官のヒアリングメモか行政文書かという境目の案件。

福島の事故だけでなく、例えば航空、鉄道事故など、事故調は頻繁にあります。
そこでのヒアリングはメモなのか、行政文書なのか。一般にはヒアリングをもとにした報告書が行政文書であると考えられます。

今回の事故は重大であるが故に膨大なヒアリングを要し、本来の聞き取りメモが「調書」になってしまったというのが実態でしょう。
大事故ほど実態を解明しなければなりませんが、それが重大が故に結果として「行政文書」として情報公開対象となるのなら真実がヒアリングで聞き取れるでしょうか。
あるいは、それを見越して元総理大臣のように都合の良いことばかりぺらぺらしゃべって都合の悪いことはしゃべらず、自己弁護に終始して真実が見えないことになるでしょう。

ヒアリング結果を全て行政文書として公開するということにより、真実が見えなかったり改ざんされるべきなのか、非公開を約束し、真実を把握し、その範囲で報告書に掲載して後世のために貢献するべきか。

そうした政治的な判断が「証言者の非公開要望・・」という点でしょう。

そういった意味で私も裁判は避けるべきだと思います。
「ここだけの話」が全部情報開示対象にあるのであれば、それを汲んだ政策立案が一切できなくなり、政府の能力は著しく低下すると思います。
外国は喜ぶでしょうね。」

吉田氏からヒヤリングした結果を記録した書類はいわゆる「証言」そのものではないが、証言内容を録取した記録という意味では「供述録取書」「証言録取書」と同類だろうと見做して「証言」と書いておいたが、これはまあそう大した問題ではない。

吉田調書が行政文書にあたるか単なるメモか、という法律上の問題が指摘されている。
行政文書だということになると行政機関の保有する情報の公開に関する法律の適用の問題になるが、私は行政文書だと見做している。

私自身は情報公開制度を利用したことはないが、一般の国民の立場からすればこれはいい制度のはずである。
情報公開制度のあり方を考えるうえで実に参考となる大事なご意見だと思うので、あえて別項を立てることにした。

皆さんのご意見をいただければ幸いだ。