松江市教育委員会がはだしのゲンを閉架措置として小中学校生には貸し出さないという決定をした、というニュースを読んで、あらら、まあなんということをするんだろう、と感想を書いておいたが、松江市教育委員会は原爆被害の絵に過剰反応したわけではない、という指摘があった。
はだしのゲンには旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性に対して乱暴している画が掲載されており、これが小中学生には過激だから見せない方がいい、という校長会での一校長の発言を踏まえての教育的配慮によるものだそうだ。
史実が不明なものを書いているから小中学生には見せるべきではない、ということだったら言論出版の自由、表現の自由に直ちに抵触する問題になるから、松江市教育委員会の措置は過剰反応でよくないと言えるが、掲載されている画が教育上よろしくない、という理由だとするともう少し丁寧に立論する必要がある。
私は、はだしのゲンは漫画とは言え、いずれは世界的な文化遺産になるだけの価値を持った大変なものだと思っている。
原爆の悲惨さをあれほど率直に、かつ迫真力を持って描いた恐ろしい画はない。
画そのものが実におぞましく、正直のところ何度も見たくはない。
しかし、見ないではいられない。
旧日本軍がアジアの人々に対して行ったと言われる残虐な行為が描写されているからといって、小中学生に一切はだしのゲンを見させないようにするのが正しいのか、と問われれば、やはりそうではないだろうと言わざるを得ない。
本当のことからあえて目を背けさせることはよくない。
たとえ小中学校生であっても、はだしのゲンはしっかりと読むべき本である。
はだしのゲンを読ませたくない人たちの真意は別のところにあるようだ。
はだしのゲンを読ませれば、検証されていない旧日本軍の残虐行為を歴史的事実のように思わせてしまう。
誤った歴史認識を子供たちに植え付けることになってしまうから、そういう有害図書はおよそ小中学生の目に触れさせないようにすべきだ。
大体がそういう主張だろう。
これに答えるのは難しい。
旧日本軍の残虐行為の存在そのものを否定したい、という方々が多いことは承知している。
しかし、旧日本軍の行為のすべてを検証する方法はないから、私たちがいくら口角泡を飛ばして議論したからと言ってそうそう簡単に結論が出せるような問題ではない。
だから、私は、その種の議論には深入りしないで結論を出すことにしている。
言論の自由、表現の自由を制限するような後ろ向きなことは出来るだけしないようにしましょうや。
異論があれば、その異論を自由に述べることが出来るようにしましょうや。
出来るだけ開かれた社会にしましょうや。