放っておきなさい、と言えなくなった時代における「表現の自由」を考える | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

言論、思想、表現、出版の自由は、議会制民主主義を支える基盤だからうっかり規制の対象にしてはならない。

ところが、侮蔑、名誉棄損、暴言、執拗な誹謗中傷、紙爆弾、大音量の街宣、誤解や錯覚に端を発した個人攻撃、歪な価値観に基づく他人の顰蹙をかうような猥褻な文書や図画の頒布、言葉によるいじめ等他人の迷惑になるような行為も多い。

放っておいてもすぐ止むような一時的な迷惑行為、放っておいてもそれほど害がないような些細な表現の行き過ぎ等であれば黙って見過ごすことが出来るが、耐性がない社会では黙って見過ごすことが出来ない事態が次々に発生する。

牧歌的な社会では許されたことが、段々許されなくなってきていることは間違いない。
一つには、傷付きやすい人が多くなったということだ。
社会に耐性が無くなってきており、繊細な人が増えている。
もう一つは、情報伝達手段の多様化、高度化、低コスト化、大量化等によって他人の迷惑を顧みないような情報発信が拡散し、かつ固定化するようになってしまったということだ。

児童ポルノの所持規制問題もこういう社会情勢の変化を反映している。

これまでは、それほどの害悪を社会に撒き散らすとは思われなかった行為が実はそうでもなくなっていたということをしっかり念頭に置いて、表現の自由規制問題に対処していく必要がある。

私は、曖昧な構成要件のまま表現の自由規制法制を拡大したりあるいは厳罰化していくことに反対している。
私のブログの読者の中には、多分児童ポルノ所持規制問題を切っ掛けに私のブログを読み始められた方もおられるはずだ。
弁護士出身の国会議員であることが評価されてプロジェクトチームの一員に選任され、実務担当者の一人としてこの問題の取扱いの最先端にいたから、当時はまさにギリギリのところで辛うじて安易な処罰化を回避することが出来たのではなかったか、と思っている。

しかし、今の国会では私が当時担っていたような役割を担う法曹出身の国会議員はいない。
仮にいたとしても、もう私が当時担ってきたようなポジションにはつけないはずだ。
この通常国会で児童ポルノ所持禁止・処罰法制が成立することは必至だと思う。

そのことを覚悟して、行き過ぎた「表現規制社会」、何でも警察取締りの対象にする「警察国家」にさせないための具体的対策を講じる必要がある。
そのためにも、まずは国会での十分な審議時間の確保と懇切丁寧で周到な質疑の実現を望みたい。

読者の皆さんも、発言されるとしたら今である。
行動されるとしたら、今である。

今でしょ、というのは、いつも正しい。