いつかはそう言われることを覚悟している。
そう言われないように努力しているから、私の周りではまだそういうことを面と向かって言う人はいない。
永田町では二人の人がそう言われてしまったようだ。
国民新党の亀井静香氏は、無惨にも敗れてしまった。
自分の身内くらいしか自分についてくる者がいないということを知ったときの亀井氏の無念が推し量られる。
多分同志をあちこちから引き抜くときは、それなりの手当てをしたはずだ。
何の手当てもしないでホイホイとついてくるような人たちではないことは、今回の連立政権離脱騒動で明らかになった。
亀井氏は自分の仲間を作るためには身銭を切ることを惜しまない、いわゆる永田町のいい人である。
私の決起集会に来て、およそ調子はずれのだみ声を張り上げて歌を歌う様は愛くるしいほどだった。
だから、私には亀井氏の無念がある程度分かる。
地元では絶大な人気を誇る亀井氏も、打算と保身には勝てなかった。
それでも互いに袂を分かたないのだから、不思議である。
この人たちは、何で同じ政党に集まり、何で同志の契りを結んだんだろう。
結局は、理は利に劣る、ということだろう。
情は、利に劣るということだろう。
誰も離党しない。
分党もしない。
閣僚も辞任しない。
これでは、これからも家庭内別居を続けます、という宣言である。
これ以上は書かないが、政治家というのは実にみっともない存在である。
小沢一郎氏も亀井氏ほどには傷は深くないが、まあ似たようなものである。
造反はされていないが、半分以上の人はついて来なかった。
これでもなお小沢氏の神通力を信じている人たちがいるのだろうか。
小沢氏も自分の仲間から、もう貴方は古い、貴方にはついていけない、貴方についていっても何もいいことがない、と三行半を突きつけられたようなものだ。
今回の造反に成功した人たちは多分今頃勝利の美酒に酔っているはずだ。
「古き者よ、去れ。」
大正時代の東京弁護士会の会長選挙で長老を破って勝利した少壮弁護士のグループが日比谷の松本楼で上げた勝利の雄叫びである。
もっとも、今そんなことをうっかり口にすると大変なことが起きるかも知れない。
本当に完全に相手の姿が見えなくなるまで、じっと黙っていることだ。