読売の渡辺主筆・社主は引退されるのがいい。
御年85歳は人によってはまだ働き盛りだが、若い人が面と向かって抗議を申し入れたり、泣いて記者会見をするようになったというのは、それ自体で若い人に対する説得力と組織人としての人心掌握力、統率力、指導力を欠きはじめたという証拠である。
決して耄碌しているとは思わないが、人心を倦ませている、もはや組織の老害になりかかっているという証左である。
一巨人軍の問題だなどと考えないことだ。
日本のプロ野球に対しての魅力がどんどん低下している状況の中で、こんな風に渡辺氏がいつまでも権勢をふるっているように見えるのはよくない。
記者会見まで開いて渡辺氏に対しての批判なり抗議を展開したのはいただけないが、そうでもしないと自分の思いが伝えられないという切羽詰まった心境にまで追い詰められていたということはよく分かる。
部外者にとってはどっちもどっちだということになりやすいが、これはここまで若い人を追い詰めた渡辺氏が悪い。
長老はあらゆる人の思いを受け止め、大所高所に立って上手に物事を捌くことが出来るから尊敬される。
長老と称される人に自然と賢者の風格が備わってくるのは、こういう人が特に若い人の心を読むことが巧みだからだ。
読売巨人軍のオーナーだった人を小僧扱いしたり、怒鳴り散らしたり、あるいはオーナー等で知恵を絞って作り上げてきた人事や再生プランをそれ相応の理由なく自分の一存で引っくり返したりすれば、反発されるのは当然である。
私が東京弁護士会の法律扶助員会の副委員長を務めていた当時、弁護士会の法律相談担当者に定年制を敷いた方がいのではないか、という議論が持ち上がった。
耳がよく聞こえない弁護士が法律相談を担当しているが、何とかして欲しい。
やたらと相談者を怒鳴る弁護士は、相談担当から外して欲しい。
どうも考え方が古く、法律知識も不正確で、相談者の求めるような役に立つ答えが出来ない弁護士がいるので、こういう人はいくら言ってもダメだから法律相談担当弁護士のリストから外して欲しい。
相談者からの苦情を受け付けている窓口の職員からの強い要望であった。
委員会で、これは深刻な問題だということで真剣に議論を重ねた。
定年制を敷くとすると何歳が適当か、という話になった。
一般の企業であれば60歳定年ということもあるが、弁護士の場合は特に経験が物を言うことが多いので、いくらなんでも60歳で定年はないだろうということになった。
まあ、これは当然のことである。
では、70歳くらいだろうか、という議論になったが、当時区役所の無料法律相談を引き受けていた弁護士には70歳を超えても矍鑠と仕事をされている弁護士が何人もいた。
70歳はまだ早い、75歳ぐらいかという議論に発展した。
とどのつまりは、80歳を過ぎても若い弁護士よりも有能で元気な弁護士がいることが分かり、結局は一律の定年制の実施は見送ることにした。
もう30年以上前の話だが、本当の話である。
85歳前後で亡くなった長老弁護士に対する弔辞の中に、働き盛りの惜しい人を亡くした、という言葉が入っていたことがある。
故阿部三郎弁護士の葬儀のときである。
最高の弔辞だったと思う。
85歳の渡辺主筆もまだ働き盛りかも知れないが、若い人を泣かせるようではそろそろ若い人にその席を譲った方がいいと思うが、如何か。