小沢氏はやはり凄い政治家だった | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

10月も今日で終わり。

色々な出来事の締めくくりをして、新しい目標に向けて華々しくスタートを切りたい。


そういう思いでこれまでの道のりを振り返ると、日本の政治にとって如何に小沢氏の存在が大きかったかが浮き彫りになってくる。


よくぞかくも有象無象の人たちを纏め上げて自民党政権を打ち倒したものだと思う。


どこにでも政権に対する不満を述べる人たちはいる。

私のつかみの計算では、約3割の人は政権党と反対側にいる。

この人たちは一つの集団に属しているわけではないので、通常は統一した政治行動は取らない。

漠然とした不満層だから、いつも政権と反対側にいるだけだ。

大半は政治に無関心を装い、時には政治家を冷笑する。


この人たちの不満の吐け口を小沢氏は作った。

見事なものである。


日教組などの労働組合が小沢氏に乗った。

労働組合が乗ったから社会党系の人たちが小沢氏に乗った。

市民運動系の人たちも小沢氏に乗った。

選挙区の都合で自民党の公認を得られそうにない保守系の人たちが小沢氏に乗った。

こうして小沢氏を中心とする勢力が拡大するのを見て、若手の官僚や地方議員の人たちが小沢氏に乗った。


この人は古い自民党そのものだ、という人が小沢氏の周辺に多いのにはそういう背景がある。

如何にもギラギラとした野心家も混じっている。

有象無象と一言で言ってみたが、その言葉には収まらないような人々が大勢小沢氏に乗っている。

これは並大抵のことではない。


これだけの人々を糾合できる、というのは小沢氏が如何に凄い政治家であったかを端的に示している。


小沢氏の刑事裁判は、最終決着までおそらく5年ほど続くのではなかろうか。

5年の間に、おそらく2度の衆議院選挙と3年後の参議院選挙を経験することになる。

小沢氏がこれから5年間の国政にどう臨む覚悟であるのか、まだ分からないが、これからの厳しい道のりを考えると小沢氏はなるべく穏やかな日々を送られた方がいい。

私は、そう思っている。


裁判を抱えていると、どうしても人は病気になりやすい。

裁判中に新たなフアンを獲得するというのは難しい。

どんな状況にあっても自分の陣営を拡大でき、やがては権力の座に復帰できるという可能性があれば、政治家としてどんな苦難にも堪えることができるだろうが、その可能性はない。


今が、小沢氏のピークである。

日々自分が目をかけた若い人たちが去っていくのを見るのは辛くなるはずだ。

正月の小沢邸での新年の会合に150人集まっていた国会議員が50人ぐらいになったら、どんなに強気な人でも淋しくなるはずだ。

その後は、毎年10人は減る。

小沢氏が酒をどの程度嗜むのか知らないが、酒に頼るようになったらあっという間に駄目になる。


小沢氏は自分の裁判を出来るだけ楽しく(まあ、普通の人には出来ることではないが、達観するとどんな状況でも苦を楽に変えることは出来る)戦うことに全力を尽くされたらいい。


私のブログの読者の方が、これぞという意見を述べておられる。

小沢氏が正攻法で自分の裁判を戦い抜けば、司法の世界もガラッと変わるかも知れない。

私は、最後まで小沢氏は凄い政治家だった、と思いたい。


小沢氏は、司法の新しい地平線を拓く尖兵の役割を担う運命のようだ。