この臓器移植は本人の生前の意思に基づくもの | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

新聞をよく読めば分かるのだが、新聞の大見出しだけをさっと一読するだけだとおそらく間違って情報がインプットされると思う。


昨日実施された脳死判定とこれに基づく臓器移植施術は、家族の同意だけを根拠に行われたのではない。

亡くなった本人が何らの意思表示もしていない場合に、家族の同意だけで臓器の提供が行われる、ということになると、まずは同意権のある家族の範囲を厳密に法律で決めておかなければならないことになる。


成人男性の場合を考えると、配偶者がおられれば配偶者が第一に考えられるが、配偶者がおられてもその男性の父親や母親は家族ではないのか、兄弟はどうか、などという問題になる。

配偶者は臓器提供に賛成しても両親や兄弟が反対だったらどうなるか、ということも考えておかなければならない。

関係する家族が全員一致して脳死判定と臓器提供に同意する、などということは考えない方がいい。


配偶者が同意しても両親が納得しない、などというケースはざらに出てくるだろうと思う。

相続の話やお墓の話が出てくると一気に問題が噴出してくる。

遺産分割の話し合いで利害関係の対立が鮮明化すると、臓器提供についての同意が果たして適正であったかどうか、という問題にまで拡がってくる。


仮に、関係する家族全員の同意が必要であるということを徹底しなければならない、ということになると、戸籍の調査が必要になり、また同意を求めるべき家族全員の所在調査が必要になる。

そういうことになったら、脳死判定や臓器移植を必要とする医療の現場の要請にはとても応えられない筈だ、如何にも社会のニーズに応えるような外観は作っているが、実はそのままでは危なくて使えない欠陥制度だ、というのが、私の主張であった。


新聞は、家族の承諾のみで脳死判定と臓器移植を実施、と強調する紙面作りだが、脳死判定の現場の人たちは、ご本人の生前の臓器提供の意思が確認できたから、と声を大にして訴えられている筈だ。


私は、生前の臓器提供の意思表示は、必ずしも書面に限定する必要はない、運転免許証や健康保険の保険証への記載、ビデオや録音によっての意思の確認、さらには日記帳や家族との日常の会話など、他本人の意思を客観的に確認できる方法を拡充することを検討すべきである、と主張してきた。


本人の明示の拒否の意思表示がない限り脳死判定や臓器提供について同意しているものと看做す、という制度には、私は反対してきた。

今回の脳死判定、臓器提供を、本人の意思が不明な場合において家族の承諾だけで脳死判定と臓器提供が実施されたケースである、とすることは、将来の実務に大きな禍根を残すことになると思うので、くれぐれも注意が肝要である。