大きな組織に属している人にとって参議院選挙ほど楽な選挙はないだろう。
国会議員は国民の代表者、公益の代弁者、と思い込んでいる人が多いだろうが、実際に組織を背負って選挙を戦っている人の心情はそうではない。
自分の所属している組織から切られてしまうかどうか。
これが最大の関心事になる。
日本全国に組織の支部があれば、これを全部回ることが運動の中心になる。
国民一般を相手の選挙運動なり、支援者獲得運動はしない。
自分の所属する組織に対して発信するメッセージと一般有権者に対して発信するメッセージは、大抵の場合違う。
一般有権者に向けては、あくまで差し障りのない綺麗なことを書き並べる。
その一般有権者向けのメッセージをいくら追いかけても、その候補者が国会議員に当選したらどんなことをするのかは見えてこない。
その候補者が所属する組織の発行する文書をよく読まないと、本当の姿は見えてこない。
日教組という組織がどんなことを主張しているかは、北海道教組や山梨県教組を見れば分かると思う。
日教組という組織に所属している候補者が当選したら誰の声を聞くか、ということに対する答えは皆さん知っているはずだ。
国民の声に真摯に耳を傾ける、などということは、まず期待しないほうがいい。
それだけ組織というのは、強い存在だ。
これほど頼りになる存在はない。
しかし、同時にこれほど厄介な存在もない。
参議院は良識の府、と言われてきたが、それぞれの組織が良識の代表であれば、そういうこともあり得ようが、現実にはそれぞれの組織は良識で成り立っているのではなく、何らかの利害で結びついているだけ。
八百屋で魚を求めるようなもの、という喩があるが、今の選挙制度の仕組みではなかなか参議院が良識の府になることは難しい。
一方、組織に所属しない人にとっては、参議院選挙は実に苦しい選挙になる。
参議院の選挙は、個人の力を遥かに超えたところにある、と言ってよい。
だから、超人的なカリスマ性を持った人でないと、参議院選挙に挑戦しようという気にはならないだろう。
ただ、自分にどれだけの力があるのかを本当に分かっている人は少ない。
自分の周りにいる、自分をちやほやしてくれる人だけ見ていると、つい自分には大きな力がある、と錯覚してしまうかもしれない。
NHKのど自慢や紅白ぐらいしか楽しみがなかった時代に大変な人気を博していた人も、時代が移り、メディアが発達し、国民の趣味や嗜好が多様化してしまった現在では、なかなかかつてのカリスマ性を発揮することは難しい。
今回の参議院選挙は、こうした時代の変化が有権者の具体的な投票行動にどう跳ね返るか、を知るいい機会になるだろう。