保守であることに大変な矜持をお持ちの方からのコメントが寄せられた。
保守保守と軽々しく使って欲しくない、ということのようだ。
多分この方は、真正保守の系譜の方なんだろう。
天皇家や皇室との距離感の違いで保守と非保守を分けると、戦後教育の申し子である私などは、「保守じゃない」、と切り捨てられてしまうのだろう。
思想的にガチガチの保守、その思想を短絡的に行動に移す行動保守、など保守にも確かに様々なニュアンスがある。
私は、暴力的な革命を排斥するから、自分が保守に分類されるのだろうと思ってきた。
他人が大事にしている物や事柄についてはこれを尊重し、丁寧に扱うべきである、と考えているから、多分革新よりも保守に分類されるのだろうと思ってきた。
私の言う保守は、相対的な概念で、保守と称していても中身は常に改革派の側にある。
一部の者が専有している既得権を廃止、あるいは取り上げて、これをみんなに分配するくらいのことはいつも考えている。
そういう意味では、既成のエスタブリッシュメントを壊すことも躊躇しない。
特定の団体や個人の支配下に置かれることは、大嫌いだ。
だから、真正保守や伝統保守を標榜される方々とは一味違うのかも知れない。
読者の方からの辛辣なコメントを頂戴して、改めて保守とは何か、を考えさせられた。