検察審査会の審査のポイント | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

小沢氏の不起訴処分については釈然としない人が多いだろうが、これはある意味で当然だ。


新聞報道が事実を書いているとすれば、捜査を担当した検察官は起訴すべきと主張し、上級庁が消極だったので結局不起訴という結論になった、ということのようである。

小沢氏を起訴した場合の政治的影響や、万一裁判で無罪となった場合の検察庁の責任などを考えれば、ほぼ有罪の立証が出来ると思っても100パーセントの確信が得られなければ、あえてリスクは犯したくないと考えるのが人情である。


捜査を担当した検察官の心証が重視されるべきだろう。

おそらく担当検察官は辞表を懐に捜査を進めてきたのだろうから、上級庁の判断には納得できなかったであろう。

かつての検察庁だったら、担当検事は辞表を提出して抗議の意思を表示したはずだ。


かつて特捜部の検事が弁護士に転進した。

二度と刑事事件には関わらない、ということで、経済取引専門の弁護士になった。


余りにも多くのことを知ってしまったから、刑事事件には関わらない。

そう覚悟したそうだ。

そういう覚悟を持った弁護士は、弁護士としても一流である。


さて、昨今の検事はどうか。


上級庁の判断よりも今は優先されるものがある。

国民の良識である。


検察審査会を通じて示される国民の良識を待って、自分の出処進退を決めたい。

これが、今の担当検事の思いではなかろうか。


不起訴処分について既に検察審査会への申立があったそうだ。

検察審査会が一件記録を読んでどう判断するか。

当然担当検事の意見も聴取するだろう。

捜査が不十分であるということになると、当然補充捜査も必要になる。


どんなにタブロイド紙や夕刊紙が現時点で、小沢シロ、検察の大敗北、などの大見出しを躍らせても、それだけでは検察審査会を動かすことは出来ない。

目下のところマスコミを巻き込んでの情報戦、宣伝戦の様相を呈しているが、司法の手続きは粛々と進むものだ。

決めるのは、国民の良識である。


私も懐に辞表を呑んでいるような心境で、国民の判断を待ちたい。