弁護人だったらこう考える | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

昨日、石川議員の勾留が延長になった。

勾留期限の2月4日までに起訴されなければ、釈放しなければならない。

不実記載を認めている被疑者を起訴しないで釈放できるかと言えば、よほどの軽微事案でないと釈放は出来ない。


石川議員は起訴され、弁護人は保釈の申請を行うだろうが、共犯関係にあると疑われている人たちが否認している状況では保釈は考えられない。

会計責任者の大久保秘書は不実記載の容疑を否認しているようだが、石川議員が大久保秘書に無断で不実記載を行い、大久保秘書の名前で収支報告書を提出したという弁解はなかなか通らない。

本人は忘れていても、当の石川議員が覚えている以上、いくら否認を続けても犯情を悪くするだけ。


大久保秘書が否認を続けても、起訴も必至、というのが私の見立てである。

それでは、陸山会の代表者の小沢一郎氏はどうか。


昨日の記者会見で小沢氏が、「すべて秘書に任せていた。秘書が間違ったことをしたというのなら、代表者である私にも責任がある。検察は、公正に捜査をされていると思う。」と述べたことが重要だ。

検察と対決姿勢を続けても自分に益することはない、と分かり始めた、という証左である。

検察官に起訴不起訴の処分権限があり、これを政治的圧力で捻じ曲げれるような事態ではない、ということを得心したということである。


小沢氏を不実記載の共犯で起訴することは、実は易しい。

経験則から言って、実際の売買の日時を偽り、翌年の売買のように仮装した以上、売買のあった年度の政治資金収支報告書にこれを記載しないことになるのは当然で、登記を翌年に回すことを了解した時点で政治資金収支報告書の不実記載を容認したことになる。

登記を翌年に回すが、政治資金収支報告書上は実際の売買の日付で報告するように指示したにも関わらず、担当秘書が間違えた、という事情でもない限り、登記を翌年回しにすることを了解したことで不実記載そのものを容認したと評価されても文句は言えない。


登記を翌年に回すことを誰が決めたか。

石川議員が単独で決めた、などと言っても誰も信じない。

金庫番が決めたということになろうが、金庫番が単独で決められるような話でもない。

陸山会が多数の不動産を取得した事実が報道されている。

小沢氏の個人名義や奥さん名義の不動産取得の事実もあるようだ。

その一つ一つを丁寧に追っていけば、何故登記を翌年に回したのか、誰がそう言い出したのか、どんな経緯でそうすることになったのかが分かってくる。

ここで合理的な説明が出来なければ、真実を隠している、ということになる。


小沢氏を不実記載の共犯者として起訴するかどうかは、検察官の腹一つ、ということになる。

担当検察官が断固起訴すべきと考えれば、検察の上司が介入しようとしても遅い。

担当検察官が処分に迷う状態になって、はじめて上司の出番となる。


捜査に非協力で不誠実な被疑者、明らかに書類の改竄、証拠の隠滅を行っていると疑われる被疑者に対して検察官がいい心証を抱くはずがない。

吠える被疑者に対しては、紳士的に取り調べを行うが、結果的には厳しい処分になる。

これは、裁判所の審理でも同じようなもの。


優しい裁判官ほど重い判決を出す。

被告人を厳しく責める裁判官ほど、意外と判決は寛大である。


小沢氏の態度が取り調べ後急変しているのには、こんな事情がある。

小沢氏を起訴すべきかどうか、は悩ましい。

不起訴にしたときの世論を考えると、よっぽどの事情がないと不起訴には出来ない。


ここで、弁護人は考える。

起訴になった場合の小沢氏のダメージは致命的である。

なんとか不起訴、起訴猶予にもっていく方法はないか。


弁護人だったら、本人は既に社会的制裁を十分受けているから穏便な処分を、と上申するところだ。

少しでも情状をよくするための弁護活動。

本人の説得である。


せめて幹事長の辞職ぐらいは行わなければならない。

議員辞職という決定打もある。

弁護人だったら、こんな風に考えるだろう。


さて、これからどう展開するか。