臓器移植関連学会協議会の代表世話人という方から臓器移植法改正についての要望書が送付されてきました。
お医者さんが4つの改正案の内のA案に何故そんなに固執し、強硬にその成立を求めておられるのか不思議でなりません。
勿論、臓器移植を待ち望んでいる患者家族の皆さんが、ドナーの出現を今か今かと待っておられるのは、当然です。
臓器の取替えや移植で自分の大事な家族の命が助かるのであれば、何が何でも助けたい。
ありったけの私財を注ぎ込み、大事な家族の為に最高の医療を施したい。
特に先天性の心臓病の子供さんを抱えておられる親御さんの願いは切実です。
移植さえすれば救命できる患者さんが毎年、心臓病で400人、肝臓病で2000人も亡くなっている、と聞けば、私たちもなんとかしてあげたいと思います。
しかし、「本人が臓器提供の拒否の意思を表明していない場合は、年齢にかかわらず、遺族の書面の承諾により死体(脳死体を含む)からの臓器提供が可能となるよう、早急に法を改正していただくよう重ねて要望いたします。」と移植学会関係者の方々が繰り返し要望されているのが、私には納得できません。
脳死状態にある患者の家族の立場を考えてみてください。
あなたのお子さんは脳死です。
もう元へ戻ることはありません。
これ以上延命治療しても、無駄です。
多分、そんな説明が患者さんの治療に当たっている医師からなされるのでしょう。
さすがにお医者さんは、それでも治療の継続を私たちに求められますか、という一言だけは呑みこんで言わないかも知れませんが、患者が脳死であることを納得させるために様々な説明をされるだろうと思われます。
特に臓器移植を推進したいお医者さんだと、かなり説得調の説明振りになるでしょう。
しかし、私は、そういうことはしない方がいいと思います。
あくまでご家族が臓器移植について本当のことをご存知で、かつ自発的に臓器提供を申し出られるときに限って臓器移植は行うべきです。
一旦臓器の提供を申し出られた人でも、途中で気が変わることがあり得ます。
私は、先日異常死死因救命制度の確立を目指す議員連盟の勉強会で東京都観察医務院に出向き、3体の死体解剖に立ち会いました。
前日の夕刻自宅でお亡くなりになったばかりの警察官や、自宅でひっそり亡くなられたお年寄りの方等の解剖でした。
医療関係者の方もなかなか正視するのは難しいようですが、私はちらちらと脇を見ながら、しかし、解剖の全過程を確認いたしました。
ご遺体がまさに物に変わる、という過程です。
ご遺体から心臓や肝臓が切除され、それぞれその重さが計量されていく過程を観察いたしました。
脳死体からの臓器移植も、おそらく同じようなプロセスを辿るのだろうと思います。
心臓が動き、身体が温かいままの状態で脳死の判定と脳死体からの臓器の切除が行われる。
このすべてのプロセスをご家族の方が見ておられたら、止めてください、そんな声が途中で上がるのではなかろうか。
私は、そう思いました。
お医者さんの説明を聞いて、全部納得して署名したはずなのに、臓器切除の場面を見たら、止めてください、と悲鳴が上がるかもしれない。
ご家族の方は医療の現場で実際にどういうことが行われているか知らない。
知ろうともしない。
知りたくもない。
ただただお医者さんを信頼して任せている、ということだと思います。
しかし、これからは、必ずしもそうは行かないのではないでしょうか。
お医者さんの説明が十分でなかった。
親戚から、なんでそんなことを承諾したのか、と責められた。
なんで、本当のことを教えてくれなかったのか。
などなど、後でトラブルが続出しかねません。
故人の意思だったのです。
せめてそのくらい言えなければ、家族としても臓器移植には踏み切れないはずです。
自分の主張が強い方々が増えている今日、私たちは、できるだけトラブルを回避できるようにしておかなければいけません。
故人の生前の書面による意思表示と家族の承諾がなければ、医師としても臓器移植を簡単には進められないはずです。
脳死だからこれ以上の延命治療は中止しよう、という類の話ではありません。
脳死で臓器移植を行えば、そこで心臓が停まります。
誰が見ても、そこが完全な死でしょう。
医療の関係者にとって脳死が人の死であっても、世間の一般の常識から言えば、心臓が完全に停まったときに人は死んだ、とみなされるのが普通です。
たとえ、脳死を人の死であると法律で明記しても、心臓が動いている限りまだ死んでいない、と思っている人には受け容れてもらえないでしょう。
さて、どういうことになるか。
脳死の状態で臓器移植を実施した施術者は適法だと主張しても、それを受け容れられない人からは、殺人だと非難されます。
脳死判定の承諾手続き、脳死判定、臓器提供の承諾手続き、そして臓器移植の施術のいずれかの手続きに瑕疵があれば、全体として臓器移植が違法な施術になってしまいかねません。
移植学会の方々は、こういったリスクをどの程度考慮されているのでしょうか。
自分たちの同僚が蒙るかも知れないリスクをどうやって最小限にするか。
そういう風に、発想を転換されることを期待しております。