誰でも間違いはある。
勘違い、覚え間違い、思い違い。
特に、先入見、先入観から自由になるのは難しい。
国籍法に関する戸井田議員のブログへの書き込みを読んで、あっ、これはまずいな、と思うような事態になっていることが確認できた。
色々な情報が書き込まれているので、誰がどんな動きを始めたのが手に取るように分かる。
そのこと自体はいいのだが、河野太郎議員に対する罵詈雑言が延々と書き連ねられている。
河野議員のブログが炎上し、書込み禁止の状態になってしまったためのフラストレーションからか、今度は、戸井田議員のブログを借りての罵詈雑言のオンパレードになっている。
困ったことだ。
ネットの世界の罵詈雑言は、多くは、先入見や誤解から発している。
思想の自由、言論の自由があるとはいっても、名誉毀損や侮辱にわたる単なる誹謗中傷の類は許されない。
ネットの力の大きさを知る者として、ネットを通じての世論形成や政策の発展を期待するが故に、ネットの世界から、単なる誹謗中傷や侮辱にわたる言動はなくさなければならない、と思っている。
ここは、元政治学徒さんの出番である。
戸井田議員や馬渡議員のブログのコメント欄に元政治学徒さんが登場していない。
せめて元政治学徒さんの意見を目にしていれば、戸井田議員や馬渡議員のブログの愛読者も、もう少し冷静になることが出来るだろうに、と思う。
それにしても、戸井田議員や馬渡議員のブログの熱心な読者は、まだ私のブログには辿りついていないようだ。
自分たちのサークルだけで議論していたのでは、勘違い、覚え違い、思い違いを正すことはできない。
自分の先入見だけで人を決め付けてしまうと、大きな間違いを犯す。
(麻生総理が、「踏襲」を「ふしゅう」と読んだ。「未曾有」を「みぞゆう」と読んだ、などとマスコミで揶揄された。
かつて私の同期の弁護士が東京弁護士会に入会するとき、宣誓式で、「弁護士倫理をそんしゅし」、と読んだ。
ああ、「遵守し」のことだなと気がついたが、誰もそのことは指摘しなかった。
だから、今でも、遵守を「そんしゅ」と思い込んでいるかも知れない。
債権と債務を「そうさつ」する、という人もいる。
まさか法律家ではそんな人はいないだろう、と思っていたら、弁護士でも「そうさつする」と言ったのがいたような記憶だ。
「相殺」は「そうさい」と読む。
しかし、そんなことは知らない人の方が多いだろう。
ことほどさように、物事を正確に把握し、覚えている、ということは難しい。
私自身、家内や子供たちが「あの人は、かつぜつがいい」などと話しているのを聞いて、何のことだったか分からなかったことがあった。
「滑舌」なる言葉を知らなかったのである。
高校生の時には、「血肉」を「ちにく」と読むのか、「けつにく」と読むのか、自信を持てなかったこともある。)
ネットの世界は、最初にインパクトのある情報が寄せられたら、それが真実のように一人歩きし、なかなか訂正が利かない。
早めに誰かが本当のことを知らせればいいのだが、意外とネットの世界も孤立しており、仲間内だけでどんどん情報が拡散していく。
誰かが強烈なレッテルを貼ると、殆ど絶望的だ。
もう他の情報を受け付けなくなってしまっている。
だから、私は、くれぐれもレッテル貼りをしないようにお願いしている。
私のこういった意見を、戸井田議員や馬渡議員のブログの熱心な愛読者の皆さんにもお伝えしたいものだ。
ところで、二重国籍問題については、私は、「名誉日本人」的なものを作ってはどうか、と考えている。
国籍はあくまで一つであることを徹底することで、二重国籍のコンフリクトを解消するが、例え外国国籍を取得したとしても、日本人の父母から出生したという誇りを持ち続けることができる。
そういう特別の国籍である。
こうすれば、外国国籍を取得した日本人がノーベル賞を受賞したときに、受賞者がアメリカ人か日本人か、などと騒がなくてすむ。
こうすれば、日本人も、海外で輝かしい活動をしている同胞の存在にプライドを持つことが出来るのではないか。
私は、そう思っている。
勿論、反対意見はあるだろう。
だから、これから議論を進めていくのである。
結論は、まだ出ていない。
座長がブログ上で自分の私案を早めに出して国民の世論を喚起しようとしている、という目論みを台無しにするような結果にならないことを、心から願っている。
国会議員の議論だけで物事を決めたくない。
密室での一部幹部だけの話し合いで国の重要政策が決定されるようなことにはしたくない。
それが、河野議員の願いだ。
そのことが分かった上で、丁寧に、かつ礼を失わないようにして、前向きな議論を展開して頂きたい。
それが、私の願いである。
最後に、今回の国籍法改正問題についても、一言述べておこう。
ことは急を要する。
既に論点は、絞られている。
すなわち、偽装認知ビジネスをどうやって防ぐか、そのための具体的施策を工夫することである。
認知届で実の父子関係が成立する、という現行法制を前提にして偽装認知を防ぐためには、虚偽の認知届の罰則を重くする、という方法がある。
しかし、それでは、戸籍法に定める他の届出の偽装についての罰則とのバランスが崩れる、という批判が出るかも知れない。
次の方法は、認知に基づく国籍の取得届についての罰則を重くすることであろう。
これまでは法務局に対する単なる届出の偽装だから、行政罰を少し重くした程度でいいのではないか、と考えられてきた。
しかし、これは、あくまで役人の発想。
違法に国籍の取得することなど、絶対に認めるべきでない。
国籍というものは重大なものであり、国籍取得届の偽装は重大犯罪に該当する。
これが、国民の意思であり、また政治の意思であろう。
そうであれば、偽装国籍取得届出をそれだけ独立して重大犯罪にすることである。
国会は、法を作る場である。
国会が決めればいいのである。
単なる偽装届出よりも偽装国籍取得届出ははるかに重大な犯罪だということになると、認知による国籍届出を受理する役所の責任が重くなる。
当然、偽装認知による偽装国籍取得ではないか、と疑って審査をすべきではないか、という議論になろう。
法務省としては、そのあたりをこれから詰めて検討する必要がある。
これは、行政府の仕事である。
今の問題は、どうやって偽装認知による偽装国籍取得ビジネスの横行を予防するか、ということ。
であれば、業としての偽装認知による偽装国籍取得を特に切り出して重罰化することだ。
閣議決定を経た現在の国籍法改正法案は、その視点が足りなかったかも知れない。
だから、国会がその不十分なところを補って、より良い制度に変える。
こういうことであれば、誰にも文句がないのではないか。
限られた日程であるが、今必要なのは、こういった懸念事項を解消するための本物の知恵である。
与野党を問わないで、知恵比べをされたら如何か。
そして、この問題に関心のある方は、野党の、法務委員会メンバーを含む有力議員にも、しっかりご自分の提言を届けられることである。
(しかし、自分の個人的な感情が先行するあまり、絶対に不適切な表現を交えられませんように。
書き過ぎたかな、と思いながら、止むに止まれぬ思いから、一部内容にわたることを述べさせて頂いた。
なんとか皆さんの正しい理解が得られますように。
元政治学徒さん、くれぐれもよろしく。)