殺人罪の時効について | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

今日の毎日新聞に、時効についての私の論稿が掲載された。

法務大臣政務官に就任する前に取材を受け、私が口頭で述べた内容に基づいて毎日新聞側が整理したのがこれである。


なぜ殺人罪に時効があるのか、について、自民党の犯罪被害者基本計画の着実な推進を図るプロジェクトチームの座長の立場からの意見であるが、この論稿が殺人罪の時効問題を考える新たな引き金になることを期待している。


皆さんのご意見を頂ければ幸いである。



    「逃げ得」を許せば法の軽視につながる
    ー国民の議論の盛り上がりが国会を動かすー


 「人が殺される犯罪になぜ時効があるのか」という点について、これまで国会ではあまり論議がなされていなかった。

しかし、仮に時効が過ぎた後に犯人が特定されたような場合、「時効だから裁けない」という論理をいまどれだけの国民が納得できるだろうか。

国民の感覚からみても殺人罪の時効はなくすべきだ。


 04年8月、26年前に行方不明になった東京都内の小学校の女性教諭(当時29歳)を殺害して自宅の床下に埋めたと元同小警備員の男が警察に出頭した。07年2月には、19年前にタクシー会社の男性(同71歳)を殺害したとして指名手配されていた男が年金を受給しようと名乗り出たが、いずれも時効が成立しており罪には問われなかった。犯人が現れたにもかかわらず時効によって法が執行されない状態は、正義に反する。

 明治時代にできた公訴時効の制度は、国家に刑罰権があるという考え方を基本としており、刑罰権の行使を法でもって制約するのが公訴時効の制度である。

公訴時効はもっぱら国の都合によって定められており、被害者の視点や被害者の権利・利益の保護という観点は盛り込まれていない。


時効が存在する理由としては、時間の経過とともに証拠の収集が難しくなる▽犯人に対する社会や遺族の処罰感情が薄れる--があるが、こうした根拠は時代の変化とともに薄れてきている。

 DNA鑑定が進んだ結果、現場に残されたわずかな痕跡からも犯人が特定できるようになり、証拠の問題はクリアされた。

長寿社会で犯人も長生きし、再犯の危険性もある。

時間がたっても遺族が逃げ続ける犯人を許すこともないだろう。


 さらに犯人が海外に逃げている間は時効は停止するが、毎年千数百万人が海外渡航する時代に、犯人が海外にいるか国内にいるかで区別する合理性はなくなっている。


「逃げ得」を許せば法の軽視にもつながる。

 とはいえ、すぐに法改正とはいかないだろう。


たとえば、07年2月に納付者を確定できない国民年金や厚生年金の記録(いわゆる消えた年金)問題が発覚した際、年金の受給権が時効にかかって請求できなくなるケースが何十万件にも上ることが分かった。

こうした不具合はすぐに直さないといけない。

そこで消えた年金を取り戻すことが出来るように、議員立法で年金請求権の時効(5年)をなくす措置を取った。


 消えた年金問題と比べ、公訴時効の問題はまだ一般的な国民の関心の対象とはなっていない。

しかし、過去5年間で時効を迎えた殺人罪は241件あるというし、もし犯人が名乗りをあげたらどうするかという問題がある。

他方、時効が目前に迫った殺人事件で、おそらく捜査機関が起訴を急いだ結果と思われるが、証拠不十分ということで無罪判決が出されたケースがあった。


こうしたことが続くと司法に対する国民の信頼が地に落ちる。

こうした制度の不具合が国民の関心事となり、法を変えるべきだという議論が出てくると、国会は手をこまねいておくわけにはいかなくなる。