いよいよ6月の声を聞いた。
後部座席のシートベルトや75歳以上のドライバーに高齢者マーク(もみじマーク)の表示などを義務づける改正道交法が今日から施行される。
高速道路でシートベルトをしていないと行政処分の1点が科され、観光客やタクシーの場合は運転者が行政処分を受けることになる。
75歳以上の高齢者に義務づけられたもみじマークは、これを表示ししていないと行政処分の1点と反則金4000円が科されることになるが、いずれも摘発は当面見送り、1年間は指導だけに止めることにしたようだ。
交通事故による被害をなんとしても少なくしたい、そのためにできるだけの対策を講じたい、という思いからの新しい規制の導入であるが、法の施行の段階で更に一工夫がなされた。
行政処分や刑罰を科すことが自己目的化してはならない、ということを改めて私たちに示している。
私は、この道路交通法の改正の時に警察庁の担当者に若干の懸念を示しておいた。
いよいよ法が施行される段階になっても、一般の国民の間に未だ周知されるに至っていない。
このままでは違反者続出だ。
こんな状況を見極めて、警察庁が法の弾力的適用の方針を明示したというのは、如何にも日本的だ。
王雲海という一橋大学大学院法学研究科教授の「日本の刑罰は重いか軽いか」という集英社新書を読み終えたばかりである。
著者は、権力が社会の原点である中国、法律が社会の原点である米国と対比し、日本は文化が社会の原点である、と指摘する。
そして、社会が違えば犯罪も刑罰も違う、と言う。
米国では、犯罪観、刑罰観、秩序観はあくまで法律的で経済的である。
これに対して日本で言う犯罪と刑罰は、政治的意義よりも法律的意義よりも、まず文化的意義を持っている。
日本では、何を犯罪とするか、犯罪に対してどのような刑罰を科すかは、国民の感覚に従って、何よりもまず文化を主にして社会的に決められている、と指摘する。
著者は、比較刑事法の専門家であり、日本と異質の文化で育った学者だから、日本の刑事司法というものを客観的に捉えられるのだろう。
日本の司法制度を外からの視点で眺めたことのない私にとっては、ふーん、そうかしら、と半信半疑のところもあるが、一つだけ覚ったことがある。
そうか、やはり日本では、行政や司法が法を作るのが当たり前なのだ。
国権の最高機関として位置づけられ、唯一の立法機関として憲法に規定されている国会に全ての立法機能が
集中すべきである、というのは、あくまでフィクションに拘り過ぎだったのか。
そう、思うに至ったのである。
立法府である国会が作った法律を杓子定規にそのまま適用したのでは、ただただ違反者を取り締まるだけの法律に終わってしまう。
交通事故をなくすための大きな目標を達成するための一つの手段としての道交法の改正である、という立法趣旨を考えれば、当分の簡、警察が摘発を見送る、という方針を出したことは是認できる。
むしろ、こういう風にして、立法の不備を、現場の運用、行政の裁量で補うことが日本では必要なのだ。
法律家としてはなかなか受け入れがたい考え方ではある。
しかし、おそらく一般の国民は警察庁のこの方針を支持するだろう。
これが、日本の文化であり、法を執行する側の知恵ということである。
それにしても、立法府である国会の方も、法律を作るときにこんな事態も予想してもっと知恵を出す必要がある。
いやあ、参りましたね。
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