政治資金規正法の再改正について | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

本当だろうか。


辞任を表明した中川秀直幹事長が政治資金規正法を再改正し、あらゆる政治団体に、人件費を除く事務所費の記載の細分化と1円以上の支出についての領収書の写しの添付を義務付ける方針を固めた、と報道されている。


おい、おい、と叫びたくなる。


これが国民の世論だ、などと、こんなところで世論を持ち出されては困る。

政治資金規正法を改正して、これまで適法とされていた事務処理を違法とし刑罰の対象とすることが、どんな恐ろしい結果をもたらすことになるのか、どうも想像力が働かなくなったらしい。


(もっとも、わが事務所の若いスタッフも、政治家は国民の代表なんだから、全部公開しても問題ないんじゃないですか、と言うので、この問題について国民の理解を求めることは相当難しい。これは、相当丁寧に説明しないと、かえって誤解の種を蒔くことになりそうだ。)


大変な事態である。


参議院選挙の大敗と、相次ぐ閣僚の失態で、執行部が動転している様子が垣間見える。

不十分な検討で結論を急いではならない。


あらゆる政治団体を対象とするということは、国民の税金がまったく使われていない一般の政治団体まで対象とするということである。


政治団体として届出のある団体数は約7万といわれる。

政治家個人と関わりがない団体も政治活動をし、政治資金規正法上の政治団体の届出をしているケースもある。

これらを一律に規制の対象とする、というのは明らかに過剰反応である。


勿論、政党助成金を受けている政党について、政党助成金の支出を全部を国民に公開すべきであるというのは当然であり、現に公開されている。

しかし、政党助成金を受け取っていない一般の団体の収支を、団体の構成員でない一般の国民にまで公開しなければならない、というのはどんなものだろうか。


一般の企業は領収書をすべて取っているから、政治団体も領収書を取るのは当然じゃないですか、領収書の公開を否定するというのは、経理に疚しいことがあることを自認するようなものではないですか、と先のスタッフは言う。

確かに、企業は税務署から経費の領収書の提示を求められることがある。それは納税の適正を担保するためで、決して一般の国民に企業活動の詳細の公開を求められているわけではない。


納税の適正さを担保するのと同様、政治団体や政治家の政治活動の適正さを担保するために、政治活動の詳細について開示させるべきではないか、と思われる方がおられるかも知れないが、そんなことをすれば、政治活動の自由はもとより、言論の自由が失われることになる。


だから、大変大事な問題なのだ。


参議院選挙の結果を受けて幹事長が辞任を表明するのは、当然の成り行きだと思う。

さらに、次の執行部に引き継ぎ間での間、残務整理を行うのも当然だ。

しかし、その辞任する幹事長が、政治団体の憲法に相当する政治資金規正法の改正内容についてまで踏み込んだ指示を出すべきではないのではないか、と思う。


退陣表明した時点で執行部は及び腰になってしまった。

いわゆるへっぴり腰では、本格的な対処策など出てくるはずも無いではないか。


政治資金規正法再改正問題は、次の執行部に委ねるべき重大な問題であり、退陣を直前にして慌しく結論を出すことは厳に差し控えるべきである、と考えている。


明日、自民党の党改革実行本部コンプライアンス小委員会が開催されることになった。

私が、政治資金規正法改正問題の担当主査である。

こんな指示など、はい分かりました、とおいそれに呑むわけにはいかない。


議会制民主政治の危機が、こんなところに潜んでいる。

世論に迎合し始めたら、政治は本来の役割を放棄することになる。


私たちには、この国を護る責務がある。

特に若い政治家がこれからの国づくりの先頭に立たなければならない時代だ。

中川幹事長の真意がどこにあるのかは不明だが、すべての領収書の写しを情報公開の対象にすれば政治家や政治団体の活動は、隅々まで明るみに出され、政治活動の全容がマスコミの監視の下に置かれることになる。

万一不明の支出や、誤った記載があれば不実記載等の刑事責任を問われることになり、結果的に警察や司法当局の監視下に政治家や政治団体が置かれることになる。


それほど深刻な結果をもたらしかねない問題だ。

民主党から、警察ファッショ、検察ファッショを危惧する声が上がらないのが不思議である。


一時期の興奮に駆られ、政治活動の自由を放擲する結果となるこのような無謀な改正を、無辜の若い世代にまで押し付けるような愚行は、絶対にしてはならない。

被害を受けるのは、これからわが国の政治を担おうとする若い世代であり、また日本の国民である。