え、何ですか皆さん?
レスキュー隊?
いやいや、困ってないんですけど・・・。
通報?
パイプに挟まって?出られない人がいるって?
出れます出れます、大丈夫です。
え、今から?パイプを切って救出?
ダメですダメです!ちょうど今気持ちいいところに当たって
って、あ、いや、その・・・抜けれますから。
じゃあ、全員で?引っ張り出す?
いやダメですって!今やっとこの角の当たりがいいところを見つけて
って、あ、いや、その・・・自分で抜けますから。はい、抜けます抜けます。
いや、あの、抜くっていうのは変な意味じゃなくて、抜け出すの方です、はい。
変質者じゃないです。
スカート?違いますって。
これは裸に布きれ一枚巻いているだけです。
ズボンだとどうしても刺激が弱く・・・あ、いや・・・だから、
ちょっとやめなさいって!私は好きでここにいるんだから。
レスキューされる覚えはないんだって!
え、もうレスキューじゃない?
警察に?連れて行く?
誰か助けてくれー!
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困った人などいない。
そう思う自分の心があるだけ。
かわいそうな人などいない。
そう感じる自分の心があるだけ。
って書くと何だか冷たいように感じられるけれど、僕は誰かを見て助けてあげたくなったり、
何とかしてあげたくなったら、まずはそう感じている自分の心を見つめてみることにする。
あの人は困っている、あの人はかわいそうな人だ。
僕がそう思ってしまうと、僕の世界ではその人は困った人であり続けなくてはいけない。
かわいそうな人を演じ続けなくてはいけない。
それは思いやりのようで、今のその人の状態を否定していることになってしまう。
本当はその人は困っていないかもしれないし、全然かわいそうじゃないかもしれない。
困っているから何とかしてあげよう、かわいそうだから手を差し伸べよう。
もちろんそれはすばらしいことだけれど、まずはそう感じて痛んでいる自分の心を手当てする必要がある。
じっと痛みを感じている自分を見つめていけば、フッとそこから抜ける瞬間が訪れる。
困っている、どうしよう・・・、かわいそうだ、何とかしてあげないと・・・、
そう思って心が動揺している医者が手術するのと、まったく心がぶれずに冷静な医者が手術するのでは、
どちらが適切な対処ができるかは明らかだ。
まずは心がぶれない、ニュートラルな状態へ持っていく。
そうすれば、本当にその人に必要なものが見えてくるはず。
誰もが自分の人生を100%選択している。
その人が選んだその選択を、誰も邪魔することなどできない。
助ける人と助けられる人。
この縮図も、もうまもなく終わるだろう。
誰もが今まで無意識にしてきた自分の選択に気づき、そしてそれが簡単に変えていけることを知る。
その時、この世界から困った人や、かわいそうな人はいなくなる。
それは自分の心の中にだけあった幻想だったということに気づくだろう。
困ったように見えていた人も、実はその人がそれを選んで
←ここを押していただくことで、乳首に洗濯バサミを挟んで痛そうに見える人をそのまま放置プレイさせてあげられる人が増えていきます。ご協力を。
次回イベントのお知らせ
12月18日(土)大阪中央公会堂にて、ぐるぐる&よっつによるグループセッションを行います。
詳細はまた決まり次第お知らせいたします。