パトリック・マネキン(コーラサワー)は、これまで幾多の戦いを生き延びてきた。当てこすりだろうがナンだろうが、「不死身のコーラサワー」などと呼ばれるほどに。しかし劇場版では、今度ばかりは危ないかも?というフラグを立ててしまった。

「大佐、行って来ます!」
「准将だと何回言えば!…死ぬなよ」
「了解です!」

という出撃直前のやりとりまで行い、凛々しく敬礼した後に可愛げのある爽やかな笑顔まで嫁に見せ、颯爽と出撃して行ったパトリック。これってもう“死亡フラグ”以外の何モノにも見えなかった。実際問題、ELSとの戦力差はアンドレイが「ざっと10000対1」と言うほど連邦軍にとって厳しい状況だ。最前線に出て行く兵士が生き残れる確率の方が遥かに低い。さすがのコーラサワー(旧姓)も分が悪過ぎる。

「やられるか!死んでも帰るんだよ、大佐の所に!」と意気込みを見せていたパトリックだが、死んだら帰れねぇぞ!と心の中で突っ込んだのは自分だけではあるまい。いや、死んでも帰るというのは遺体が回収されてマネキンのもとに届けられるという意味か?な~んて、言葉尻の揚げ足取りをしたくなるのがパトリックの迷言でもあるんだが。

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そして実際問題、地球連邦艦隊最終絶対防衛線の損壊率が6割近くにも達した頃、パトリックからマネキンに通信が入る。

「いやぁ~ドジりましたぁ。幸せ過ぎて不死身じゃなくなっちゃったみたいです…」
「今すぐ脱出しろ!」
「それが無理なんですぅ。でも、タダでは死にませんよ!コイツだけでも道連れにして!」

作戦行動中の軍において、末端のパイロットに過ぎない一兵士(劇場版当時パトリックは以前より降格して准尉に)が、司令部の指揮官(准将)を直接回線で個人的に呼び出せるというのも妙な話だが、彼らが夫婦であることを考慮して、特別な計らいがされていたのかも知れない。

こんな時でも明るさを失わず、いつも通りの感じででサラリと話すパトリックの清々しい事。しかし、既にコックピットにまでELSの侵蝕が届いており、脱出装置も作動しなくなっていたのだろう。最後に愛する妻に別れを告げたかったのだろうが、さすがに夫が爆死する瞬間を妻に見せるのは忍びないと思っていたらしく、小説版によるとトランザムをオーバーロードさせる前に、パトリックの側から通信を切ったらしい。そして、滅多なことでは動揺しないマネキンも、この時ばかりはショックを隠しきれない感じだった。

トランザムを発動し、出力をレッドゾーンに飛び込ませて、臨界点突破の自爆を開始するパトリック機。そのシーンのちょっと前にアンドレイも自爆したばかりだったので、さすがの不死身のコーラサワーも今度こそ一巻の終わりかと思ったその瞬間、どこからともなく放たれた粒子ビームが一条。自爆直前のGN-X Ⅳが打ち抜かれ、コックピットブロックが分解されて宇宙空間に放り出されるパトリック・マネキン。またしても九死に一生を得るのだった。

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さて問題。パトリックの死亡フラグをへし折ったビームを撃ったのは果たして誰か?状況とタイミングを見る限り、クアンタで発進した刹那が撃ったとしか思えない。刹那が運良くパトリックの側を通り、ELSにこの機体がやられそうだとイノベイターの鋭敏な能力で察知して、パイロットを救うべく一発放ったのだろうか?刹那の復活が手遅れにならず、間一髪のところで颯爽と登場しパトリックを助けたという状況はヒーロードラマの展開としては申し分ない。しかし、なんで刹那はこの時だけ、たった一発だけ撃ったのだ?アレルヤみたいに人命救助に邁進してもいなかったのに?

刹那はこの後しばらく、ELSへの攻撃を一切行わない。自分はELSとの対話をするのだという目的意識に囚われるあまり、「俺は戦いに来たわけでは…!」などと言いつつ攻撃をずっと躊躇していたはずだ。その刹那が発進して早々、パトリックの救助の為だけにELSに一撃加えたのは少々不自然な展開である。刹那があれほどまでにELSへの攻撃を躊躇い続けたのに、ここだけ躊躇なく撃つのは…まぁ、ここは物語の“ご都合”なのだろうけど。

ちなみに、パトリックのGN-X Ⅳを侵蝕したELSは、刹那の一撃ではなく、パトリック脱出後の擬似太陽炉自爆により消滅したらしいが。ELSはGN-Xのコックピットまで侵蝕してかなり同化が進んでいたはずのだが、刹那的には「あれはGN-Xを撃ったのであって、ELSは撃ってませーん!」とでも言う気なのか?