イオリア・シュヘンベルグが、CB及びガンダムによって成し遂げようとした計画の第一段階は、圧倒的な戦力による紛争への武力介入により、世界から戦争を根絶させることだった。紛争の当事者どちらにも加担することなく、紛争に伴う利害関係の影響を一切受けず、完全な第三者としての私設武装組織CBによる戦闘行為の徹底的な強制終了。

そして、第一段階の終焉には、CBに対抗すべく世界各国がまとまりを見せ、一致団結してCBを葬り去ることで世界統一に繋がっていくシナリオも想定されていた。その後の第二段階においては、打倒CBで世界が協調した国連をベースに、地球連邦政府の樹立と、その治安を維持する為の地球連邦軍及び治安維持部隊アロウズを結成。世界各国が個別に軍事力を保有して各々の国を防衛していた時代からの脱却を図るという「世界意志の統一」も狙いであった。

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これに対して、沈黙の艦隊における海江田四郎の目的は、独立戦闘国家「やまと」という存在を通じて、世界平和の為の新たな概念を提示、実現することだった。海江田が独立国家「やまと」元首として、日本との同盟を結んだ際に具体的に提唱したのは、「政軍分離」という概念だった。これは政治と軍事を切り離し、一国の政治的思惑で軍隊が動かされることのないようにすべきという考え方かと思う。

「政軍分離」に似た言葉に、「政教分離」というものがある。これは政治(国家)と宗教を分離すべしという原則で、国家と宗教団体との関係を禁じて、宗教が国家政治に影響することのないようにするものである。国家の政権や政策が、宗教団体の特権的圧力を受けぬようにし、異宗教間の教義や価値観の違いによる対立等が、国家間の対立(宗教戦争)にならぬようにする等の意義があると思う。海江田が日本を最初の同盟国に選んだ理由としても、日本はこの「政教分離」を既に実現している国である点を挙げ、その日本であれば更にその先の「政軍分離」も可能なはずと語っている。

政治と軍事を分離するということは、即ち国家と軍隊を切り離すということ。海江田は軍隊をこの世から無くせなどとは言っていない。ただし、各国の政治的思惑から軍事力を切り離し、軍事力を超国家的組織にまとめようと提唱しているわけだ。その超国家組織は、例えば国連などがそれに該当する。国連の指揮下に全ての軍事力を常時置くことで、各国が個別に軍隊を保有することを止め、国家間で利害対立等が発生した場合は、実効力を持つ国連が調整役を担う。仮にテロ等の武力行使を行う組織が現れた場合は、国連軍がそれに対する制裁行動を行う…というわけだ。

国家同士が互いに軍事力を保有して、そのにらみ合いを自国に対する「抑止力」にするのではなく、国連が全世界に対する警察的な抑止力となり、公正中立な立場で国家同士の利害関係を調停する。これによって、国連は本来の役目を果たせるようになり、国家間の戦争も未然または早期に防げるというわけだ。

ある意味、この場合における国連は、「世界政府」とも呼べる存在になる。これはガンダム00における、地球連邦政府と地球連邦軍に通じるところがある。00では各国が軌道エレベーターの存在の下に3国家群へとまとまって行き、その後CBの武力介入に対抗する為に協力し合い、地球連邦へと統一されていった。それと同様に沈黙の艦隊においても、世界は政治と軍事を切り離すステップを踏んだ上で、一つの世界組織としてまとまって行くべきということなのだろう。

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海江田の考える常設の国連軍とは、アメリカを上回るような大規模な軍隊ではないと思われる。軍を維持するのに莫大な軍事予算を必要とするような軍ではない。世界を何十回も破滅させるような数の核兵器を大量保有する軍でもない。もっと効率的でコンパクトでありながら、なおかつ十分な抑止力を発揮出来る力。そんな常設軍たることを提案し、その実力をサンプル的に証明するのが「やまと」という試みの狙いの一つだったのだと思う。

それは丁度、たった4機でも世界を相手に戦って勝利を収める、CBのガンダムのように。「やまと」は、原潜であることの特性を最大限に生かし、海江田が繰り出した戦術や巧みな操艦により、単艦でアメリカやロシアの海軍を相手に勝ち残っていく。それは大軍を率いる者にとっては屈辱的なことであるが、つまりは原潜一隻の持つ軍事的ポテンシャルの証明なわけだ。

これまでの世界の冷戦構造は、端的に言ってしまうと要するに、敵軍の数に対抗する為に、さらに上回る数を自軍に配備するという競争だったと言える。数量的均衡が崩れると、敵国が優位となり抑止力とならない…という暗黙の恐怖感が世界の軍備増強を加速させてきた。しかし「やまと」は、物量=強さではないと世界に証明する戦闘を繰り広げる。高性能な原潜と高度に訓練された優秀な乗組員がいれば、一艦でも艦隊を相手に対抗し得ると。その事実は世界を「量より質」という軍縮に向けられるのではないかと。

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また、海江田は世界の核戦略に対しても、大きな無駄と矛盾を指摘することになる。世界には核兵器保有国が複数存在し、それぞれの核兵器は、他国からの核攻撃への抑止力という名目で保有されている。もしも核兵器による攻撃を誰かが行えば、その相手からも核兵器による反撃(報復攻撃)が返って来ることになる。核兵器を使えば、使った者もただでは済まない事になる。だから、核兵器を自国が保有することで、他国からの核攻撃を抑止出来るという考え方だ。

しかしそれは、要は世界中に数多くの核兵器がありながら、実際には誰も核兵器を使えないという事でもある。「こちらには核がある」という事実(というか情報)だけが、相手からの核攻撃への抑止力になっていると言ってもいい。誰かが核を撃った途端に全ての均衡は崩れてしまい、核には核の報復が待っていて、核の応酬は世界を破滅に追いやってしまう。そこには勝者も敗者も存在せず、世界の滅亡だけが結末になる。

核兵器という物は不思議なもので、その前提というか建前が、基本的には「使わないもの」として存在している。要は持っているだけで敵に対する脅威になるという大義名分で保有を正当化されている面がある。世界中の誰もが核兵器の使用は悪であるとわかっていて、誰もその使用を本気では望んでない。使えば敵のみならず、我が身をも滅ぼすとみんな知っている。敵国が先に核を使わない限り、自国が核を使うことを正義とは決して呼ばれない。それでも核兵器を保有しようと核実験を行う国は現れるし、膨大なコストを注ぎ込んで大量の核兵器が保有され続けている。

それはただ、敵が(例え仮想敵でも)核を持っているという恐怖と不安への対応として、自らも核を持って対抗する為だ。相手が「核を使うかも知れない」という不信があるから、自らも「使いもしない核」を持つことで、安心を得ようというのが核抑止力の意味と言える。「使わないもの」だと思いながら、いつとも知れぬ「使う日」の為に持ち続けている。無駄だと思いながらも、決して無駄じゃないと言い張りながら。

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この現状に対して、海江田は「やまと」一艦のみで核抑止力の実態を再現して見せる。「やまと=原潜シーバット」に、核ミサイルの搭載・射出能力があることは建造した日米両国がよく知っている。そして完全には明らかではないものの、シーバットが出港前に核弾頭を積み込んだ可能性が否定出来ないという状況があった。出港直前の最後の整備は海江田を始めとする乗組員が自ら行っており、その際に積み込みを行うことが不可能とは言えなかったからだ。

「やまと」が本当に核を持っているかどうかはハッキリとはわからない。しかし、「やまと」が核を撃てる艦であることは明確である。そして「やまと」や海江田艦長が、決して核を撃たないとまでは断じて信用出来ない。この状況に対して米軍は危機管理上、「やまとは核兵器を保有している」という前提で対処せざるを得なかった。万が一にも最悪の可能性があるのなら、楽観的な対応は許されないからだ。つまり、「やまと」は危険な存在で排除すべき敵だが、迂闊に追い込むと核攻撃に出るかも知れないという不安を抱えたわけだ。

「やまと」が非核三原則を掲げる日本に入港する際に、「我が国は核兵器を保有していない」と海江田は国家元首の公式声明として発表した。日本政府は一応その言葉を信頼し入港を受け入れる判断をしたが、それすらもアメリカは(当然の事ながら)鵜呑みに信じるわけにはいかなかった。アメリカ自身も、在日米軍の機密を日本に全て公開して、非核三原則に則って入国しているはずがないからだ。自分達が押し通している建前と同じことを、海江田もやっていると思わずにはいられないだろう。

これにより、「やまと」に実際に核弾頭が積まれてようがいまいが、アメリカに対して核抑止力を発揮する事になる。「核があるかも知れない」という不確定情報だけで、核兵器による反撃をも想定した対処を迫られてしまうのだ。この事は、世界中の各国が自ら大量の核兵器を保有し合って互いを牽制するという核抑止に対する皮肉となる。たった一隻の原潜に「あるかないかわからない核兵器」の影が薄っすら見えただけで、核保有国アメリカを牽制する事が出来てしまったからだ。

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ガンダム00において、ラッセがCBについて「俺達は、存在することに意義があるんじゃないかってな」と言ったことがある。それを受けて2ndシーズン最終話にて、刹那が今後のCBの活動について、「世界の抑止力となって生きる」という決意を表明する…。

ここからは少々こじつけになるのだが(苦笑)。

刹那が決意表明した最終話時点において、CBは既に世界に対する大きな脅威となり得る実力は持っていないと思う。オリジナルの太陽炉とそのノウハウを保有してるとは言え、既に擬似太陽炉は世界に普及しており、オリジナルとの性能差は大きくは無い。CBが長年培ってきた組織構造は、リボンズの暗躍により崩壊しており、以前ほどの規模も資金力も保てていない。ヴェーダすら地球連邦の管理下に置かれているわけで、CBがヴェーダを独占使用出来る状況でもなくなっている。

つまり、本当の意味で「世界の抑止力」となるほどは、CBは以前のような力を持っていないのだ。しかしその一方で恐らくは、CBはまだまだ世界を牽制出来るのではないかとも思う面がある。それは、いまだに地球連邦にとって、CBという組織にはまだまだ判明していない謎が多いから。そして、世界中の人々の心に植え付けられた、武力介入当時のCBの強烈なイメージがあるからだ。

刹那達CBの残存メンバーには以前ほどの大きな力はない。飛び抜けているのはクアンタ1機の性能ぐらいに過ぎなかった。しかし、その事実を地球連邦は殆ど把握出来ていないと思う。最近CBの活動が目立たなくなったとは感じるだろうが、もしかしてどこかに潜伏して姿を隠しているだけで、以前と同等以上の力を蓄えているのではないか?という疑惑を払拭する証拠が無い。人々はCBの武力介入が最近行われないことに安堵しながらも、CBが完全に消滅したという情報でも入らない限り、心のどこかに畏怖と不安を抱えているはず。以前に比べて、地球連邦政府が融和政策を執っているので紛争自体も沈静化しており、そのお陰でCBが現れることもないが、何かあればもしかして…という思いが過ぎるはず。もし、少しでもCBの活動と思しき出来事があれば、「やはりCBは健在?」という憶測が世間に流れるだろう。

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実際に核兵器が使われることがなくても、その存在が感じられれば抑止力となる。それと同様に、実際にCBが以前のような武力介入をしなくても、その存在が感じられれば抑止力としての影響を及ぼす可能性がある。明らかに「もうCBなんてどこにも存在しない」と判明しない限り、謎の私設武装組織CBの存在は疑惑として残る。

沈黙の艦隊は、劇中で「Silent Security Service from the Sea」という計画に結び付く。核攻撃能力を持つ原子力潜水艦という軍事力を、国家から切り離して世界政府の指揮下に置く。それにより、世界平和を脅かす行為に出た者には、原潜からの制裁・報復措置が待っている。各国がぞれぞれに核兵器を保有しなくても、地球上の広大な海洋のどこかに原潜は静かに存在し、世界に対する敵対行動に対する抑止力として存在する。

恐らくは、原潜が実際に核ミサイルをどこかに撃ち込むことはないだろうと思われる。そして、原潜の存在を日常的に世界の市民が意識することもないだろう。しかし「それは存在する」と世界中に知れ渡っていれば、それだけでも抑止力となる…というわけだ。



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