ELSが初めて地球圏に到達した時から、一応は人類はELSを知ろうという努力はして来た。地上に落下したエウロパの破片(実はELS)の回収をし、それをまずは分析する所から始まった。そもそもソレが生命体なのか何かさえもわからない状態からスタートし、それが宇宙船や車両等に接触することで同化すること、金属や機械類だけではなく人体と接触した場合も生体と融合・侵蝕を行うことが判明した。ソレは相手と接触して対象の情報を読み取ることで、それに合わせて自在に自分の姿を変える事が出来る。つまり、金属でありながら様々な姿形に変異することが可能な物体(?)だということだ。そしてソレは、どうやら生物(生命体)でありそうだということも。


地球外から来た変異性金属体…それは、その分析に携わったビリー・カタギリにより、『Extraterrestrial Livingmetal Shapeshifter』=略してELS(エルス)と呼称された。


最初は、ELSはたまたま地球に向かって漂流し落ちてきただけと思われたかも知れない。特に何かの目的があったわけではないが、偶然地球に来ただけだと。もしも、最初に地球に落下したELSだけで終わりなら、それ以上は何もなかったかも知れない。広大な宇宙にはこのような生命体も存在する…そのサンプルを入手したことで、宇宙開発への夢を広げる結果にはなったかも知れないが。いつか外宇宙を旅する宇宙船を開発し、ELSの母星を探しに行こうという宇宙計画の元になったりしたかも知れない。ELSによって地上でも多少の被害はあったけれど、僅かばかりのELSが地球に落ちただけならば、そのレベルで終ったかも知れなかった。


ところがELSとの接触はこれで終わりではなかった。第二派、第三派のELSが出現し、繰り返し地球に向かって来ることに。しかも回を追うごとにその規模は大きくなって、ELSは巨大かつ大量になっていく。


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宇宙人というか、地球外生命体との遭遇は、人類にとってはSF的な長年の夢でもある。未知との遭遇は、人類に新たな発見を数多くもたらす可能性もあり、各分野の画期的発展にも結び付く可能性がある。なので平和的・友好的な出会いであれば、人類も歓迎した可能性はある。ただその一方で、映画などでも宇宙人による地球侵略という描写も数多くあり、未知との遭遇は不安や恐怖ともセットとなる。


そこで外交というか、ファーストコンタクトのセオリーとして、ELS出現の目的や真意を探ろうという動きになる。まずELSには他種とコミュニケーションを取るような知性があるかどうか?生物なら何でも仲良くなれるワケではない。脊髄反射的な本能のみに突き動かされて行動するレベルの生物が相手だった場合、意思疎通が成立しないことになる。例えば人を見たらすぐに問答無用で襲い掛かって、人間をエサとして捕食するようなタイプとは仲良くなれるはずがない。また、きちんとした知性があり文明や文化を持っている生物であっても、明らかに悪意や侵略の意思を持っていたら、これも仲良くなれるわけがない。これらがどうなのかを早急に確認する必要がある。


まぁ、口で言うほどこの確認作業は簡単ではないのだけど。実は地球の概念では知的生命体と認識されていない生物でも、社会性のようなモノを示している例はある。例えば、蟻や蜂などの昆虫は、人間の基準で言えば人類と対等な知的生命体だとは分類されていない。しかし、蟻や蜂は建築物のような巣を自ら建造し、その機能を使って卵や幼虫を守り育てるという文明チックな行動様式を行っている。そして、女王蜂や働き蜂といった役割分担すら行っているし、羽音やフェロモン等による個体間の情報交換も行っている。これらの生態は一見すると知的生命体に酷似しているように感じられる。


では、蜂や蟻は人類と同様に知的生命体なのか?これは、本当は人間如きが決め付けるのは非常におこがましい話だとも思うのだが、とりあえず人間基準で見れば知的生命体とは扱っていない。その理由は素人の自分には詳しくはわからないのだけど、思うに、蟻や蜂には社会的行動は見られるものの、そこに個体の意思や思考が見られないというのもあるのかな?と思っている。要するに、蟻や蜂は人間の文明に近いことを見た目上はやっているが、それを行わせているのは知性ではなく本能だという判断だ。蜂は美しい巣を建造するけれど、そのデザインは蜂の個体が知性を持って常に改造・改良を加えて設計を変える工夫を加えている気配はない。盲目的に一定の法則で本能的に巣を作っているに過ぎず、都度都度目的意識を持ってデザイン変更したりはしない。


まぁ、それだけが理由でもないだろうが、ともかく今の人間の判断では、蜂や蟻は本能的に生命活動しているだけで、知性を持って文明生活をしている知的生命体ではないという判断がされている。


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しかし、人間の判断は地球という星の上での範囲内で、人間の歴史レベルの期間内の研究の末に設定したものに過ぎない。外宇宙レベルの世界の中には、井の中の蛙に過ぎない地球人には理解し得ないモノが沢山あってもおかしくないのだ。その宇宙からやってきた初めて見る生命体に、知性があるかどうかを見極めるのは物凄く難しいことなのだ。地球の基準が宇宙全体に通用するわけがない。地球外生命体側が地球人よりも遥かに高度な知性を持っていて、あちら側から歩み寄って意思表示でもしてくれれば簡単かも知れないが。相手側が地球人の言語を分析して理解し、翻訳して喋ってくれるなら地球人も「相手には高い知性がある!」と簡単にわかるだろう。だが、そんなに都合の良い、わかりやすい出会いは滅多にあるもんじゃない。


じっくりと研究・調査する時間があったならば、人類も色々と工夫を凝らすだろう。ELSがのんびりと地球から離れたところで大人しく待っていてくれたなら。そして、人間が近づいても何も危害を加えずにいてくれたなら。それならば地球人類もじっくりとELSの理解に務めたに違いない。しかし、残念ながらELSは積極的で行動的であった。次々と待ったなしでELSの大群を派遣してくるし、その速度は僅か数ヶ月で木星から地球に到達してしまうスピーディーさだ。近づけば物凄い素早さで接触してくるし、接触されればこちらの命がないと来てる。


ただでさえ地球外生命体との接触経験を持たない人類は、これに上手く対処するノウハウを全く持ち合わせていない。その為、火星圏に派遣された『ELS調査隊』も、結局調査とは名ばかりでELSに敵意(敵対行動)があるかどうかだけに着目した。しかも、デカルト・シャーマンの独断専行も悪影響して、ELSが向かって来た → ならば対応する→ 攻撃!という性急な行動もあった。ELSがGN-X Ⅳに接触して侵蝕を始めた時点では、もう地球連邦軍の総意としてELSを敵性勢力と断定してしまった。これは、地球人側の立場(人間の気持ち)では仕方のない面もある。何しろELSの行動によって死者が出ているのだ。それを危険だと思わないワケがない。だが、短絡的だったことも否めない。最初から「多分敵だろうな」と先入観で決め付けて、それを前提に事に当っていたような面もあったと思う。


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良いか悪いか、正しいか間違っているかはわからない。でも、人類は自らが生き残る為には、ELSと戦うしかないという判断を下す。その判断が正しくない可能性も人類は理解はしていた。もしかすると互いに誤解などがあるのかも知れないと。でも、ELSとの対話が成立しない以上、ELSを説得して止めることも出来ないわけで。止まってくれないなら力づくで止めるしかない。ELSが地球に何をしに来たのかは依然としてわからんが、放って置けば地球が滅亡するとしか思えなかった。ELSが接触したものは、全て何らかの被害を受けている。死亡した者も多いし、アーミア・リーのように死なないまでも身動き取れなくなっている。艦やMSのようなマシンでさえも、ELSと接触してしまえば機能しなくなる。


ELSに悪意や敵意があろうとなかろうと、被害を防ぐ対応をしないわけにはいかない。見ず知らずのELSの生命と、自分達の生命を天秤にかければ、自分達が生き残る道を選択するに決まっている。自分や家族の命を犠牲にしてでも攻撃せずに、平和的な話し合いのみを模索するほど、人類はキレイゴトでは対処出来なかった。相手を皆殺しにしてでも自分達は生き残る。それが地球連邦政府の出した結論だった。もっとも、本当に相手を倒せる保証はどこにもなかったのだけど。


人類の総意としてのその覚悟は、絶対防衛線の指揮を任されたカティ・マネキン准将をしてELSの“掃討作戦”を宣言させたほどだ。マネキンは、2ndシーズン当時「掃討作戦を得意としたアーバ・リント少佐」を悪名高い男と呼んで忌み嫌っていた。これは、リントと性格が合わないというのも勿論だが、リントの好む掃討作戦(敵を根こそぎ全滅させる事を目的とする)自体がマネキンの主義に合わないというのも大きいはずだ。マネキンやスメラギが戦術予報士を目指した動機には、自分達の戦術で紛争の早期解決を図り、被害を敵味方問わず最小限に抑え人命を救いたいという願いがあった。掃討作戦は、その願いとは反するものとなる。戦争自体を無くすことが無理でも、戦争による被害を敵味方問わず最小限に終らせたい。それがマネキンの揺ぎ無い信念だったはずなのだ。


そのマネキンがELSの掃討を指揮する…。これは「もう、それ以外にない」という苦渋の決断と覚悟じゃないだろうか。人類の存亡を賭けた最終決戦だからこそ、掃討作戦嫌いのマネキンでさえ、それを躊躇わずに実行する決意を固めた。それがELSに対する、追い詰められた人類の選択だったわけだ。