本来であれば喜ばしい…とも言えるはずの進化を遂げて、これまでよりも能力が高まったデカルト・シャーマン。しかしそれが『初のイノベイター』などと呼ばれる、過去に前例のない初期の発現であったが為に、むしろ不運・不遇な立場に追い込まれてしまった。デカルト自身は何も特に悪い事をしたわけでもない。むしろ以前よりも様々な面で好成績を上げられるようになり、前よりも優秀な人間になっただけなのだ。本来ならばその優秀さを評価されて褒められたり、職場でも高待遇になっても良いようにすら思えるのに。


しかしデカルトの現実は全く違った。自分の能力を自分の意志で好きなように生かすことも叶わず、優遇どころか囚人同然のような監視・管理された毎日を送らされている。自分の事を軟禁して管理しようとしている人間達よりも、自分の方が色んな面で進化して優れているというのに。自分に命令を下す指揮官も、自分と本気で戦って勝てもしないくせに。せめて普通の人並みの自由な生活を送りたいのに、どうして自分はそれすら許されないのかと。


とはいっても、デカルトは自分の立場などを理解してもいたのだろう。それが以前からのデカルトの賢明さなのか、イノベイターとして覚醒したことに由来する思考の鋭敏さなのかはわからないが。デカルトは自分が優れた能力を持つイノベイターとなったとはいえ、所詮は無敵・不死身になったわけではないと気付いていたのだろう。また、少しぐらい優れた肉体を手に入れても、自分一人で出来ることには限度がある。自分以外の全てを敵に回して生きていけるわけが無い。そして、自分が軍人であるという自覚も完全に失ったわけじゃないのだろう。軍人である以上、軍上層部からの命令は絶対である。例え個人的に納得がいかなくても、それが仕事であればやるしかない事も沢山ある。


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もっと別のタイミングで、もっと別のカタチで、自分の進化を味わえたなら別の生き方もあったのにとは思いながらも、目の前の現実をそれなりに受け入れていた気がする。不満はいっぱいあるが、今は耐えるのが賢明だと自分なりに自己コントロールしていたのではないだろうか。


そんな自由も娯楽もないデカルトにとっては、自分を一番解放出来るのが“戦い”だったように思う。と言っても、西暦2314年当時は世界は以前よりも安定方向に進み始めており、そんなに頻繁には戦争が起きていたわけでもないだろうが。しかも、イノベイターと認定された後のデカルトは、軍にとって唯一の大事なモルモットであり、やたらに実戦に投入してウッカリ失うわけにはいかない存在だ。あくまでもデカルトは研究材料であり、普通の場面で現場に出してもらえることは多分なかったと思う。


デカルトにとっての日常的な戦場は、イノベイターとしての能力を試す実験的な模擬戦や、イノベイター専用機の開発テストなどに駆り出されて出撃することが大半だった気がする。それでも、普段から徹底的に管理された生活を送るデカルトにとっては、『貴重なお出かけのチャンス』だったんじゃないだろうか。普段はデータ収集用と銘打たれた拘束具にも似た重苦しいセンサー類を取り付けられ、狭い部屋での待機や研究施設の椅子に縛られて過ごすことが多かっただろうから。しかし、MS実機での模擬戦やMAの性能テストなどの任務となれば、堂々と軍のお墨付きで表に出られる。


コックピットに搭乗してしまえば、多少は自分ひとりの時間と空間を味わえる。勿論、コックピット内も常にカメラやセンサー類で監視されてはいるだろうが、それでも研究所の椅子に座りっぱなしよりは何倍もいい。そして、実戦だろうが模擬戦だろうがテストだろうが、パイロットとして機体を操縦している時には、自分の能力を如何なく発揮出来る。自分なりの裁量で機体を動かせる。そして、自分用に仕立てられた高性能な最新鋭機を操って、標的を蹂躙して破壊する時の快感。普段から溜め込んでいるストレスをこの時ばかりは思い切り発散出来る。


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モルモット扱いされて体中をチマチマと調べ上げられる苦痛と不快と退屈さに比べれば、コックピットに座ってターゲットを思う存分に破壊している方がどれだけ面白くて昂ぶった気分を味わえることか。せっかく高性能化した自分の肉体を、デカルトは普段は完全に持て余している。しかし、試験だろうが特命だろうが、こうして戦場に出た時だけは自分を有効に使える。ジッとしているよりは、カラダを動かしたい。日常的に色々と我慢させられ、不満と鬱憤が溜まりに溜まっているのだから、出撃した時ぐらいはそれを思い切り晴らしたい。


だからデカルトは戦いを望んでいる。自分の能力を解放して、思い切り羽を伸ばしたい。破壊こそが自分に許された数少ない憂さ晴らしのチャンスであり、自分の実力を試す場は戦場にしかない。ならば自分は軍人としてもっと戦いたい。戦いの中に身を置いている限り、コックピット内でだけは自分は自由でいられる。デカルトはそんな風に感じていたような気もする。