刹那にとってのリボンズ・アルマークは、確かに恩人とも言える存在だ。リボンズの乗った0ガンダムが現れなければ、刹那は2301年にクルジスで戦死していた可能性が高い。また、リボンズの気まぐれがなく、当初のミッションプラン通りに0ガンダムの性能実験が行われていたなら、刹那は0ガンダムによって命を奪われていたはずだった。


そして、リボンズが刹那をガンダムマイスターに推さなければ、例え生き延びていても刹那の人生は全く異なるものとなっていた。恐らくは、戦争根絶という大きな目標を得る事も無く、貧しい生活を余儀なくされていた気がする。クルジスはその後アザディスタンに吸収されて、実質的に国自体がなくなっている。1stシーズン第12話「教義の果てに」でも描かれたように、クルジス人はアザディスタン国内で冷遇されているようだし。刹那は見ず知らずの老人から「おい!何してる?お前クルジス人だな?顔見りゃわかる。ここはお前が居て良い場所じゃない!とっとと出て行け!」と言われている。自分の家族を自らの手で殺してしまい、自分の信じた神を見失い、共に戦った戦友も祖国も失ったソラン・イブラヒム少年には、普通に生きることすら厳しい生活が待っていた気もする。


刹那にとっては、CBに参加してガンダムマイスター刹那・F・セイエイとしてガンダムエクシアに乗れたことは、信じられないほどの幸運だったと言える。そうでなればソラン少年は、生きる希望も持てずに精神的にも肉体的にも貧しくて虚しい生活に陥っていた可能性が高い。下手すれば生きる為に犯罪などに手を染めて、心を腐らせながら野垂れ死にしていたかも知れない。少なくとも、アロウズが台頭してくる2312年頃の世界では、弾圧されて迫害される側(中東の市民)になっていたはず。それに立ち向かって戦うとしても、私兵のゲリラかカタロン構成員としてしか道がなかった。


それに比べれば、刹那はリボンズのお陰で恵まれていたといえる。たまたまリボンズに出会ったことで、刹那の人生は明らかに好転した。それがリボンズのお陰だとは途中まで知らなかった刹那だが。


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しかし、リボンズは結果的には刹那の恩人だが、その実情はそんなにひたすら感謝ばかりするほどの美談でもない。リボンズは刹那に対して恩着せがましいことを言えるほど、好意や善意に基づいて親切にしたわけでもないのだから。リボンズは自分の一方的な思惑と都合で刹那を利用したに過ぎない。それが結果的に刹那にとってはありがたい方向になっただけだ。刹那に感謝を強要出来るほど、リボンズは刹那の為を思ってやったわけでもない。


刹那からすれば、ソレスタルビーイングという組織やイオリアの理念と計画に対しては、ある種の恩義や忠誠、愛着を感じているだろう。でも、自分の運命をリボンズが意図的に変えたとは知らずにいたので、リボンズ個人に対する思い入れはあまりない。むしろリボンズはイノベイターを名乗って世界を歪めている存在のボスキャラだと認定したのが先なので、今さら恩人面されても素直に受け入れられなかった。2ndシーズン第14話「歌が聴こえる」にて、自分が0ガンダムのパイロットだった事、刹那をマイスターに推薦したことを明かしたリボンズ。もっと先入観のない別の形で出会っていたならば、刹那はリボンズを恩人として尊敬したかも知れない。しかし、リボンズは刹那にとって許し難い行為をしてきた黒幕でもあり、昔の恩だけで屈服するには無理があった。


リボンズが刹那を助けたこと、ガンダムマイスターに推薦してやったことを今さら明かしてきたことに対し、刹那は「礼を言って欲しいのか?」と返した。礼ぐらいならいくらでも言うが、それがリボンズの本意ではないと警戒したに違いない。そう、リボンズの望みはオリジナル太陽炉によるツインドライヴシステムを搭載したダブルオーガンダム。「君の役目は終わったから、そろそろ返して欲しいと思ってね。それは本来、僕が乗るべき機体なのだから」などと厚かましいことを言うリボンズ。もっともらしい事を言って、ガンダムの所有の権利を主張したつもりかも知れないが、それはハッキリ言ってお門違いというものだ。


ダブルオーはイアン・ヴァスティが刹那を乗せる為に開発したガンダムであり、トランザムもツインドライヴもイオリアが『GNドライヴを有する者』に託したシステムだ。リボンズを乗せることなど端から想定に入っていない。リボンズが黙って刹那を殺してダブルオーを奪わず、わざわざこうして自分の搭乗権めいたことを主張するのは、自分が欲しい物を強奪するのに「ボクは盗人ではない」と正当化する言い訳みたいなモノだ。自分こそがイオリア計画の正当な遂行者なのだから、ツインドライヴを横取りしても本来の権利なのだと自他に思い込ませたいのだ。そして、自分の見栄とプライドを守るのと同時に、刹那に心理的な揺さぶりをかけて迷わせる為だろう。自分の知らないツインドライヴシステムをイオリアから託された刹那が妬ましくて、刹那の動揺を誘おうとしているだけの気がする。


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GNドライヴを有する者にトランザムやツインドライヴを託したといっても、イオリアは過去に収録した録画メッセージでその遺志を伝えただけであり、刹那やティエリア達マイスターの人柄を知った上で指名したわけじゃない。イオリアのシステムトラップが発動してトランザムが発動した際に、たまたま刹那達が乗っていただけだ。実は他の誰かでも別に良かったのだ。ただし、イオリアにとってはまさにあの時点で、自らの命を賭けてガンダムで戦っている者であることに意味があった気がする。誰がガンダムに乗っているかはわからないが、イオリア計画の当事者として、カラダを張って自ら戦っている者に力を与えようと考えてたのだろう。


その意味では、リボンズは元々ガンダムマイスターだったのに、その座を自らの命惜しさに放棄したのだから、既にガンダムに乗る資格も権利も失っている。自分が投げ出して刹那に渡したモノを、後で欲しくなったからやっぱり返せといっても正当な権利になどならない。我が侭言ってるだけなのだ。さらに2nd第25話「再生」にて、改めて直接対峙した刹那に対して、リボンズは相変わらず恩着せがましくこんなことを言う。


「感謝して欲しいな。君がその力を手に入れたのは、僕のお陰なんだよ?」と。


それは広い意味では間違いではないが、所詮は何年も前にチョロっと気まぐれ半分でやっただけであり、刹那の人生を変えるキッカケを与えただけに過ぎない。そこには本当の意味の優しさも親切心も、慈愛も善意も込められてなかったワケで、何度も偉そうに言えるものじゃない。というか、こういうのって自分で言えば言うほど価値が下がる。もっと謙遜していれば刹那も少しは感謝する気になったかも知れんのに。リボンズがアレハンドロ・コーナーに言った台詞だが、「そういう物言いだから器量が小さいのさ」とは、リボンズにも当てはまることじゃないのか?刹那の今があるのはリボンズのお陰だとしても、それをいちいち自分で言わないことが器量の大きさというモノじゃないのかい?と。ケチくさいぞ、リボンズ。


だから恩を売ろうとすればするほど刹那は反発する。「俺を救い、俺を導き…そして今また俺の前で神を気取るつもりか?」と。「いいや、神そのものだよ」とリボンズは言う。


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恐らく、この時のリボンズは半分はヤケになって開き直ってる気がする。「そこまで人類を支配したいのか!?」という刹那の言葉に、「そうしなければ、人類は戦いをやめられず滅びてしまう。救世主なんだよ、僕は。人間が自分達の都合で動物達を管理しているのと一緒さ。それに、純粋種となった君に打ち勝てば、僕の有用性は不動のものとなる」と。


リボンズは、リジェネに対して自分を『創造主』と言い、そしてまた刹那に対して自分を『救世主』だと言う。自らがE.A.レイという人間の遺伝子を元に培養されて作り出された人工の生物だという事実を無視するように、自分をどこまでも高みの存在だと言いたがるリボンズ。一種の狂気がそこに宿っていたとも言える。意地でも自分を誰よりも上位の存在だと思わずにいられないのだ。刹那には、リボンズには人類と共に歩む気も、わかり合う気もないという拒絶しか感じられなかった。そして、人類の愚かさや醜さばかりをあげつらい、自分が神として管理しなければ人類は滅びてしまうなどと大義名分を語っているが、結局垣間見えた本音は“自分の有用性”を証明して確立したがっているだけのリボンズの自己主張とエゴ(自我)。人類を…他者を見下すことで、自分を高みの存在だと思い込みたがっているだけ。


刹那の目からは、リボンズは自分の有用性確立の為に世界を混乱に陥れて、人類を牛耳ろうとしている“似非神”にしか見えなかったに違いない。「この世界に神なんていない」…刹那にはサーシェスが語った神も、リボンズが名乗る神も、最早どちらもニセモノにしか感じられない。神の為にすべきことなんて、もう刹那には一切何もないのだった。自分を神だの救世主だとの語れば語るほどに、刹那のとってのリボンズは、どんどん胡散臭いモノになっていったに違いない。