2ndシーズン第14話「歌が聴こえる」の中で、リボンズは刹那に対してこう語った。


「久しぶりだね、刹那・F・セイエイ。いや、ソラン・イブラヒム…。そうか、君にとって僕は初対面だったね。でも、僕にとってはそうじゃない。僕は11年前に君と出会っている。そう、この場所(クルジス)で。愚かな人間同士が争う泥沼の戦場…その中で必死に逃惑う一人の少年。僕は君を見ていたんだ。モビルスーツのコクピットからね。」


「あの武力介入は、0ガンダムの性能実験。当然、機密保持の為その場に居た者は全て処分する予定だった。けれど僕は君を助けた。0ガンダムを…僕を見つめる君の目がとても印象的だったから。それだけじゃない、ヴェーダを使ってガンダムマイスターに君を推薦したのは、僕なんだよ」…と。

この言葉には決して嘘はない。恐らくはまさにこの通りのことが、西暦2301年のクルジスを起点として行われたはず。


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リボンズはCBが創設されて、イオリア計画がスタートした比較的初期の頃から存在するイノベイドのようだ。その為、情報収集目的等の用途限定のイノベイドほどには、人格や能力に制限があまりかかっておらず、ヴェーダへのアクセス権も最上位のレベル7を与えられていた。そして、2307年に本格的な武力介入が開始されるまでの間、リボンズには膨大な時間があったはず。だからリボンズは、イオリア計画に関して閲覧可能な様々な情報を隅々まで目を通したり、人類のこれまでの歩み(歴史)の記録等を自分なりに吟味して分析もした気がする。記録やデータはあくまでも机上の情報に過ぎないが、リボンズにとってはそれでも十分だと思えたのだろう。


人類に対する感想としてリボンズの出した結論は、多分、人類は救い難いほど愚かで野蛮だということじゃなかろうか。イオリア計画はリボンズにとっても重要な存在感を持つモノだが、人類はこれほどの計画を行ってまで守る価値があるのだろうか?なんて疑問も感じていたのではないか。2nd第17話「散りゆく光の中で」で、リボンズは人類のことをこう評していた。


「産業革命以来、機械文明を手に入れた人類はその知恵で争い、滅びに直面してきた。偉大なる時の指導者達も数十年で寿命を向かえ、世の中は再び混沌の時代に戻る。人類は過去から何も学ばない」…と。

これは、人類に対する痛烈な批判だが、あながち間違いとは言えない。いや、むしろ歴史的な出来事を見る限り、これはその通りだと言える面がある。人類は大きな痛手を被った直後は過ちを反省し教訓を得るが、喉元過ぎれば熱さ忘れるモノでもある。少数の人達が過去から学んだことを忘れぬように努力しても、大多数の物忘れの早さに埋もれて流されてしまう。世代を越えるような未来に向けた長期の取り組みよりも、自分に直結する目先の利益を優先してしまう。有能で志の高い人格者も、歴史の中では一瞬の煌き程度の寿命しかない。立場的に後を引き継ぐ者達の多くには、得てして同じ有能さも志も継承されない。


リボンズの人類批判は間違いではないのだ。


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そんなリボンズからすれば、自分達イノベイドは知能的にも体力的にも寿命的にも、そしてメンタリティーの安定度の面から見ても、人類に比べて劣っている面などない。なのに、何故イノベイドは人類を救う為の計画などに従事しなければならないのか?どう考えても人類よりも自分達の方があらゆる面で優れている。なのに、自分自身の存在理由は、その人類の未来の為に尽くすこと。それはリボンズにはイマイチ納得いかない感じがしてたに違いない。しかも、リボンズが閲覧したイオリア計画のストーリーには、武力介入を行ったガンダムマイスターの滅びも選択肢にあった。そのマイスターの有力候補は他でもない自分自身だ。イノベイドによる武力介入をヴェーダが選択すれば、リボンズは人類の為に自らの命を捨てることになる。


愚かで下等な人間共の為に、どうして自分が死ななければならないのか?イオリア計画にとっての自分=イノベイドとは、所詮その程度の存在(捨て駒・捨石)でしかないのだろうか?と。リボンズは、自分がそんな扱いを受けるかも知れないことが我慢ならなかったのだと思う。ただ、それでもイオリア計画遵守を刷り込まれて生み出されたリボンズは、イオリア計画を離れて生きる事は出来なかった。


そんな疑問を本音として密かに抱えたままで、西暦2301年、0ガンダムの性能実験の為、中東の小国を訪れた。GNドライヴという力を備えた、人間世界の文明よりも百年以上も進んだ機動兵器ガンダム。その大いなる力を実戦の場で試しながら、一人の少年の眼差しを受ける。その少年の目はまるで神を崇め奉るような、驚きと憧憬と畏怖が込められた無垢な光を放っていた…のかも知れない。その目を見て、リボンズはひとつの結論に達したのではないか。「そうか、君にとって僕は神か。それはそうだろう、僕は君よりも遥かに高い次元にいる優良種なのだから」…この時、リボンズは自分の中に悶々と燻っていた、疑問や不満への答えを見つけた気がする。


自分は人類の為に従事する奴隷でもなければ捨て駒でもない。むしろ、人類の上に君臨し、支配して導くべき存在なのだと。自分は人間達の神になるべき存在なのだと。


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自分の新たな存在理由に気付かせてくれた中東の戦場に居た少年を、リボンズはミッション通りには殺さずに、敢えて見逃してやることにしたのだろう。自分を神に等しい存在だと気付かせてくれたのだから。自分を素直に崇拝する人間ならば、生かしておいてやっても良いと。そして、そんなにもガンダムに憧れるなら、自分の代わりにガンダムに乗せてやろうか?と。何気ないフリをしてヴェーダの情報網を介して、少年が何者なのかをリボンズは確認したのだろう。自分の一番最初の崇拝者を。


その少年はソラン・イブラヒム。幼い頃から少年兵として戦闘訓練を受けているし、家族も友人知人も死亡している。人間社会からCBに呼び寄せても、その消息を気にする者は誰もいない孤独さが好都合な存在。それでいて、戦争を憎む理由を持っており、CBの戦争根絶の理念にも合致する無口な人間。ガンダムマイスターとして自分の代わりに死ぬ事すら名誉と感じるであろう人間として、リボンズはソランをガンダムマイスターとしてヴェーダに推薦することにしたのだろう。リボンズは自分の持つヴェーダへのアクセス権をフル活用して、ガンダムマイスターには人間こそが相応しいと提案し、既に人間のマイスター候補の中にソラン・イブラヒムを強引に推薦した。それは計画遂行上支障のないこととしてヴェーダも承認した。


ソラン・イブラヒムは、刹那・F・セイエイというコードネームでガンダムマイスターの一人となった。それはソランにとって自分の人生が大きく変わる転換点となった。刹那はリボンズの思惑通り、戦争を根絶出来るなら自分は死んでも構わないと思っていたし、マイスターとしてエクシアに乗れることを、これまでの人生の中で一番の幸せだと感じていたはず。「この世界に神なんていない」と絶望しか感じられなかった自分の人生に、初めて意味と価値を見出す機会を得られた。


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少なくともこの時点では、リボンズと刹那の利害は一致していたと言える。リボンズは自分の代わりに死ぬ者を求めていたし、刹那は意味ある自分の死に場所を求めていた。リボンズにとっては、刹那を選んだのは余興半分の動機だったかも知れないが、とりあえず自分が計画の中で殉職することを回避出来た。刹那にとっては、どうせ一度は死んだも同然の状態から拾った命だし、既に神も家族も故国も失って、虚しいだけの人生に生きる目的を与えてもらった。刹那は、この当時はリボンズの存在を知りはしなかったが、自分の運命に初めて感謝をしたに違いない。


確かに、リボンズは刹那にとっては恩人だと言っても過言ではない。リボンズの目論見は慈愛や好意に基づくものではないけれど、刹那はリボンズの計らいで命を拾い、自分の命に意味を見出すことに繋がった。リボンズにとっての「この時点の刹那」は、自分の身代わりとして喜んで死んでくれるであろう代役に過ぎなかったが。