世界にとって、全てのガンダムはCBのガンダムであり、ガンダムと名のつく全ての機動兵器は世界に武力介入を行うテロリストとして一括りの同じ存在だと認識されている。それぞれの保有する太陽炉の違いなどには深い意味を考えないし、トリニティのガンダムスローネが別の思惑で活動している等の事情も市民にはわからない。


だから、ルイスの両親が殺害された事件に関しても、それがイオリア計画の武力介入ミッションとは無関係で、ネーナが個人的なストレス発散の為にやったことであるという事実を知る者は本人以外に誰もいない。沙慈の姉、絹江を殺したのもイオリア計画とは直接関係のない、サーシェスの手によるものだという事実も誰も知らない。ただ、CBを追っていて殺されたという表面的な事実だけが認識されている。その為、沙慈やルイスの憎しみの矛先は、漠然とCBやガンダム全体に向けられている。沙慈もルイスも、自分の家族が実際には誰に殺されたのかの真相を知らぬまま、とりあえずCBとガンダムを犯人として認識していたのだ。


沙慈は絹江の仇討ちという道を選ばなかったが、ルイスは家族の仇討ちを心に誓う。その差は本人の性格の違いもあるとは思うが、それ以上に恐らくは本人に与えられた立場と力の違いもあると思う。沙慈は両親も姉も亡くしており、ただの天涯孤独な一般市民の青年に過ぎない。ガンダムへの復讐を心に誓おうにも、今さら突然軍に入隊するのも簡単じゃないし、個人で仇討ちを狙うにしてもその資金も情報も武力も持っていない。なので、良くも悪くも諦めて、自分の気持ちを復讐心などに注ぎ込んで燃やすのではなく、自分の本来の生活を再建する方向に向かわせたのだと思う。それが沙慈にとっては一番現実的だし正しいし、それしかやりようがないという制約もあるし。泣き寝入り…と言ったら聞こえは悪いが、復讐に駆られて人生全てをそれに注ぎ込むよりも、沙慈の生き方は決して愚かではないと思う。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


しかしルイスには、なまじ両親の残してくれた莫大な財産があり、それはその気になれば様々な力として使うことが出来る。軍事産業に出資して関与することも、資産家ならではの様々なコネを利用して、自分を軍に入隊させることも可能だった。出来てしまう力があれば、やってしまいたくなるのも人情だ。ルイスにはその力と環境があった。それが、幸いだったか災いとなったかは別として。そして、ルイスをガンダムに対する復讐へと誘い込もうとする存在もあったはず。ルイスの持つ資金力や、ルイスが抱えている恨みを、ヴェーダを通じて気付いたイノベイドによって、ルイスは必要以上に煽られたに違いない。ルイスの持つ心の闇を利用して、リボンズやリジェネが、ルイスを自分達の計画に有益に利用する方法を思いついたのだろう。


真実も嘘も交えながら、ルイスの復讐心を煽って唆し、ガンダムに対する怒りと恨みを忘れないように仕向ける。その上で、後ろ向きな話ばかりではなく、ルイスの持つ資金を恒久平和の理想実現の為に出資しないか?などという前向きな大義名分もちらつかせたのだろう。両親の仇討ちと、世界平和という甘美で崇高な響きが、利害と方向性の一致した一挙両得な行為で実現すると。ルイスはまだまだ若く、しかもどちらかというと世間知らずなお嬢様であったから、言葉巧みなリボンズやリジェネにとっては、思い通りに誘導するのも簡単な作業だったろう。


しかもリボンズ達からは、ルイスが抱え込んでいる細胞障害の治療に有効な薬も与えてくれると言われては、障害に苦しむルイスにはそれを拒む理由も見当たらなかっただろう。


両親の仇討ちをする為にも、世界を統一して平和にする為にも、自分の苦しみを和らげて生きていく為にも、リボンズ・アルマーク達と手を結んでCBとガンダムを倒す。それこそが自分の全てを注ぎ込んでも成し遂げるべき、ライフワークのようにルイスには感じられたのではなかろうか。それが自分に課せられた使命であり宿命であると。その大いなる目的の為には、例え沙慈とは一生会えないとしても。いや、会わない方が沙慈の為にもなるだろうと。