2ndシーズン第21話「革新の扉」~第22話「未来のために」にかけて、ミスター・ブシドーとしての最後の戦いが行われた。


リジェネの差し金で王留美にヴェーダの所在が書かれたメモが渡り、留美がCBにそれを更に手渡す為にラグランジュ5でCBとの合流を図る。それを阻止すべくリボンズが手配した刺客。それがミスター・ブシドーというわけだ。リボンズの狙いを最優先に忠実に果たすなら、ブシドーはダブルオーライザーを発見次第、即座に破壊するべきだった。そうすれば刹那には対抗する戦力がなくなり、トレミーに帰還する足も失うことになる。ブシドーがダブルオーライザーを発見した時、機内には沙慈と赤ハロしかおらず、戦闘能力は高くもない。ここに派遣された目的を果たすなら、ブシドーならまさに赤子の手を捻るように簡単だったはず。


しかし、ブシドーはやっぱり、任務よりも個人的な動機を優先させる。ダブルオーライザーを人質のように確保しながら、破壊することなく刹那の帰りを待っていた。それもこれも全ては己がガンダムと戦いたいからだ。刹那が王留美からメモを受け取り、ダブルオーのもとに戻ってみると、そこには剣を突きつけて立っているブシドーのスサノオがいた。


「4年振りだな、少年。ガンダムを失いたくなければ、私の望みに応えて欲しい」と、ついに刹那に直談判し始めるブシドー。「何が望みだ?」とすかさず問い返す刹那。ブシドーは「真剣なる勝負を!この私、グラハム・エーカーは、君との果し合いを所望する!」と、ずばり要求&宣戦布告。仮面を被って顔を隠したブシドーとしてではなく、傷付いた素顔を晒して本名で名乗りを上げた。これは恐らく刹那に自分の決意の強さを示すためだろう。まぁ、刹那はブシドーの仮面のことを知らないので、顔出さないと誰だかわからんだろうというのもあるが。


「そうまでして決着をつけたいか?」と、そのしつこさに半ば呆れながら(?)刹那が問う。当然のことながらブシドーは肯定し、自分が戦いたがる理由を刹那に突きつける。それは刹那にも責任があるのだと。「無論だ!私の空を汚し、同胞や恩師を奪い、フラッグファイターとしての矜持すら打ち砕いたのは他でもない、君とガンダムだ。そうだとも…最早愛を超え、憎しみも超越し宿命となった!」と、4年前のエクシアとの戦いの続きのように語るブシドー。当時は「愛を超越すればそれは憎しみとなる」とグラハムは言った。それが今や4年の月日を経て、愛を越えて憎しみも超越し、遂に宿命にまで到達したと主張したわけだ。だから、刹那にその責任を取って戦えと言いたいのであろう。


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ブシドーは、「一方的と笑うか?だが、最初に武力介入を行ったのはガンダムだということを忘れるな!」とダメ押しも忘れずに付け加える。刹那としては、愛だの憎しみだの宿命だのはともかくとして、「最初に武力介入を行った」という事実だけは言い逃れのしようがない。それを言われてしまうと、「この男もまた、俺達によって歪められた存在…」と責任を感じてしまう刹那であった。意外とゴリ押しの上手いブシドーなのだ。刹那を逃さないキーワードを心得ている。ここまで言われてしまっては果し合いに応じるしかない刹那。いずれにしろ、ガンダムに無事に乗り込まなければどうしようもないし。乗るにはブシドーに応じるしかない。刹那が果し合いに応じると答えたことを受け、ようやくこの時が来たと心奮わせるブシドー。「これが私の望む道。修羅の道だ!」と、ご満悦そうに独り言ちる。


刹那の「ダブルオーライザー、目標を駆逐する!」は、いつものお決まりの台詞。まぁ、トレミーが近くにおらず、報告を受けるオペレーターもスメラギもいない今、誰に対して宣言してるのかは不明だが。まぁ沙慈に…というよりも自分を鼓舞する為の手続きみたいなものなのだろう。それに対してブシドーの口上は「マスラオ改めスサノオ、いざ尋常に勝負!」という刹那に向けての宣告だった。


戦いながら、感慨深げに思いのたけを語るブシドー。「生きてきた…私はこの為に生きてきた。例えイノベイターの傀儡と成り果てようとも!この武士道だけは!」と、自分がこの戦いの為だけに全てを注ぎ込み、この瞬間の為だけに全てに耐えて来たことを明かす。機体性能、操縦技術共に実力伯仲。このままでは埒が明かぬと二人共に判断。まるで示し合わせたかのように、ほぼ同時にトランザムを発動する。それは敵同士でありながら、まるで阿吽の呼吸のコンビネーションのようでもあった。ダブルオーライザーがトランザムライザーとなれば、高濃度粒子が散布される。もしかすると、スサノオのトランザム粒子もこれに混ざることで、そのGN粒子の効果に拍車が掛かったか?


例によって(?)高純度・高濃度GN粒子による意識共有領域が展開される。白い世界の中で俗名“裸祭り”が開催される。いや、刹那とブシドーの意識が繋がる。初めての奇妙な体験に「私は既に涅槃にいるというのか…?」と訝しがるブシドー。ヲイヲイ、涅槃って…。恐らくはダブルオーとの激しい戦闘で、いつの間にか自分が命を落とし、死後の世界に入り込んだのかと思ったのだろうが、元ユニオン軍の上級大尉は、武士道と共に仏教にもカブれたのだろうか。マニアックというか、オタクというか。まぁ、そういうところもブシドーらしいんだが。


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そこにすかさず「違う!」と突っ込む刹那。いや別に大阪芸人のようにツッコミを入れたワケでもないだろうが、もしかすると内心「なに涅槃とかワケワカランこと言ってんだよ?」とも一瞬思ったんでは?刹那は仏教徒じゃないから、ホントに意味不明だった可能性もある。刹那が言うには「量子の集中する場所」だという。そんなこと急に言われても、ブシドーの方もワケワカメだったろうが。思わず「何を世迷い事を…」と、失笑&イラっとしそうに(?)なるブシドー。ある意味どちらも互いに相手のことを“理解不能な不思議ちゃん”だと認識し合ったかも知れん。


ここでは刹那が会話の主導権を握り、自分の考えを口にする。ブシドーに対して語るというよりも、自分自身に気付き始めたことを告げるかのように。「わかるような気がする。イオリア・シュヘンベルグが、ガンダムを…いや、GNドライブを造った訳が。武力介入はこの為の布石。イオリアの目的は人類を革新に導くこと…そう、俺は変革しようとしている…!」と。自分自身の変化を自分で改めて再発見した。恐らく目の前がクリアになり、新たな希望と決意が湧いてきたような感じがしたであろう。その清々しいほどの表情を見て、ブシドーは「変革?…それが君が会得した極みだというのか?」と問う。刹那はそれに言葉では応えはしないが、ブシドーは刹那が自分とは全く異なる方向を既に目指していたことに、ここで気付き始めたのではないだろうか?


この少年は自分と同じように、戦うことでしか生きていけない人間だと思い込んでいた。戦いの中でこそ、自分の生を唯一実感出来る人間だと思っていた。しかし、もしかするとそれは思い違いだったかも知れないと。GN粒子による意識共有領域では、通常の言葉での会話以上に相手の真の思いが伝わってくる。自分の意識と刹那の意識を比較して、刹那の心は既に自分と同じ場所にはいない事に気付き始めたのでは?同類だと思っていたがそうではなかった。自分の方がいつまでも同じ場所に留まっていて、いつの間にか相当な遅れを取っていた感じがしたのではないか?少年は戦うことしか出来ない人間で、それはまさに自分と同じだと思っていた。だから、自分は少年の存在を追い続け、同じ道を歩いて、同じレベルで戦い合う好敵手だと感じてこだわってきた。だが、戦うことしか考えてなかったのは実は自分だけで、少年はいつまでもその領域には留まり続けていなかったのだと。


しかし、そう簡単に自分の思いは覆せないし、自分の進んできた道を否定し諦めることも出来ない。自分が間違っていたなんて認めたくはない。だからブシドーはまだまだ足掻き続ける。自分のここまでの数年を無にしない為に。「私が求めるのは、戦う者のみが到達する極み…」、かつてブシドーはホーマー・カタギリの前でそう語った。レベルの高い相手との戦いの中に身を置き続け、純粋に戦うことのみに集中し、戦いに勝利する為だけに己を磨いて高め続けていくこと。自分に触れる者全てを一瞬で切り裂く鋭い刃のように、鍛え上げ研ぎ澄ました自分を作り上げること。心も技も体も、全てを戦いの為に強靭に叩き上げる。そうしなければ到達出来ない極みがあるはずだと。それこそが自分の信念であり、自分の生きる道そのものであると。「何の為に戦うのか?」などと疑問や迷いを抱く余地などないほど、戦う為に戦い続ける。余計な大義名分など必要ない。ただ、戦って勝つことのみが戦う目的であり、己の戦う理由。それ以上、他に望むべくものなどありはしないと。


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だが、刹那は戦う理由をこう語る。「未来へと繋がる明日だ」と。その為に戦うのが自分の戦いであると。明日を掴む為に、必要とあらば戦うだけなのだと。刹那にとっての戦いは、より良い未来に向けてのひとつの手段に過ぎない。そして“戦い”とは必ずしも、銃や剣を交える戦闘行為だけを指すわけでもない。


刹那が純粋種イノベイターへと覚醒を始めたとはいえ、恐らくは自分の戦闘技術を磨き続け、厳しい修行や訓練を積み重ね、さらに実戦経験も豊富な天才パイロット=ブシドーを大きく上回る力量はまだなかったと思う。局地的な環境での接近戦においては、トランザムライザーとスサノオの性能差もそんなに違いはなかった気がする。むしろ操縦技術的にはブシドーの方がまだまだ上だったかも?しかし、何の為に戦うかという自分を支える意志の差が、そして自分の戦う意味に対する思いの強さと迷いのなさが、その勝敗を決したようにも思う。


技量と気迫で上回るブシドーは、ダブルオーのGNソードを弾き飛ばす。攻防の装備を失ったダブルオーは、明らかに劣勢で不利だったはず。多分、ブシドー自身も一瞬勝利を確信したはずだ。しかし、素手でも刹那は諦めない。日本文化に詳しいわけでもないし、日本の剣道のたしなみもなかったであろう刹那・F・セイエイは、武士道の極みを目指すブシドーの目の前で、図らずも『真剣白羽取り』をしてみせた。スサノオの実体剣を素手でへし折るダブルオー。そして、形勢の逆転した瞬間に、腰のビームサーベル2本を抜いてスサノオの両肩に突き刺した。

その時の衝撃や小爆発で、スサノオの頭部の兜が砕け散った。兜状の装甲の中にはユニオンのカスタムフラッグの頭部が隠されていた。まるで、ブシドーの本当の顔と心を覆っていた何かが砕け散り、その素顔と素の心を曝け出したかのように…。ブシドー自身の顔の仮面はまだ取り払われていなかったが、スサノオの頭部からフラッグの顔が曝されたのは、何かを意味する象徴のように感じられた。