アンドレイ・スミルノフは基本的には気の毒で可愛そうな子だ。10歳にして母親を亡くし、その悲しみを癒すのに必要な父親のフォローを十分に受けられなかった。母親の死後すぐに父親セルゲイとの関係は悪化しててロクに口も利いてなかったようなのだが、どうやって大きく育ってきたのだろう?なんて余計な心配をしてみたりして。親父のセルゲイは軍の士官で世界中や宇宙にまで任務で派遣されそうな仕事だし、長期間家を空けることも多かった気がするので、どこかの施設か親類に預けられることが多かったのかな?鍵っ子で独り留守番だとしたら益々カワイソ過ぎる。


父親セルゲイ・スミルノフの息子への対応は、先にも長々と書いたように、全くもって褒められたものではない。だからアンドレイは父を憎んで嫌ってもやむを得ない面はある。しかしじゃあ、アンドレイたん、ギザカワイソス…とだけ言って同情して、気の毒だから何をしても仕方がないと許されるべきかというとそうでもない。アンドレイの落ち度は全て父親の育て方の問題だと、全部責任転嫁して良いというモンでもないだろう。辛い子供自体を過ごしたとしても、成人となればそれなりに自分自身で自立をして、自分がどう生きていくべきかを正す責任はある。


アンドレイはどうも、年齢がいくつになっても父親を悪く思うことしかしようとしてなかった気がしている。子供時代であるならば、年齢相応の子供の理解力の範疇で、表面的な事象のみで親を恨んだりしても仕方がない。しかし、アンドレイは大人になって就職するような年齢に達しても、自分なりの人生経験の中で、子供時代に受けた印象を改めて再考察して見直そうとする意識が欠如しているように思う。要するに、いつまで経っても親の心情や立場に対する認識を、子供時代と大差ない解釈でしか捉えられていない感じがする。悪いのは全て父だと一方的に決め付けて、その思い込みを前提に何でも考えるクセがある。


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そこまで父親を恨むのであれば、父親から完全に自立して、父親に一切頼らずに生きようとすれば良いのにと思うのだが、アンドレイは口先とは裏腹に本質的にはその気はあまりなかった気がする。恐らく父親は軍で高い評価を得ている士官であるから給料はそれなりに良いだろうし、母親は殉職してるので遺族年金等の収入もあるだろうから、スミルノフ家は経済的には比較的裕福なのではないかと推察する。アンドレイは恐らく、親の愛には飢えていたが生活には全く困らずに、経済的にはお坊ちゃん育ちに近かったのかも知れない。親がいないことを除けば、割と自由でお金にも恵まれてきて、自分で苦労することもあまりなかった可能性がある。それもあってか、思考回路が割と他人依存を是としている。


その一端が垣間見えたのは、2ndシーズン第16話「悲劇への序曲」中の回想シーン。父親への当てつけの意味もあって、士官学校に入学し父と同じ軍人になろうとするアンドレイ。そんなに父親に反抗するなら、自分の力だけで実力で軍人になれば良いのに、「父の力を借りたくはなかったので」とか言いながらも、父親の親友パング・ハーキュリーのコネを利用し、軍上層部への口添えなんかしてもらってる。それって直接ではないが、間接的に父親のコネに頼ってるのと全く同じだから。しかも、世話になったハーキュリーにまで、母親を見殺しにしたのは父だけではなくあなたも同罪だなどとまでほざく有様で。だったらハーキュリーにも世話になるなよ!と突っ込みを入れたくなる。ちゃっかり世話になってるクセに甘えてんじゃネェよと。アンドレイは「生半可な決意では平和は訪れない」なんてカッコイイことばかりは言うのだが、生半可な努力と決意で、コネで軍に入ったのは自分だとは気付こうとしてない。


また、2ndシーズン第17話「散りゆく光の中で」では、「私は命を見捨てない。父と違う生き方をする!」なんていう決意を語った。アンドレイにとっての父親セルゲイは、軍規を守る為なら母の命さえも冷酷に切り捨てて見捨てた男という存在だ。自分はそうならない、自分は命を見捨てないという決意は、例え軍の命令があろうとも人の命を安易に失わせるような行為は自分はしない意味のはず。なのに、アンドレイはその言葉の直後に、軌道エレベータの破片から地上の市民を守るべき行動の最中にも、ルイスと共に“反乱分子の主犯格”を捕らえる事にばかり気を散らして、破片迎撃には大して集中していない。そして、無抵抗に停止中のハーキュリー機をいきなり問答無用で撃墜するは、早とちりで父親までもクーデターの首謀格と決め付けて殺してしまう。軍規の為でもなく、上からも命令でもなく、個人の判断(感情)のみで相手の言葉に聞く耳も持たずに人の命を簡単に奪っている。偉そうに人道主義的なことを言ってた割には、その舌の根も乾かぬうちに、他人の命を軽視して粗末にしているような気がするが。


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続いて、2ndシーズン第18話「交錯する思い」では、アンドレイは自分の手で父親を殺した事に対して、「私は軍務を全うしただけだ」などと言っている。親殺しの事実に戸惑うルイスに対して、「他人の命は奪えても、肉親は出来ないというのか!?」とまで言う。恒久平和実現という理想の為には、肉親をこの手に掛けて殺すことさえも「決断をしなければならない時がある」と。それってつまりは、軍務の為なら肉親を殺すこともやむを得ないという理屈だ。軍務遂行の為に母親を殺したセルゲイを責めていたくせに、いつの間にか軍務遂行の為ならば父親を殺すのもやむを得ないと自分を正当化している。しかも、自分の手で父親を殺したのは、せめてもの「私の情けだよ」とまで、自分は軍人としても人間としても何も間違ってないと言わんがばかりに平然と語る。


アンドレイは、自分の立場や境遇や主義主張を、非常に自分の都合の良いように利用したりすり替えたりするクセがある。父親には頼りたくないと言いながら、父親のコネをコッソリ使う。他人に甘えて世話になっておきながら、相手の言い分を聞かされると急に被害者づらして聞く耳を持たない。自分が断固として掲げてきた主張さえも、都合良く真逆の方針にすり替える。肉親を殺した父親は許せなくても、肉親を殺した自分は簡単に許して情けのある人間のような顔を平気でする。


アンドレイは自分の事は棚に上げる性格だと思われる。そして、常に問題の原因は相手にばかりあると考えて、自分はいつもその被害者であるかのように考える。断片的な口先の理屈ひとつひとつはご立派な正論に聞こえるのだが、その意見や主義主張には一貫性が無く矛盾が多い。自分に甘く他人に厳し過ぎる。…アンドレイがそんな人間になってしまったのは、父親であるセルゲイの育て方が悪かったのだ!…と言ってしまえばそれまでの話で、アンドレイ本人もそういう言い訳をしそうな気がする。確かにそういう面もないとは言えないが、それでも既に大人と呼ばれる年齢や立場に無事に到達したならば、いい加減、自分の生き方には責任を持たねばならないと思う。いつまでも何でも親のせいにして良いというもんじゃない。


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アンドレイは、恐らくこれまでもずっと、何か悪い事があればそれを父親のせいにして、自分の内面的な処理をしてきたような気がする。そして、自分がこれまで無事に不自由なく生活出来て、好きなように学校に行けて就職出来たことも、全ては当然のように受け止めていて、多少なりとも父親や周囲のお陰であるという認識がない。自分から母親を奪った人間はそれぐらいして当然だと思っていたり、むしろ、そんなことで自分や母に対する罪滅ぼしになると思ったら大間違いだ!とか思って反発してた気もする。何かに対して本気で感謝するようなところは殆どなかったのだろう。ある意味、自分だけが不幸だと常に思い込んでいたような気もしている。


幼き頃のアンドレイには、確かに同情すべき点はある。父親であるセルゲイには責められても仕方のない怠慢や逃げも間違いなくあった。しかし、だからといって、アンドレイのやる事は全て許されて然るべきで、全ての非をセルゲイだけが背負うべきという道理ではない。アンドレイには、自分の生い立ちがどうであろうと、父親がどういう人間であろうと、それでも自分で責任を持って背負うべき自分の人生がなければならない。ああ言えばこう言う的に、何でも親のせいにして、都合が悪くなると被害者づらして、相手を責めておきながら自分が同じ事をしたら棚に上げて自己正当化する。そういう生き方をして良いというもんじゃない。


アンドレイは確かに気の毒な子だったが、いつまでもそれにしがみついて生きるべきじゃない。アンドレイの心のどこか片隅には、自分は母親を失った可哀想な人間だから、何をしても悪くないと甘えている内面があるように思う。いつも父親を責める事で自分を甘やかして許してきた。父親を悪人に仕立て上げる事で、その被害者である自分に対する免罪符を作り上げてきたように感じる。それは最初こそ父親のせいでもあるけれど、いい加減、そろそろ自分のせいでもあると気付かねばならない。自分が都合良く父親を利用して、論理のすり替えをしてプライドを保っているだけだと理解する必要がある。アンドレイの父親に対する反抗心には、子供っぽい過剰反応がいつまでもあった。殺すに値しない相手を、思い込みによる大義名分で呆気なく殺してしまうほどに。


アンドレイの自己正当化の理屈は、とても頭デッカチな子供の屁理屈と言い訳に聞こえてしまう。