軍人としてのセルゲイは有能で素晴らしい実績と経歴を持っていて、人間としての人格も社会人、職業人としては非の打ち所がない。やるべきことをきちんとやり通し、自制すべきところはきちんと冷静に抑える。勇猛果敢に命がけで任務に挑み、自己保身に走って逃げることもない。


夫としてのセルゲイも、恐らくは真面目で誠実で素晴らしかったのではないかと思う。妻ホリーを心から愛して大切にしていたと思うし、よそに愛人作って浮気したりもしなかったろう、証拠はないが多分。夫婦揃っての軍人という事で、ある意味職場結婚であるから公私の区別にも気を使う面はあったろうが、士官学校時代からの同期でもあったから、きっとお互いに分を弁えつつも仲睦まじい夫婦だったような気がする(作中の描写は少ないけどね)。妻との会話はきちんとあったのだろうと思うし、言葉少なくとも思いは通じ合っていた夫婦のようにも思える。


しかし、息子アンドレイの父親としてのセルゲイはどうだっただろう?恐らくは裏表の態度の差が少なそうなセルゲイは、家でもそれなりに真面目で厳格な家庭人であったろうと推察される。家でゴロゴロしながらTV見て鼻くそ穿る様な姿を見せるようなタイプでもないし、酒飲んでリラックスして乱れたり酔い潰れた姿を息子に見せるような気もしない。勿論、仕事ばっかりに夢中で家庭を振返らないような独善的な「仕事一筋=家庭放置」の男でもないように思う。そして、躾にはそれなりに厳しいが、声を荒げて子供を怒ったり体罰を与えるような感じもしない。ある意味では、強く優しい良き父親であり、ある意味では、真面目過ぎて家では不器用で無口な、どちらかというと幼い子供にとっては近寄り難くつまらない親だったかも?セルゲイは、子供と一緒にバカになって夢中で遊んで親しまれるようなタイプにも見えない。


セルゲイは、とても完成度の高い“良き大人”ではあると思う。しかし、大人であることが心底まで染み付きすぎて、童心に返るような行為はあまり得意じゃない気がする。息子の事を大事に思って愛してはいるが、息子と同じ目線に降りてくる事はあまり出来ないタイプの親ではなかっただろうか。あくまでも親の立場で子供を見るだけで、子供と同じ立場で幼い子供とレベルを合わせて語り合う事がなかなか出来ない。親としての我が子に対する養育義務などにはきちんとしていても、子供の親身になって(友達のように)打ち解けて話す事が出来ないタイプだったような気がする。自分の「素」を子供に見せるのは得意じゃなく、「立派な親」であろうと難しく考え過ぎてしまう。だから、自分の弱くて情けない姿を見せられない、見せたくない。黙って見守ろうとはするのだけど、思いを(愛情を)言葉にして伝える事に照れを感じてしまうところも相当あるのでは。


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それでも、妻でありアンドレイの母親でもある、ホリーが一緒に居てくれたら大きな問題は多分なかったろう。セルゲイにはセルゲイの親としての良さもある。男の子には、同じ男である寡黙な父親の背中を見せるのが良いという面もある。そして、父親の足りない部分を母親がフォローして補えばいい。母親に出来ない事を父親としてすればいい。父親と息子のコミュニケーションの仲介を、母親が果たす事で親子関係がより良く成立するのはよくあることだ。厳しさと緊張感を父親が、優しさと安らぎを母親がそれぞれ示す事で、子供の成長を支える場合も少なくない。もしもホリーがずっと側に居てくれたなら、セルゲイは父親としても十分に立派で、何の問題もなかったに違いない。


しかし、実際には、ホリーは軍の任務により戦死してしまう。更に悪い事に、その任務にはセルゲイも関わっていた。まだ幼いアンドレイには父親以上に母親が必要で、母親を失う事のショックは大きなものとなる。父と母が一緒に居たのなら、父が母を守って救ってくれることを子供は期待する。なのに、父は自分だけ帰ってきて母を守ってくれなかった。のみならず、どうやら父は任務を優先して母を見捨てて見殺しにしたらしい。となれば、父に対する怒りと失望が幼心にも湧いてきてしまう。ホリーが戦死した当時のアンドレイは恐らく10歳。何もわからないほど幼い子供ではなかったが、複雑な大人の事情や心理が理解出来るほどの大人でもなかった。


本当なら、ここで父親であるセルゲイは、もっと息子の気持ちに配慮すべきだったと思う。自分自身も愛する妻を失い辛くて悲しかったであろうとは思うし、その責任が自分にあるとして強い後悔と自責の念にかられて心に余裕もなかったことだろう。しかし、それでも息子の心のケアを最優先にしてきちんと話すべきで、息子の怒りや悲しみを受け止めるべきだった。アンドレイの心の闇がまだ小さい初期の段階で、アンドレイの父親に対する失望と恨みを受け取って謝るべきだったと思う。でも、セルゲイは自分自身も失意のどん底で辛かったのかも知れないが、アンドレイにどう言えば良いのかわからずに、何も語らずに放置してしまった。アンドレイに申し訳なくて顔向け出来なかったのかも知れないけど、それでもやはりセルゲイはアンドレイの顔をきちんと見て話すべきだったのに。


軍人としてのセルゲイは、常に何をなすべきかを適切に考えて、勇気を持って行動を起こし、どんな苦難にも立ち向かう決断力や覚悟を持っている。しかし、仕事を離れたセルゲイは、息子に対しては同じように勇気を持てなかった。本人も認めているが、息子ときちんと向き合う事から逃げてしまったのが、父親としてのセルゲイの過ちだったと思う。セルゲイは本当にホリーを失って悲しかったのなら、息子の前で泣けば良かったと思う。それが男として情けなくて格好悪くても。父親として立場がないと感じても。軍人である前に、父親である前に、ただの一人の男なのだと自分を晒して見せた方が、アンドレイの心は救われた気がする。父親がどんな過ちを犯したとしても、ひとりの心ある弱い人間として正直な姿を見せられたなら。セルゲイ自身もホリーの死を心から悲しんでいる、その姿をアンドレイに見せるべきだった。


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セルゲイの心の内には、ある種の『男の美学』みたいなものがあるような気がする。例えば、初対面のピーリスを「乙女だ」と感じて戦わせる事を戸惑ったのは、セルゲイの中にうら若き乙女を戦場に送り込むべきではないという男としての自負もあったはず。また、ガンダム鹵獲作戦で、身を挺して味方を離脱させようとした副官ミン中尉を止めようとしたピーリスに対して、「男の覚悟に水を差すな!」と言い、敢えて副官の行為を受け入れた。セルゲイの行動理念には、セルゲイなりの美学が裏にあり、セルゲイなりの男の格好良さが込められる傾向にある。それ故に彼の態度には騎士道的で堂々とした男気が感じられて良いわけだが、その反面、美学にこだわりを持つ男は、どこかしら“見栄っ張りでエエカッコしたがり”な自己陶酔的な要素も内面に隠し持っている。


セルゲイ本人としては、ホリーの戦死に対して自分に重々責任を感じ、全てを背負って「一切言い訳はしない!」等と心に決めたのかも知れない。軍人であれば軍務に忠実であるのは当然だし、個人の感情よりも市民の利益を優先して当然という覚悟があって然るべき。だから何があっても人前で取り乱したり涙を見せたりなんかしない。母親ホリーを死なせて息子アンドレイには申し訳ない気持ちもあったが、アンドレイに対しても言い訳などせずに、全ての責めを黙って自分が背負うべき…等という男の美学をセルゲイは自分への戒めにしたつもりのような気がする。誰に何を言われて何も思われて憎まれても、それを黙って甘んじて受け入れるのが男の美学であると。


だけど本当は、息子に対してはどんなに見苦しくても言い訳や釈明を素直にすべきだったような気がする。セルゲイの男の美学は、自分を律する戒めにもなると同時に、その美学を守ろうとする自分への美化と慰めと自己満足にもなる。言い訳をするのが男として見苦しいから何も言わなかったつもりだろうが、何も言わない事で格好良いつもりになれるのは、実は黙っている男本人だけだったりする。父親に黙り込まれても子供には何の慰めにも救いにもならない。どこが父親の落ち度で憎むべきで、どこが同情の余地があって許すべきかもわからない。黙り込んで何も語らぬ父親の背中からは、母に対する父の思いがどういうものなのかが全く伝わってこない。子供にそれを察して当然と望むのは酷だと思う。大人であるセルゲイが子供であるアンドレイに歩み寄って説明する必要があった。


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2ndシーズン第24話「BEYOND」にて、ピーリスはアンドレイに「自分のことをわかってほしいなら、なぜ大佐のことをわかってあげようとしなかったの?」なんて言ってたが、当時10歳のアンドレイにそれを望むのは無理がある。子供にわかるように伝えるべきは、やはり大人であり親であるセルゲイの方だっただろう。子供の頃から父親に不信を抱いたままになってしまったアンドレイには、大人になってもそれは簡単ではない。月日が経って関係修復不能になるまで、何も効果的な手を打たなかったのはセルゲイも同じだ。軍人としてのセルゲイは大変立派な人格者である。そして、ピーリスに対するセルゲイの態度には、愛情も優しさも十分にあった。けれど、アンドレイの父としてのセルゲイにはその立派な面影は殆ど無い。セルゲイの勇気も決断も覚悟も責任感も、息子アンドレイには殆ど発揮されなかった。セルゲイはアンドレイを間違いなく気に掛けてはいたが、セルゲイ自身も本気でアンドレイをわかってあげようと行動に移さずに済ませてしまった。この点に関してはアンドレイだけを責めるのは酷というもの。


そしてもうひとつ。セルゲイは決して、アンドレイが思うような形でホリーを冷酷に淡々と見殺しにしたわけではない。しかし、見捨てた要素が全くなかったかというと、実はそうでもないような気がしている。2ndシーズン第17話「散りゆく光の中で」の冒頭の回想シーン。前線で劣勢に追い込まれたホリーの所属する小隊に、救援を送り込もうとしたパング・ハーキューを制して、最終防衛ラインへの全軍撤退を命令するセルゲイ。救援を送らずに撤退するということは、即ちホリーの部隊は孤立して死を待つのみになる。その決断を敢えて遂行したのは他でもないセルゲイだった。この行為は一見、公私混同をしない立派な覚悟に見える。けれど、ここにもセルゲイの男の美学と見栄が介在していた気がしてならない。セルゲイは強い自制心の中にも苦渋を滲ませる表情を見せてはいた。しかし、どこか諦めが早過ぎるようにも見えた。


もしも、窮地に陥っていたのが、ホリーとは関係のない部隊であったなら、果たしてセルゲイはあんなにも呆気なく救援を諦めただろうか?もしかしたらそうかも知れないが、もしかしたら違ったような気もしている。セルゲイは本来なら、アッサリと部下を切り捨てて見殺しにするような指揮官ではない。上からの命令は絶対だが、上からの命令にただ盲目的に従うだけのセルゲイでもない。本来のセルゲイの判断ならば、上からの命令には従いながらも、どうにかして前線部隊も救えないかと、もっと手を尽くしたような気がするのだ。しかし、セルゲイの心の片隅には、「例え身内でも贔屓にしてはならない」という意識が強く働き過ぎていたのではなかろうか?自分の愛する妻がいる部隊だから、上からの命令に背いて救援を送る…そういう態度は市民の安全を担う指揮官としてあってはならないとセルゲイの美学は戒めた。その意識が過剰に働き過ぎていて、呆気ないほどにホリーの生還を諦めたように感じる。身内のピンチじゃなければ、もっと自分の気持ちに素直に命令出来た。しかし、なまじ身内だったからこそ、セルゲイは自分や身内を甘やかすような判断を過度に締め出そうとしてしまった気がする。


その意味で言うならば、セルゲイは“身内だからこそ厳しく”して見捨ててしまった。他人ならば無理をして救っても美学に反しない。しかし、身内の為に他を犠牲にするのは、セルゲイの美学に反する行為だった気がする。セルゲイ的には公私混同せず平等に公平に決断したつもりなのだと思うが、結果的には身内にのみ厳しくする判断を下した面があったのではないか。アンドレイの思い込みとは少々違うが、結果的にはセルゲイはホリーを救えなかったのではなく、救わなかったのかも知れない。


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アンドレイとの親子関係は断絶しており、セルゲイは自分自身が親として失格であった事は自覚している。いつもアンドレイの事を気に掛けていて、アンドレイに対して十分なことをしてやれなかった自分を悔いて責めてもいたと思う。父親として正しい態度は出来なかったが、セルゲイは自省のない無責任な人間ではない。だからきっと、心の中でいつも「父親としてやり直したい、罪滅ぼしをしたい」という願いもあったのだろう。その願いを叶えるひとつとして、身寄りのないピーリスを引き取って養子として向かえて父親としての愛情を彼女に注ごうともしたのかも知れない。しかし、この行為はピーリスにとってはありがたく幸せなモノだったと思うが、実の息子のアンドレイにとってはどうだったろうか?


セルゲイがピーリスを我が子のように愛してもアンドレイには関係ない。セルゲイがピーリスに親切にしても、アンドレイへの贖罪にはならないし、息子は報われもしない。むしろ、自分の父親が見知らぬ他人の女を我が家に連れ込んで、大事に可愛がってるなんて知ったならば、「オレの事は放っておいたくせに!何やってんだ!このクソオヤジめ!」と思う方が当然じゃなかろうか?セルゲイのピーリスに対する愛情は、息子への罪滅ぼしには全然ならず、むしろ息子の神経を逆撫でする行為に等しいと思うのだが?セルゲイは、ずっとアンドレイの事を思い続けていたのかも知れないが、結局はアンドレイの為には行動を起こせなかったダメパパなのだ。


セルゲイは、良くも悪くもそんなには立派な人格者でもない。軍人としては優れていても、全ての面で優れていたわけではない。むしろ親としてはホリーが居てくれなきゃ全然ダメだったのかも知れない。ただ、人間は誰しもそういう面があるとも思う。会社では出世して人望もあり立派な業績を上げていても、家でまで同じような活躍が出来る人間はそう多くは無い。親としては立派に振舞えなかったセルゲイではあるが、それでもセルゲイが魅力的で人間味があり、良識ある行為で多くの他人を救ったのも事実。決して息子に殺されて当然の悪人ではなかったはずだ。