ガンダム00の1stシーズン前半において、沙慈とルイスにまつわるバカップルシーンにイラっとさせられた視聴者は少なくないと思う。こいつら本当に物語に必要か?こんなシーンに時間と労力を割くくらいなら、もっと戦闘シーンとか他のキャラの掘り下げを増やすべきだろう!とか。


確かに、当初は自分自身もあまり沙慈ルイの出てくる場面は好きじゃなかったし、特にルイスの空気を読まない我が侭ぶり無頓着ぶりは見ていてイラっとくるだけで可愛いとも特には思えなかった。アニメを録画でもう一度観直す時は、確実に早送りやスキップの対象場面で(苦笑)。多少はこういう場面も仕方ないと思えても、ちょっと沙慈ルイに費やす回数や時間が多過ぎるような気はしていた。1stシーズンをリアルタイムで初めて観てた時は、無駄な時間だなと思っていたのも正直な感想。


しかし、好き嫌いを言うならば好きとは言えない場面だったが、今思えば作品全体としては決して要らない場面ではなかったと思う。少々しつこい感じがしたのも、恐らくは脚本家や監督の演出上の計算だったように感じる。あの、のほほんとした平和でアホらしい場面の挿入があればこそ、それ以外の政治的場面や戦闘シーン等が対比として引き立つように仕組まれていた。


沙慈ルイのバカップルシーンは、少々強調されて浮世離れして見えた面もあったとは言え、基本的に今の平和ボケした日本などの普通の日常を象徴的に表現していたと思う。沙慈達はニュースや学校の授業等で緊迫した世界情勢を知ったとしても、それはあくまでも対岸の火事として自分とは無関係に捉えていた。情報としては現実だと知っていても、感覚的には映画やドラマの中で繰り広げられるフィクションと大差がないもの。自分達とは別世界で勝手に行われて誰か他人の手で勝手に終わっていくだけの無縁・無関心な話。世界のどこかで誰が苦しんで命を落とそうとも、自分達に直接ふりかからない限りは、平然といつも通りに楽しく幸せに過ごしていける。


緊張感のある政治的場面やカッコよくて迫力ある戦闘シーンに水を差すように、邪魔な沙慈ルイの緊張感のない場面が繰り返し挟み込まれるのは、そのコントラストを如実にする意図があったからだと思う。要は視聴者側にも「こんな時にお前らのくだらねぇシーンなんて観てる暇はねぇんだよ!」と思わせるのが目的のひとつじゃなかろうか。実は沙慈やルイスは、自分達日本人の身近な代表みたいな存在で、三大国家群の首脳陣や紛争や貧困にあえぐ中東諸国の人々や、日々武力介入に邁進するガンダムマイスターこそが非現実的な遠い存在。ガンダムという作品を観ていると、当然のようにCBやマイスターや敵側の魅力的なライバル達に感情移入して注目したくなるが、実は視点が非日常を求めて逆転しているだけで、空気を読まずに登場してくるように見える沙慈ルイこそが実は自分達を代表する存在だったりする。


普段の我々は平和な世界に住む自分にだけ感情移入しているが、ガンダム00の世界に入り込む時は、自然と平和ボケしてる人間を疎ましく感じるように構成されているのだ。それを自然と誘導している存在が、沙慈とルイスの平和なシーンの数々だったりする。我々の平和な日常の裏側には、実は様々なことが起きていることを想像しやすくしているとも言える。結構一触即発の危ういバランスの上に、自分達の平和があるのだと知ることにもなる。


また、あれだけしつこいくらいに平和な沙慈ルイの場面が描かれたことで、その後の沙慈とルイスにふりかかる不幸がまた対比として切なさを増すという効果もある。1stシーズン第5話「限界離脱領域」でピーリスの暴走による低軌道ステーションの事故に巻き込まれたり、第7話「報われぬ魂」で目前で起こるテロをあわやという所で目撃したり。平和な日常の中でもアブナイ出来事に巻き込まれる怖さを沙慈ルイで表現。そして極めつけは、1st第18話「悪意の矛先」でスローネドライの気まぐれな攻撃に巻き込まれて両親を含む親族と自分の左腕を失うルイス。そして第20話「変革の刃」でサーシェスに実姉の絹江を殺害されてしまう沙慈。序盤に完全に平和ボケして見えるように明るく日常を謳歌してきた二人だけに、ついに世界の歪みが他人事では済まなくなって行く過程が切なく感じられる。自分達の代表のような一般市民の素人であることを十分に丁寧に描いてきたからこそ、ここでの沙慈とルイスに対する感情移入度が否応にも高まるという仕掛けだと思う。


その後2ndシーズンでは、完全に最前線に登場するキャラとなっていく沙慈とルイスだが、このように1stシーズンでも実は00の世界観を描く上で重要な役目を最初から担ってきたように思う。


また、実は気付きにくい役割ではあるが、沙慈達の初期の日常生活は、現代の約300年後に当たる00世界の説明役も果たしている。沙慈達の学校風景や持ち物(携帯電話等々)、利用する交通機関の描写等が、00世界のテクノロジーレベルやその技術の日常生活への浸透ぶりをさりげなく表現したりしてる。軌道エレベータや太陽光発電、リニアトレイン等々が世の中でどのように機能しているかも。ルイスの留学の話等から一般レベルの国際化がどの程度進んでいるかとか、ルイスがおねだりするペアリングの値段から当時の通貨価値がどれぐらいなのかを推測出来たり。宅配ピザがこの時代にもあるのだとか。沙慈やルイスがアチコチをウロウロしたり、何かしでかすことで、ガンダム00の時代背景がどういう感じなのかが自然に理解出来るようになっていたのよね。